2日目:塩尻宿、洗馬宿、本山宿、贄川宿、奈良井宿
下諏訪宿から福島宿までの旅の2日目です。
(1日目はコチラ)
2日目のルートと記事で紹介した場所です。
ホテル中村屋で簡単な朝食を済ませ朝8時前に出立します。
駅から少し歩くと一里塚があります。ここはきちんと両側の土盛りに松が植えてあり、街道の一里塚がそのまま残っていて大変珍しいです。
ブドウは収穫されてありませんが、支柱の列がずうっと並んでいます。
城戸(キド)ワイナリー。白樺と黄色の建物のコンビがヨーロッパっぽくて風情があります。ピノノワールやナイヤガラ(白ワイン)を栽培されているようです。ナイヤガラという品種は飲んだことないなぁ。
山すその方までブドウ畑が広がっています。
あれ、まだ収穫していないブドウがたくさん実っています。調べてみるとマスカットベリーAは12月下旬まで収穫時期があるようです。
街道のすぐ横までたわわに実っているので「一粒くらいいいだろう」という気になりました(が、ガマンした)。
洗馬宿から奈良井宿方面の天気が気になります。思った通り後で粉雪に見まわれますが。
徳川秀忠が肘をかけて休んだという逸話のある肘掛の松。
案内版の横にあった写真。明治時代の写真だそうですが、松の幹が太い。肘かけではなく腰かけの松になっています。
善光寺街道と中山道の分岐点と書いてあります。調べてみると善光寺街道は中山道のここ洗馬宿と長野市にある信州善光寺を結ぶ街道でした。
信州善光寺は北国街道上にもあり、軽井沢の追分宿とつながっています。北国街道、歩いてみようかな。
洗馬宿に到着。サーモスに入れたお茶を飲む。今年は秋がちょっとですぐに冬になりました。
先に記したように洗馬宿は善光寺経由で北国街道とつながっていたので、宿場町では日本海の鮭やブリが入った洗馬煮が名物だったそうです。
「そば切り」というのは平らに伸ばしたそばを細長く麺状に切ることを言い、現在、普通に「そば」と言えば「そば切り」を意味します。筆者の畑ではそばを栽培したことがありませんが、比較的簡単に栽培できるようです。そばは平安時代から栽培されていましたが、粟や稗(ひえ)のように種の実をゆがいて食べていたのを、江戸時代にここ本山で初めて麺にして食べたそうです。
本山宿を過ぎて19号線を歩いて行くと、積雪注意の電光掲示板が。この後、粉雪は吹き付けてきましたが、スタッドレスが必要な箇所はありませんでした。
「是より南 木曽路」の石碑。いよいよ木曽路に入ります。
国道19号線から岩盤の上にあがる。結局すぐにまた19号線に戻るのですが。
19号線に戻るところこにある三面六臂(ひ)馬頭観音。六臂とは腕が六本ある意味。後ろに見えるのは旧大岨(おおそ)トンネル。以前は中央本線はここを通っていたらしい。今の中央本線はもっと深いトンネルを走っています。
国道のすぐ横を流れるのが奈良井川。片平取水場が見える。
集落のための清水の取水場。ここ以外に幾つかあります。おいしい新鮮な水がいつでも飲めるのは有難いものです。
写真に映りこんでいますが、このあたりから粉雪が吹き付けてきました。さすがに雨用ウェアを装着します。
贄川(にえかわ)宿に到着。生贄の「贄」の字のついた変わった名前ですが、もともと温泉が湧く「熱川」という地名だったのが、温泉が枯れてしまい「贄川」になったそうです。
これは贄川駅。雪が吹き付けるので駅舎で休憩。ちょうど松本行きの列車が出発するタイミングなのにお茶を飲んでると「電車、出ますよ~」と言われてしまった。
津島神社の鳥居と贄川宿の町並み。
重要文化財の深澤家住宅。木曽地方の宿場町家建築の到達点だそうです。どの辺が到達点なのかわかりませんが立派なことはわかります。深澤家は行商で名をあげ、商人なのに苗字帯刀を許されたそうです。苗字はわかるけど、武士じゃないのに帯刀することもあったのか。
贄川のトチと言われるトチの木。樹高33mでなんと推定樹齢1000年だそう。葉っぱが手のひら(掌状)をしていればトチノキかなとわかるのだけれど、あいにく落葉している。粉雪が舞って寒々しい。
お昼どきに、ちょうど蕎麦屋の「そば処ながせ」があったのでランチにします。ごつい薪ストーブがあります。
岩魚の天ぷらつきの蕎麦。おいしいですが、信州のなかでは普通レベル。天ぷらはちょっと衣が多すぎた。
JR木曽平沢駅そばにある諏訪神社。
まだ奈良井宿の手前ですが町家風家屋が並びます。多くは漆器店です。調べてみると、ここ木曽平沢では丈夫なヒノキが採れたので、日常使いに耐えられる漆器を生産したのが木曽漆器を有名にした理由のようです。
さらに明治時代になるとここで鉄分を多く含んだ錆土が発見され、さらに漆器を堅牢に作ることができたので人気に輪をかけたそうです。
奈良井川を見下ろして。この先に白く雪をまとっているのが峠山で、木曽路一番の難所と言われる鳥居峠は峠山の右を巻いていく。
峠山の頂上には狼煙(のろし)台があったそうです。
奈良井宿手前にあるレンガ造りの漆器店。
JR中央線の跨線橋(こせんきょう)を北に越えるといよいよ奈良井宿です。国道19号線は線路の南側を通っているので、奈良井宿は近代化の波の影響を受けずにすんだようです。
昔のままを保存した結果、外国からわんさか人が押し寄せて村が潤う。こんな結果、誰も予想しなかったのでしょうね。
奈良井宿です。まるで江戸時代。人気なのに納得です。
奈良井宿はやはり漆器で非常に潤った宿場で、「奈良井千軒」と言われたほどお店が並んでいたそうでう。
今日の宿は「民宿さわだ」です。この写真は翌朝撮ったので朝の色になっています。
この宿が人気でおひとり様では平日でもなかなか取れず、12月になってようやく取れました。これより後になっていたら鳥居峠は雪が積もってアイゼンがないと無理だったかもしれません。
部屋は2階の6畳ほどですが十分です。1階で夕食をとると、なんと全部で10人のお客のなかで日本人は筆者一人でした。
純日本料理を西洋人が普通に食べているのにも時代の変化を感じますが、なんと馬刺しまで出します。筆者は馬の生肉はさすがに食べられないのですが、後で聞くと、大半の西欧人は馬刺しを食べちゃうそうです。おそろしや。
インバウンド外国人の数は、コロナ前に比べて戻るどころか増えているそうです。
料理もたくさん出してくれるし、お風呂もあるしでとても良い宿でした。
外国人客は全般的にお行儀がいいのですが、筆者の隣の部屋のオージーと思われる男三人組が時々「Oh My God!」とか叫びます。男三人でお風呂に入ってキャーキャー喜んでいました。さすがに夜10時くらいになると静かになりましたが。
木造の家屋が立ち並ぶ景色というのが外国人には珍しいのでしょうね。
奈良井宿散策の戦利品。
左が八幡屋磯五郎(やわたやいそごろう)の七味。信州の蕎麦屋さんでは必ずこれが置いてあります。京都名物の清水寺の七味とは同じ七味では成分が違っていて、京都の方が辛味を効かせていて、この信州の七味は辛味と香りのバランスをとっているとのこと。
真ん中も長野名物の御岳百草丸。奈良の陀羅尼助丸とよく似た漢方胃腸薬ですが、調べてみると成分が少し違っていました。
右の手を合わしている女の子は、骨董屋さんで見つけたものです。1200円でした。
3日目に続きます。
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