先日、秋田で一生のうち最も温泉に浸かったほど堪能したおかげで、体の中に硫黄臭が浸み込んだのですが、一人旅行だったので、今回は嫁さんを連れての奈良の天川村は洞川温泉の一泊旅行です。温泉だけでなく二日目は観音峯に登ります。
今回の旅行の位置関係を整理すると以下のようになります。
天川村の東には修験者の聖地である大峰奥駆道が連なっており、こちらについては過去の記事にあります。特に山上ケ岳は大峰山の代名詞となっている聖地でありいまでも女人禁制を貫いています。洞川温泉地区は、修験者の宿として利用されたのが発端であり、温泉は近年ボーリング調査で掘り当てたわけで、昔から温泉宿というわけではありません。
初日は宿に行く前に丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)を訪ねます。官幣大社で格の高い神社です。罔象女神(みずはのめのかみ)という雨ごいの神様を祀っています。
この神様はイザナミ(イザナギの奥さん)が火の神カグツチを産み落とす際に陰部に大やけどを負い、死ぬ直前に垂れ流した尿から生まれた神様です。
初代天皇の神武天皇が東征の戦勝祈願をした場所でもあります。こちらは下社ですが、上社と中社があり、本当の場所を考証されつつ3つの神社ができてしまったという具合です。
こちらの神社がユニークなところは白馬と黒馬の二頭がいるところで、雨を降らせたいときは分厚い雲を思わせる黒馬を、大雨を止めたいときは青空を思わせる白馬を神社に奉献しました。
奉献された馬はどうなる?調べてみましたがわかりません。ただ貴重な馬を神馬として度々神社にプレゼントするわけにもいかず、生きた馬の代わりに絵馬が誕生したというわけです。
次に鍾乳洞に行きますがその前の駐車場の茶屋で小休止。大峰山から流れる山上川を眺めるバルコニーが設置されています。ここのおばちゃんが話好きで面白かった。
こちらの有料駐車場は、ゴロゴロ水と呼ばれる名水を採集できる設備が駐車スロット毎に設けられています。役行者が鍾乳洞の奥からゴロゴロと音を立てて流れる水を飲んだという所以ですが、みんな駐車料金の元を取らねばという思いで大量に持ち帰っていました。
茶屋のおばちゃんによると、大阪の喫茶店でゴロゴロ水でコーヒーを入れているお店があるらしいです。業務用でもない限り、一般家庭で、こんなに汲んで何に使うのでしょうか。
天川村の鍾乳洞は二か所あり、こちらは五代松といわれる鍾乳洞に向かうトロッコ列車。歩いて登ることもできます。
トロッコのレールは登山をしていると時々見かけますが、実際に乗ってみたのは初めて。原付くらいの小さなエンジンで、6人くらいの列車を急坂にも関わらず頑張って登って行くのが驚き。
かなり揺れるので前の列車に乗っていた人がスマホを落としたらしく、二人の運転手のうちの一人が捜索、無事発見していました。
この緑色の鉄の扉から中にはいります。運転手の方が鍾乳洞の案内をしてくれます。
内部はところどころ身を屈めないといけない箇所があり、何度か頭をぶつけました。ヘルメットをしていて正解。なかなか神秘的に見る価値は十分です。
この石灰の天然のフィルターで浄化された水なのでゴロゴロ水が美味しいはずです。
この石柱が1センチ成長するのに100年かかるそうです。
宿に行く前にもう一か所、龍泉寺を訪ねます。このお寺は修験者が修行の前に水行を行い、旅の安全を祈願する場所です。ちょうど山上川が集落に流れ込む場所なので、「龍の口」と名付けられています。
金剛力士の代わりに番をするのが、前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)。助さん格さん的な役どころで役行者のボディーガード(正しくは式神)。前鬼が夫で、後鬼が妻です。
こちらは後鬼の後ろ姿です。後ろに背負っているのが、笈(きゅう)と呼ばれる箱で、修験者が使うザック兼移動式の仏壇。後鬼はこの中に種を入れていたそうなので、時々定住しては野菜を植えて自給自足生活をしていたのでしょうか。
このようなものを担いで大峰奥駆道を歩けと言われても無理です(汗)。
龍泉寺の壁越しに山上ケ岳が見えました。
山上川の南側が温泉街なので橋を渡ります。
宿でもらった温泉街のマップです。
部屋は嫁さんのリクエストで数少ないトイレ付きの部屋で、ちょっとした中庭がありロッキングチェアが置いてあっていい感じです。ヘリノックスチェアを持参しましたが不要でした。
外が寒くなってきたので、宿の共通スペースにあったチェアで今読んでいる佐藤賢一のナポレオンを読みますが、階段のそばなのでひっきりなしに人が通ってあまり集中できません。
特に胃腸も悪くない一般人が買うとも思えず、商売として成り立つのでしょうか。
このお店は修験者グッズ。でもなんだか不気味です。
山上川。雨もなかったのに結構水量が多い。
花屋徳兵衛さん以外にも旅館の縁側が長いのは、修験者達が長旅から戻り草鞋を脱ぐのに使ったそうです。
観音平休憩所。立派な休憩所がありテント宿泊にはぴったり。
旅館にはオーディオルームがあります。私と同じ年代でしょうか。憧れたマッキントッシュのアンプにJBLの重量級スピーカー。軽いサックス系のジャズですが、ずっしりとぶれない音です。
温泉は、前鬼の湯と後鬼の湯を朝夕で男女入れ替わりになっています。どちらも部屋風呂ですが、サッシが解放できるようになっていて露天気分が味わえます。
泉質ですが、白湯でほとんど温泉臭がありません。石灰岩に浄化された清浄なお湯で大変気持ちがよい湯ですが、温泉好きには物足りないかも。天然に湧き出たお湯でないのもあり、ちょっと前に使った秋田の湯とはずいぶん違います。
夕食をいただいたあと、提灯に照らされた風情を撮影。
翌朝は上の写真の市松模様の格子戸の奥の部屋で朝食をいただきました。下の役行者の絵が飾ってありましたが、ものすごいマッチョな腕をしておられます。
清水寺の錫杖は90Kgあり弁慶用だそうですが、普通の錫杖は1.5Kgほど。それでも私が使っているカリマーのカーボンのストックが2本で0.4Kgなので、1.5Kgは相当重い。
朝食後、チェックアウトしたら、観音峯に登ります。とは言っても今日は嫁さん連れなので、途中の展望台までで、頂上には行きません。
登山口休憩所の駐車場は結構広かったです。施設の中には南朝の歴史の説明があります。
ヤマレコルートですが、展望台まで約400mの高低差です。展望台から頂上までは150mしかないのですが、アップダウンがあって距離的には倍くらいになりそうです。
また、観音峯頂上からは尾根沿いに2時間半ほどで稲村ケ岳にいけるようです。
休憩所にあったルートマップ。
休憩所から、錫杖に挟まれた登山道っぽい階段があってそっちに間違えて行きそうになりましたが、正しくはつり橋を渡ります。
つり橋の下も山上川。温泉街からは下流になります。
嫁さん先導でスタート。
かなりのアテンションで熊注意の看板があります。最近熊被害が多いのでもう少し大きな熊鈴がいるかも。
観音の水と名のついた水場。夏登山にはうれしい。
ところどころに、南朝の歴史がかかれたプレートがあり勉強になります。
このプレートには楠正正成の子、正行(まさつら)兄弟が幕府との闘いに敗れ討ち死にし、天皇が観音峯に緊急避難し、吉野山は幕府軍の攻撃を受けて炎上した壮絶な話が描かれています。
このあたりは、南北朝時代の四条畷の闘いというそうですが、以前読んだ吉川英治の私本太平記の後の話なのでよく知りません。
案内が錫杖っぽくしてあります。
大峰山につながる山だけあって荒々しさがあります。
ものすごく毒々しいキノコ。凶悪な生物が寄生していてかなり気持ち悪い。
調べてみると、色が魚のマスに似ていることからマスタケと言われるもので、枯れた幹に発生するそう。なんと食用になるそうです。鶏肉のような食感らしいですが、絶対食べたくない。
観音平休憩所。立派な休憩所がありテント宿泊にはぴったり。
つづら折りの整備された道を登ります。
またまた出てきた気持ち悪い草の実。マムシグサという草でした。コイツは有毒植物で、間違って口に入れると心臓麻痺の危険性があるそう。どんだけお腹がすいても口に入れる人はいないと思うが。
ちなみに実になる前の花はこんな感じ(ネットより借用)。褐色のまだら模様がマムシに見えることから名前がついたそう。確かにこれが見えるとヘビが襲ってきそうでかなり恐怖。
花も気持ち悪ければ実も気持ち悪い。
展望台に到着。
ほぼ360度の展望が楽しめるのですが、あいにく右側に見えるはずの八経ヶ岳の頂上はガスで見えません。左のギザギザはバリゴヤの頭と名のついた山。バリゴヤというのは何かの怪物なのか、調べてもわかりません。
山と高原地図では稲村ケ岳から点線ルートになっていて岩登り道具がないといけないかなりの冒険ルートのようです。
観音峯登山のあと、帰路につくまえに、天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)に立ち寄りました。
弁財天(サラスバティー)を祀っている神社です。弁財天さんは琵琶を持っていますが、オリジナルのインドのサラスバティーの楽器はリュートと呼ばれる楽器で琵琶よりも音色はギターに近いかな。
楽器を奏でる神様を祀っているので、芸能の神さまとされ、芸能関係者がよくお参りにこられるそうです。
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