紅葉が始まったので嵐山に行きます。
懐石料理でお昼をしてから、昔の時代劇スターである大河内傳次郎が作った大河内山荘を訪ねるプランです。
冬が始まり、再びコロナウィルスが世界中で活性化しつつある11月ですが、嵐山は京都一番の観光地だけあってマスクを着けた多くの観光客がいます。
渡月橋は写真にするとやはり絵になります。
渡月橋を渡らず、桂川沿いに東に歩きます。
渋く色づきはじめたモミジ。
嵐山公園への階段を登って行ったところに松籟庵(しょうらいあん)があります。車では来れなさそう。これだけ徒歩で階段を歩くとなると、夜ごはんに酒を飲んで千鳥足てなわけにはいきません。
こちらの建物は、以前は近衛文麿の別邸だったそうです。内部もリフォームされておらず、木造のままです。
近衛文麿は、日中戦争の発端となる盧溝橋事件の頃から、3度内閣総理大臣を務め太平洋戦争がはじまるとその座を東条英機に譲り、戦争の敗色が濃くなり、天皇に対して戦争の早期終結のため近衛上奏文を書き上げ具申した。
ランチコースですが、写真が前菜で割とボリュームがあります。最後にでてくるごはんが美味しいくてお替りしてしまいました。
左下のカードは、松籟庵の女将である小林芙蓉さんが描いた「葉」という字。書道家として有名だそうです。
ランチのあと、嵐山公園をさらに北に登ります。
大河内山荘(おおこうちさんそう)の入り口です。ちょうどこの下がJR山陰本線のトンネルになっています。
大河内傳次郎はこの山荘に、映画出演料の大半をつぎこみ、自ら設計して、34歳から64歳で亡くなるまで30年間の歳月をかけて作り上げたそうです。
大乗閣。
まだ紅葉は少なめですが、十分美しい。
比叡山がすそ野まで見えます。いままで見たなかで一番比叡山が美しく見える場所かも知れません。
霞がかかっているように見えるが、光の加減で下にだけ光が当たっている。
こちらは、持仏堂と言われ、大河内が山荘の造成中に毎日こもって、南無阿弥陀仏を唱え続けたそうです。最期は東京駅で倒れ、胃がんと診断され大河内山荘で息を引き取った。享年64歳で、1年前の1961年に出演映画が5本も公開されていたので、突然の死だったのでしょう。
柿がなっています。
とてもきめの細かい、なめらかな苔。
桂川の向こうに見えるのは大悲閣。こちらは3年前に記事にしています。
庭もきれいですが、比叡山の姿がよいのでついつい多く撮ってしまいます。
比叡山の絵の額縁のように見える。
長い下積みの後に、30代に丹下左膳が大ブレイクした。記念館の写真。
桜の木に鬱蒼とキノコが生えています。カワラダケというサルノコシカケの種類で硬くて食用にはならないようです。
帰りは名所の竹林を通って嵐山駅まで向かいました。やはり海外から大量の観光客を引き寄せるだけのインスタ映えパワーがありますね。
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