東福寺は京都駅から南東へ少し行ったあたりにあります。今回は、京阪電車で鳥羽街道まで行ってそこから歩きます。
東福寺は、足利家が制定した京都五山のうちの一つで、奈良の東大寺と興福寺から一字ずつとって、東福寺となったそうです。
開山は鎌倉時代の中頃、円爾(えんに)が初代住職となる。聖一国師(しょういちこくし)とも呼ばれる。
円爾は、宋に学び、禅宗を主軸にしつつ、天台宗や真言宗の良さも取り入れました。
写真の三門は、足利第四代将軍の義持の時代に建てられたもので、現存する禅宗の山門では最古のもの。
さて、今日のメインハイライトの蓮池は、その三門のすぐ手前にあります。
写真では伝わりませんが、まず、その大きさに驚きます。
蓮の花は、朝にしか見ることができません。午後には閉じてしまいます。例外として、午後も開いている場合はありますが、それはそのまま散ってしまう花。
蓮の花の命は短く、4回、開いたり閉じたりを繰り返し、散ってしまうのです。
蓮池の真ん中に石橋がありますが、立ち入り禁止。また、何の工事か知りませんが、池の長辺も立ち入り禁止になっていて、三門を背景に写真が撮れません。なんでまた最も見どころの時期に工事をするのでしょうか😠
と、怒らず、今日、美しい蓮の花を見れたことに感謝・感謝...
これこそが仏の教えと言うものです。
蓮の花は、ピンク色が一般的ですが、白い花もあります。東福寺の蓮池は、ピンクと白と両方の種類が楽しめます。
今でも東南アジアのレストランでは、カレーを蓮の葉(Lotus Leaf)に載せて出てきたりします。
で、蓮の葉を売る商売は、お盆しか成り立たない、利ザヤの薄ーい、商売と言われ、いつのまにか、身持ちの悪い、下品な女性なことを、「はすっぱ」と言うようになったそうです。ちょっと飛躍しすぎのような気がしますが、言葉って面白いですね。
ちなみに、「はすっぱ」というと、かたせ梨乃とか三原じゅん子が思い浮かばれます。かなり古いか。
蓮池を見た後は、東福寺の塔頭寺院である光明院を訪ねます。光明院は、東福寺の開山約150年後の室町時代の半ばに建立されました。
拝観料は竹筒に投入。めずらしい。
室内の先には、三つの石がセットとなった三尊石組が見えます。
三尊石組の三尊は、いろんな組み合わせがあるようですが、多いのが、釈迦三尊といわれる、釈迦如来を中心に、文殊菩薩と普賢菩薩がはさむという構図です。
これは法隆寺の金堂の釈迦三尊像。
3つの石がセットとなった三尊石組が、3つある庭は、「波心庭(はしんのにわ)」という名前が付いており、昭和14に、重森三玲(しげもりみれい)が設計した。
重森三玲の庭は、日本の伝統的なデザインを踏襲しつつ、思い切った直線や曲線を見せるのが特徴のように思えます。ニヒルな感じのおじさん。
名前の三玲は、画家のミレーからとったもの。子供には、ゲーテとかカントとかの哲学者の名前を付けています。ちなみに、ゲーテは、「埶氐」と書くそうですが、絶対書けない、読めないで、ゲーテ氏はお父さんの三玲さんのことをどう思ったていたのでしょうか。
苔に囲まれた白砂のエリアは海を意味している。縁の苔に点々と配置されたものは、波の飛沫を現しているとのこと。芸が細かい。
禅の言葉に、
無雲生嶺上 有月落波心
というものがあり、もし雲が嶺の上に無ければ、月は波に映るだろう、という単純な句ですが、迷いさえなければ、心を美しく保つことができるという意味です。
向こうに見えるのが、紅葉の時期に有名な、東福寺の渡り廊下で有名な通天橋。紅葉の時期は混在のせいで、写真撮影禁止になっています。
紅葉がなくても、緑の海が十分美しい。
通天橋を眺めている私がいる場所は、臥雲橋(がうんきょう)。通天橋は有料ですが、臥雲橋は無料です。
東福寺の塔頭である勝林寺に立ち寄ります。座禅体験ができて、住職さんが、市川海老蔵に似ていると女子に人気だそうです。
こちらもピンクの蓮の花が咲いています。鉢植えなので、近くで見れてとてもよかったです。
勝林寺は、花手水という名前で、手水に活けた花が素晴らしい。写真撮影の人が多くて、シャッターチャンスを見つけるのに時間がかかりました。
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