中山道、西国街道歩きを達成して、現在は東海道を東に歩き静岡県富士川まで来ています。
本来であれば東海道歩きを続けるはずなのですが、10月になっても台風が到来したりで天気が良くなく富士山を拝むことができないので、次の街道にと考えていた北国街道歩きを始めることにします。
北国街道は、東海道などと違って統一したルートがあるわけではありません。筆者の住む近畿では、「北国街道」と言えば主に京都から敦賀までのルートを指します。司馬遼太郎「街道をゆく」でも近江から敦賀までの道のりを探訪されています。
そこで筆者が決めた北国街道のルートは下図のようになります。
敦賀に至る北国街道は大きく分けて琵琶湖西を通るルートと東を通るルートがあります。湖西ルートは平安時代から使われていた古い道ですが、東のルートは戦国時代に新しく柴田勝家が開拓したルートになります。安土城の織田信長との最短距離を確保したのが目的です。
筆者の越前までのルートは平安時代に紫式部が父親に連れられ越前国府(武生)に向かうルートにしました。京都から大津湊まで歩き、そこから船で近江塩津湊まで行ったというシナリオです。
越前から日本海沿いに進み上越から信濃に向かって南下します。関東で「北国街道」と言えば中山道からの分岐の信濃追分から善光寺に向かう道を言うので、その道を進み、信濃追分を終点とします。これは北陸新幹線と同じルートなので、今後は何度も北陸新幹線をつかうことになるでしょう。
近江塩津から今庄までは完全に歩けていませんが、いったん歩いたことにします。
- 近江塩津~敦賀間の一番面白い深坂古道は2024年に歩いた
- 敦賀~今庄間のこれまた一番面白い新保から今庄までの間は2019年に歩いた
ということで、今庄からスタートして北国街道を東へと進むことにします。それで今回は今庄から福井の少し先までを一泊二日で歩くことにします。
今回の旅をまとめるとこんな感じになりました。1日目の今庄から越前国府があった武生までは思いがけず峠があったり街道らしさの残る道のりでしたが、2日目の福井前後の道は面白みに欠ける道のりでした。
参勤交代のルートは、越前藩は近江方面から中山道に合流したのに対して、隣の加賀藩は逆方向の越後方面から中山道に合流したので、筆者の2日目のルートは参勤交代でほとんど使われることがなかったから面白くなかったのではないかと推測しています。
- 【1日目】今庄,湯尾,鯖波,脇本,武生,鯖江,水落駅 26km 6時間半
- 【2日目】水落駅,浅水,福井,九頭竜川,森田駅 20km 5時間半
朝9時前に今庄駅に到着。この駅は2019年以来7年ぶりです。あの時は、ここから東へ旅にをするとは考えていませんでした。また、2019年時点では今庄駅はJRでしたが、今は「はぴラインふくい」という経営会社に代わっています。
江戸時代の面影が残る酒屋さん。当時はこの宿場町に酒屋が15軒もあったというからビックリしますね。
予想していなかったけれどこの先は峠を越えなければいけないようです。道路が縦横に走っている現代と違って江戸時代は峠を避けられなかったんですね。
湯尾峠の下り道に「血頭池入り口」とある。説明書きを読むと南北朝時代にこのあたりで合戦があり、敵将の首を洗った池だそうです。
ようやく峠道が終わる。
湯尾峠の先の街道も古い面影を感じます。ここは「初音の小坂」という名前がついていて、芭蕉が「奥の細道」で北陸からここまで歩いてきて、初めて鶯の声を聞いたことが名前の由来になっている。
道に迷うが線路の内側に歩行者用の鯖波トンネルがあることを発見。線路の右側の道路は加賀まで北国街道沿いを走る国道365号。
歩きながら、ダイコンやハクサイの秋植えの作物を眺めるのが好きなのですが、見かけない作物の畑があります。
北陸在来線を西に渡りますが、この駅の名前が「しきぶ駅」。もちろん紫式部からの命名ですが、ハピラインふくいに移管されたあとの新設駅。今年3月からの開業だそうです。
これは奈良時代にさかのぼる国分寺。

































































