東海道の舞阪宿から島田宿までの2泊3日の旅の2日目です。(まとめと1日目はコチラ)。
下図が、2日目のルートになります。ほぼ国道1号線沿いを歩く道のりですが、見付宿の明治レトロな町並み、袋井宿の松並木、そして掛川城の趣きが良かったです。
今回の宿は掛川駅近くのドーミーインでしたが、最上階13階に露天風呂があり、掛川城が見えて大変良かったです。無料の朝食がない代わりに、風呂上りのアイスと夜鳴きそばがサービスになっています。
掛川駅から昨日の終点である豊田町駅に8時前に到着し、再び歩き始めます。
道路脇を飾るツツジの生垣が大変美しい。
昨日は一日中曇りでしたが、今日は快晴で最高25度まで気温が上昇しました。おかげで顔が酷く日焼けしてしまいました。
宮之一色秋葉常夜燈。街道沿いの常夜燈は普通は石燈が多いのですが、これは珍しく祠のような形態です。よく見ると上部がスリット状になっていて、なかの灯りが外に漏れるようになっています。
旅に出るとこういう危険もあった時代だったのですね。
宅地造成で見える土は赤土で、筆者もトマトの土づくりで赤玉土を混ぜたことがありますが、原産地は関東だったことを思い出しました。
見付宿の中心部のはずですが、本陣跡などの代わりにジュビロ磐田のキャラクター、ジュビロ君と、ジュビィちゃんが立っていました。
古さを感じさせる酒屋さん。筆者の好きな京都の銘酒「英勲(えいくん)」を広告してします。江戸時代は伏見や伊丹からの「下り酒」が重宝されたといいますが、やはり良い米が採れなかったのでしょう。
見付宿の中心部のはずですが、本陣跡などの代わりにジュビロ磐田のキャラクター、ジュビロ君と、ジュビィちゃんが立っていました。
筆者はサッカーはワールドカップの時くらいしか見ないのでわかりません...
見付宿は、京都から来た旅人が初めて富士山を「見付ける」ことが名前の由来だそうです。天竜川を控えた川越宿で、旅籠56軒の中規模の宿場町でした。
旧見付小学校。明治6年開校の日本最古の擬洋風建築の小学校です。
府八幡宮に立ち寄る。見付宿があった場所は、遠江国の国府であり、この神社は遠江国の国司が建立したとされています。
遠足らしき中学生たちがタブレット端末で写真を撮っていました。時代ですなぁ。
道路の愛称が「栄光への道」となっている。これは2020年の東京オリンピックにおいて卓球ダブルスで金メダルをとった水谷隼(じゅん)と伊藤美誠(みま)の栄光を讃えてのこと。
水谷さんも伊藤さんも磐田市出身で、伊藤さんは11歳年上の水谷さんのお父さんが代表を務める豊田町卓球スポーツ少年団で卓球の腕を磨きました。
サッカーといい卓球といい、磐田市はスポーツ選手輩出の地ですね。
旧見付小学校。明治6年開校の日本最古の擬洋風建築の小学校です。
5階は時報のための鐘楼かと思いきや、太鼓楼だったそうです。始業の合図が太鼓というのはなかなか気合いが入りますね。
歩道には明治時代を思わせる美しい絵入りタイルが埋め込まれています。
今之浦川にかかる見事な鯉のぼりの列。まだ4月の後半で子供の日には少し早い。
阿多古山を左手に見ながら白いツツジの坂を登ります。
行人坂。「行人」というのは山伏のことで、このあたりで村を手助けしていたらしい。25mほどのちょっとした坂です。
アヤメ、ショウブ、カキツバタもようやく見分けることができるようになってきた。いちばん派手な模様はアヤメです。
木原畷(なわて)の古戦場。ここは信玄と家康の前哨戦が行われた場所で、信玄の軍の力に押された家康はここから浜松城まで撤退していきます。信玄軍の追撃をかわしてしんがりをつとめたのが本多忠勝。
歩道には明治時代を思わせる美しい絵入りタイルが埋め込まれています。
今之浦川にかかる見事な鯉のぼりの列。まだ4月の後半で子供の日には少し早い。
歩き始めて2時間ほどたったところで、いい感じのコーヒー屋さんをみつけて一休み。
帰りにレジの女の子が会計を10倍間違えて笑っていたのが可愛いかった。
阿多古山を左手に見ながら白いツツジの坂を登ります。
この辺りが富士見町。と言うことは富士山が見えるスポットがあるということですね。
行人坂。「行人」というのは山伏のことで、このあたりで村を手助けしていたらしい。25mほどのちょっとした坂です。
明治29年に建てられた疫病の身代わりになってくれt北向き地蔵。コレラの最大の被害は明治19年だそうですが、10年遅れてこの地を襲ったのでしょうか。
アヤメ、ショウブ、カキツバタもようやく見分けることができるようになってきた。いちばん派手な模様はアヤメです。
太田川を越えて磐田市から袋井(ふくろい)市へ入ります。袋井市は南アルプスが湿った空気を遮るので全国的に日照時間が長いことで有名だそうな。どうりで日焼けが酷かったわけです。
木原畷(なわて)の古戦場。ここは信玄と家康の前哨戦が行われた場所で、信玄の軍の力に押された家康はここから浜松城まで撤退していきます。信玄軍の追撃をかわしてしんがりをつとめたのが本多忠勝。
ちなみに畷とは田んぼのあぜ道のことを言います。
木原畷古戦場にある許禰(こね)神社。ご神木のクスノキが見事な風格を見せている。説明板によると、遠江国は熊野新宮の造営を支援していて、この神社も熊野の神を祀っている。
同じく木原畷古戦場そばにある木原の一里塚。いかにも一里塚らしい旧跡を見るのは久しぶり。
ちょうどお昼になったので国道沿いの吉野家で牛丼を食べて再び歩きだすと、いよいよ袋井宿。
木原畷古戦場にある許禰(こね)神社。ご神木のクスノキが見事な風格を見せている。説明板によると、遠江国は熊野新宮の造営を支援していて、この神社も熊野の神を祀っている。
同じく木原畷古戦場そばにある木原の一里塚。いかにも一里塚らしい旧跡を見るのは久しぶり。
ちょうどお昼になったので国道沿いの吉野家で牛丼を食べて再び歩きだすと、いよいよ袋井宿。
高札場があって、ちょっとした公園のようになっています。JR袋井駅はすぐそば。
宿場町跡に噴水があるのは長い街道歩きでも初めて見ました。
「どまん中ふくろい」というのが袋井市のキャッチコピーになっているようです。勿論東海道、京と江戸のど真ん中という意味。
宿場町跡に噴水があるのは長い街道歩きでも初めて見ました。
袋井宿は四方を丘に囲まれたなかに井戸があったから、その名前がついたと言われていて、噴水は袋の中の井戸を意味しているのでしょう。
旅籠の数50軒で本陣が3軒あったというので大きめの宿場町です。
遠州三山と言われる有名なお寺を多くの人が参拝にきたことも宿場町が栄えた理由だそうですが、三つのお寺は筆者には馴染みがありません。
ちなみに法多山尊永寺、萬松山可睡斎、医王山油山寺。当然ながらいずれも袋井市のお寺。
袋井宿の東端。
ここも立派な松並木。
自然の景観の残る原野谷川。太田川に合流します。
袋井宿と掛川宿の間にあった原川の間宿(あいのしゅく)。休憩所だけで旅籠は許可されていなかったと書いてある。薬師餅が名物だった。
GoogleMapで見ると、山の中に庁舎の建物がめり込んだような形になっています。山の反対側から見たので、屋上のドームだけが浮き上がって見えたというわけです。
袋井宿の東端。
広重の袋井。出茶屋の図とありますが、出茶屋とは宿場町のはずれにある簡易的な茶屋のこと。松の木にぶら下げたやかんを石を並べたかまどで茶を沸かしています。
美しく剪定された松が建ち並ぶ日本庭園のような校庭。袋井東小学校ですが、前身は尋常小学校で、さらにそれ以前は慶應義塾に触発されて出来た用行義塾だったという。
東小学校創立100年記念で復興された一里塚。
ここも立派な松並木。
富士浅間宮の赤鳥居。このあたりから富士山信仰の社が増えてくるのでしょう。楽しみです。
自然の景観の残る原野谷川。太田川に合流します。
国道1号横の歩道を歩いていると、なんとミニバンが地下歩道入り口に衝突しています。警察官が現場をあらためていました。
仕方がないので迂回して地下歩道に入り国道の向こう側へ渡る。
静岡に来てから初めて見た田んぼ。筆者の滋賀ではそろそろ田植えの時期ですが、袋井では全国一の日照時間だけあって、すでに田植えを済ませています。
しばらく歩いていると山の上に奇妙な建物が...ブログを書きながら調べてみると掛川市役所の庁舎でした。
GoogleMapで見ると、山の中に庁舎の建物がめり込んだような形になっています。山の反対側から見たので、屋上のドームだけが浮き上がって見えたというわけです。
このドーム部分が議場だそうで、掛川市議会が使っているのでしょう。
ドームだけでなくて、庁舎の内部もお茶の段々畑をモチーフにした設計になっていてとても近代的に見えます。
逆川を渡る。遠くに見えるボーグ星人の頭がやっぱり気になる。
筆者はこの山上に浮かぶ銀色の物体を見た時、すぐにウルトラセブンのボーグ星人が頭に浮かびました。似てますね。大きさもボーグ星人の頭と同じくらいでは?
逆川を渡る。遠くに見えるボーグ星人の頭がやっぱり気になる。
上の川にかかる大池橋を広重の五十三次が描いています。下方に描かれているように常夜燈が秋葉街道の入り口になり、そこから先に秋葉大権現を祀る秋葉山本宮があります。
右上に描かれている山が秋葉山。実際地図で見てみると、ここから北へ歩いて9時間もかかる場所にある866mの山なので江戸時代でも絵のようには見えなかったと思います。
街道歩きをしていると度々秋葉神社を見かけます。火防の神であったことから町や村では特に大切にされたのだと思いますが、この秋葉本宮は全国の秋葉神社の中心だったというから、その存在の大きさがわかります。
大池大橋を渡る旅の僧もこれから秋葉山をお詣りにいくのでしょうか。
掛川宿に入ってきました。掛川城周辺の町並みが江戸の雰囲気をうまく残しています。清水銀行のレリーフは掛川城城主だった山内一豊が夫人の内助の功による蓄財で馬を買ってもらった場面だと書いてある。
山内一豊は、信長、秀吉とボスに恵まれて掛川城主となり、関ケ原ではまっさきに家康について、その後土佐一国の領主となりました。
掛川宿ですが旅籠30軒と中規模な宿場町ですが、先の広重の絵でも描かれていた秋葉大権現のお詣りの人々で賑わったそうです。
中規模なサイズの城で景観と溶け合ってとても良い佇まいだなと感じました。
天守閣へと続く階段が意外に長く、20km以上歩いた脚には堪えます。

北側の山々の景色。

天守閣の最上階はとても気持ちの良い風が吹いて旅の疲れが少しとれたような気がしました。
天守閣へと続く階段が意外に長く、20km以上歩いた脚には堪えます。
内部を見ると木造による復元であることがわかります。平成6年に市民や地元企業から10億円の募金をあつめて復元されたそうですが、実に立派な建築でガッシリとしています。

北側の山々の景色。

天守閣の最上階はとても気持ちの良い風が吹いて旅の疲れが少しとれたような気がしました。
今回の宿である掛川ドーミーインはここから歩いて10分ほど。
行程の終わりが鉄道駅ではなく宿というのは、歩き旅の気分が上がります。翌日もそのまますぐに旅を開始できるのが素晴らしい。
夕方に駅の近くのしゃぶしゃぶ屋で晩ご飯にしました。ちょっと居酒屋も飽きてきたかなぁ。


































































