2026年6月9日火曜日

【東海道】JR六合駅、藤枝宿、岡部宿、丸子宿、JR安倍川駅

(宇津ノ谷集落の馬頭観音)

4月に続いて東海道歩きの再開です。

5月になって30度超えの日が何日かあり、秋冬まで街道歩きは無理かと思っていたら梅雨になり涼しくなったので出かけることにしました。

前回は島田宿まで歩きましたが、今回は藤枝市、静岡市を過ぎて富士川を渡ったあたりまで歩きます。いつものように2泊3日の旅です。

全体的に1号線脇の道路歩きですが、今回の見どころは丸子宿手前の昔の名残の宇津ノ谷集落、そして何より太平洋を見下ろす崖のような道が続く薩埵峠(さったとうげ)が一番面白かったです。あいにく曇天で富士山は見えなかったのですが、もし富士山がきれいに見える日ならば、薩埵峠歩きだけを目的に旅行に来ても十分値打ちがあります

宿は2泊とも静岡駅近くのビジネスホテルに宿泊しました。

  • 1日目:JR六合駅、藤枝宿、岡部宿、丸子宿、JR安倍川駅 24km、6時間
  • 2日目:JR安倍川駅、府中宿(駿府城跡)、江尻宿、興津宿 27km、7時間
  • 3日目:興津宿、(薩埵峠)、由比宿、蒲原宿、JR富士駅 23km、6時間



これが1日目のルートです。

前回4月の旅の続きで、島田宿の先にあるJR六合駅をスタートして、藤枝宿、岡部宿を進みます。

岡部宿から焼津アルプスを迂回するように進みますが、そこに昔の名残りを感じさせる宇津ノ谷集落があります。その先に丸子宿があり安倍川手前のJR安倍川駅がゴールです。



朝7時前に家を出てJR六合駅に到着したのが9時40分です。移動中はTシャツにフーディーニジャケットを着ていましたが、歩きだすとすぐにTシャツだけになりました。

それでも気温は25度以下で快適です。今回の旅はずっと曇天で、気温は快適で良かったのですが、その代わりに富士山を見ることが出来ませんでした。

しかし、もしも快晴で富士山の景色がきれいに見えていたら30度超えで長時間の街道歩きは不可能だったでしょう。

前回の旅の花の主役はツツジでしたが、今回の花はアジサイです。

JR六合駅の先から藤枝市に入ります。



大井川の氾濫で度々被害を受けたので、この藩の藩主が1千貫を投じて堤防を作ったので、千貫堤といったとある。この看板の裏が堤防でしょうか。

ちなみに1貫とは穴の開いた1文銭を1000枚紐で通した(貫いた)お金の単位です。

江戸時代は二八蕎麦と言われた「かけ蕎麦」が16文。現在かけ蕎麦を500円とすれば、1貫が約3万円。その千倍なので3000万円。確かに小さな藩の財政からすると大金ですね。



瀬戸川の勝草橋手前にある一里塚、秋葉神社、常夜燈のセット。ここは江戸から50里。江戸から京都まで126里なので大体6割ほど歩いたことになります。



このあたりが藤枝宿の中心のはず。商店街になっています。ここには飛脚や馬の拠点があり、伝馬と呼ばれましたが、交番の名前も上伝馬交番になっていておもしろい。

藤枝宿は、旅籠37軒、本陣2軒の中規模の宿場町で、街道南にあった田中城の城下町でもあった。田中城はこの先の駿府城の西の守りとして機能していました。

晩年の家康は田中城に立ち寄った際に食べた天麩羅で腹痛を起こし、駿府城で療養するも亡くなってしまったそうです。



駐車場の看板になっている広重の「人馬引継ぎ」。どこの宿場町でありそうな風景ですが、広重があえて人馬引継ぎをテーマにしたのは、この藤枝宿は、塩田のあった御前崎東の相良港につながる田沼街道とも接続していて、商品流通のハブになっていたからです。



藤枝の名物は瀬戸の染飯(そめいい)で、クチナシの黄色で染めた乾燥飯でした。瀬戸はさきほど渡った瀬戸川が由来。

東海道名所図会に絵が載っています。おにぎりのようになって、たくさん並んでいる。クチナシは疲労に良いとされたので、この先の難所、宇津ノ谷峠、薩埵峠に備えて旅人に重宝されたのでしょう。



この通りの南にあるお寺の名前をとって長楽寺商店街となっています。商店街のお店ごとにとても素敵なイラストがかかっていて素晴らしい。



お昼には少し早いけれど、この先食べ物屋さんが無さそうなので、商店街の「八千代」に入る。

「肉南蛮うどん」とメニューにあったので、そばで注文。関西には鴨南蛮はあるけど肉南蛮はありません。

食べてみると、豚肉でした。関西で肉うどんと言えは必ず牛肉です。加えて、つゆの味が濃い。

最近は東京都心は京風になってきているけれど、下町や東京圏外の地方では濃いめの味つけが残っているんだと納得。

飯野亮一さんの本で、江戸でそばつゆに使う醤油が上方醤油だと薄いというので開発されたのが江戸の濃口醬油で、そこから東京の味の濃い食文化が生まれたと書いてありました。



店内には昭和の頃の商店街の写真が貼ってあります。誇り高きご主人でした。



樹齢500年の須賀神社のクスノキ。



「これより西、田中領」と書かれた石碑。国境の石碑は度々見かけるが、藩領の境を記した石碑は見た記憶がない。

色々調べてみると、どうやらこの先は美濃(岐阜県)の藩である岩村藩の飛び地になっていたので、田中藩としては他所の国の藩との境界をはっきりさせたかったからというのが理由じゃないかと思います。



朝比奈川を渡ったところにあった「あげん台」。

調べてみると、この地の伝統行事でお盆の夜に松明を、この上部の駕籠に投入れるというものだそうです。

五山の送り火もそうですが、こういったお盆の時期の火を使った行事は先祖の霊を祀ることや疫病や水害を無くすように祈ることと関連があるように思います。



「これより西、岩村領」。こちらは木造なので、近年のものです。案内板を読むと、この集落の横内は岩村藩に所属していたとある。

岩村藩は美濃の藩なのにこの駿河の国にここを含めて15の村を飛び地で所有していたと書いてあります。

岩村藩が飛び地を所有した経緯を調べてみると、岩村藩主が老中に出世した際に幕府から与えられたとあります。案内板にも「5千石」とありますが水田の少ない美濃国の藩主にとっては大変喜ばしかったに違いありません。能登守、松平 乗賢(のりかた)、さすが老中!



岡部宿が近づいてきました。この5体の仏像は五智如来像といい、口のきけないお姫様の母君が祈願したところ、姫様は話せるようになり、良い大名のもとに嫁ぐことができたという。

石仏の石は、この先の焼津アルプスの最高峰、高草山(501m)で採れた石材だと書かれている。

右は観光案内センター。明るい職員さんでした。



溝を渡しているだけのようですが、「小野小町の姿見の橋」らしい。岡部宿の手前です。

晩年の小野小町が東国へ向かう途中にこの橋の上で小川に映る自分の老いた姿を見てため息をついたという伝説。

Wikiを見ると小野小町は生没年不詳で、生誕地も墓も全国にあるようです。



岡部宿本陣跡が公園と歴史館になっています。

岡部宿は旅籠27軒と小ぶりの宿場町ですが、この先が宇津ノ谷峠の難所であったので、休む旅人が多かったそうです



アジサイがとてもきれい。奥には写真展の準備で写真家の方々がにこやかに作品を設置されていました。



アジサイの花手水。



足を洗いながら語らう旅人たち(の人形)。



岡部宿を過ぎて宇津ノ谷峠に進みます。途中、交通の激しい国道沿いを歩くのですが、国道と高速道路はトンネルの中に入って、突然のように景色が変わります。



広重の岡部宿も、宇津ノ谷が描かれています。いつもながら少し大袈裟ですが。



途中から舗装されていない道を登って行きます。



ちょっとした登山気分でいい感じの道です。右上にあるのは旅人の安全を願う日蓮宗の石碑。



途中すれ違った若い女子ハイカーが「倒木があるので気を付けてください」と言っていた通りに見事な倒木?がありました。5月に到来した季節外れの台風のせいでしょうか。



宇津ノ谷集落入り口の馬頭観音。朝にお供えした花でしょうか。



観光地化されていない昔ながらの小さい集落です。宇津ノ谷は茶店がある間宿になっていたようです。名物は小さな団子を十個紐で通した「十団子」。

暗い物騒な峠道で十団子は魔除けの効力もあったとか。



藤枝宿から薩埵峠の先までが日本遺産に登録されているようです。この先、国道の手前に明治のトンネルという名所があるようですが、先が長いので寄り道せずにスキップしました。

標高140mほどの峠の集落で心なしか涼しい。



再び交通の激しい山間部の国道に戻ります。途中の道の駅で少し休憩。



国道をやり過ごして、丸子宿に近づいてきました。これも美しいアジサイ。



丸子宿。「まりこ」と読むので「鞠子宿」とも書かれる。

丸子宿は旅籠24軒の小ぶりな宿場町でしたが、安倍川の川止めの際には多くの旅人で賑わいました



上の写真の丁子屋を描いた広重の鞠子宿。

名物はとろろ汁で、東海道中膝栗毛では弥次喜多がとろろ汁を食べようと店に入ると、店の亭主と女房が大喧嘩をしていて、ひっくり返ったとろろ汁に滑って転げまわったという話になっている。



丸子宿を過ぎて国道沿いの道を下って行き、JR安倍川駅で今日は終わりとします。



JR安倍川駅からローカル線で一駅の静岡駅で下車、今回2泊3日の宿である「オーレイン」にチェックインしました。

静岡駅前の繁華街には筆者が良く行く焼き鳥屋「秋吉」の静岡店があるので、夕食にしました。筆者が愛用している大津駅そばの秋吉は平日4時半にオープンして5時には満席になるので、こちらの秋吉も開店5時前に行きましたが、客は数人でした。

関西の秋吉は男性客は「いらっしゃい!社長」、女性客は「お嬢ちゃん!」。客が1人だと「10名様ご来店!」といった感じですが、こちらは普通の接客。やはり関西のノリが通じないのでしょうか。残念。

味もちょっとキレがないような気がしました。といっても2日連続行きましたが...

写真は秋吉とは関係ない静岡駅前のお店です。

旅の続き、2日目はコチラです。



2026年6月6日土曜日

【京都】音羽山(滝巡り、牛尾観音コース)

 京都の山科と滋賀に接する音羽山は何度か登っていますが、今日は奥さんが登ったことがないというので一緒に登ります。

途中にあったコースの案内図です。左が北方向なのでややこしいのですが、今回のコースは黄色で示したコースで、音羽川沿いにいくつかの滝めぐりをしながら牛尾観音を訪ねて、音羽山山頂を踏んで北に下山する行程です。

このコース図を見ると、音羽山より南方面(右方面)にいくつかまだ歩いていないコースがあるので行ってみたいと思いました。


これが今回のルートです。約9kmを3時間半で歩きました。累積標高550mの軽登山です


京阪電車の追分駅で降りて、国道や高速道路をやり過ごして音羽川沿いの道に入ります。道標に「左、牛尾山、右、音羽醍醐」と書いてあります。

この道は牛尾神社につながる牛尾道と呼ばれています。


白石神社。御神体は巨石で、後ろには石切り場があったと書かれています。



露山水車の後ろに咲いていた紫陽花。露山水車はちゃんと石臼があって蕎麦の実がつけるようになっている。


眼下に音羽川が流れています。浸食された花崗岩なので名前のわりには厳しい景観です。




大師堂。この下を新幹線のトンネルが走っている。



お経岩。この像は弘法大師。岩の中で大師がお経を詠んだと言われていますが、中は空洞にはなっていなさそう。

この岩の裏手にはクサリ場があるようで、この山が修験道の山であることを示しています。花崗岩質の山はその性質から厳しい山容となり、結果、修験者が集まります。



色々な滝が出てきて全てを紹介しきれませんが、これは聴呪の滝という名前がついている。滝の音が呪詛に聴こえたことが由来のようです。滝の右側の岩には赤ん坊のような石彫りが施されています。

修験道は空海が正式に密教を日本に持ってくる以前に何かしらの形で日本に伝わったものに、日本独自の山岳信仰と混淆してできた信仰なので、呪術が重んじられています。

先日、奈良国立博物館で開催されていた「神仙の山 吉野・大峯」を見に行ったことを思い出しました。




音羽の滝。数あるなかでこの滝が一番立派なのでしょう。

清水寺の山号は音羽山で、「清水」は音羽の滝のことを言っています。

なので清水寺の発祥はこの音羽山かと思うわけですが、清水寺は移転したとは言っていません。



ここから方向を北東へ変えて牛尾観音に向けて登って行きます。このあたりは桜の馬場という名前の広場になっていて車でキャンプに来る人もいるそうです。

ここからもつづら折りの舗装道路で牛尾観音まで行けますが、我々は黒門を通って長い階段道を登ります。



舗装道路側の入り口にたつ赤鬼と青鬼の門番。



牛尾観音、正式名称、法嚴寺に到着。9年ぶりです。

法嚴寺の開祖は奈良時代の僧の延鎮(えんちん)上人で778年に創建されたことになっています。

前にも書きましたが、清水寺も778年に延鎮が創建したことになっています。普通に考えれば、法嚴寺が元祖の清水寺で、その後移転されたと思うのですが、清水寺としてはどうやら認めたくないらしい

御本尊はどちらも十一面観音菩薩で、同じ木から彫られた兄弟の仏像だということになっており、法嚴寺は「清水寺奥の院」という位置づけです。

法嚴寺のサイトを見ると、現在大規模補修工事が必要でクラウドファンディングで寄付を募っておられます。

毎日大量のインバウンド来訪で、巨額の富を蓄財しているはずの清水寺が、援助してあげれば良いのに...と奥さんと話していました。



裏手に廻ると滝行の場所があります。「修行できます」と書いてあるのでお邪魔して覗いてみる。



滝の水は流れ落ちていませんでした。



牛尾観音でコーヒー休憩をしてから山に入ります。奥が山に入る階段になっています。

手前が西国三十三箇所、後ろが四国八十八箇所になっていて、奥さん曰く、それぞれ観音像と大師像の周りをぐるりと廻ると、全部周ったことになるそうです。

こういうのを「お砂ふみ」と言ってありこちにあるそうで、全部のお寺から集めてきた砂が撒いてあるとか。



牛尾観音から30分ほど登ったところにある牛尾山(510m)。山といっても尾根道の一箇所なだけです。

ここから少し寄り道するとパノラマ台があるのですが、奥さんが嫌そうなので音羽山に向かいます。



牛尾観音から1時間弱で音羽山山頂に到着。少し曇っていますが、こちらは京都市内の景色。左奥に愛宕山が見えます。



右方面を見ると琵琶湖と大津市内。奥には比良山が見えます。音羽山からの景色は初めて見た時は感動したのですが、若芽が景色を邪魔しているせいか、普通に良い景色といった印象。

送電線もロープウェイのように派手に景色のなかに入っています。



ランチを食べて、逢坂の関に向けて北方向へ下山します。途中に石山寺ルートの分岐があります。この道も以前歩いた。



下山道は急坂が多いです。石畳の階段は降りやすそうで、足首を捻るので要注意。



ランチ後約1時間で逢坂の関の国道に出てきました。



こちらが「知るも知らぬも~」の逢坂の関。このそばに有名なうなぎ屋さん「かねよ」がありますが、ランチを食べてしまったのでお店の前を通過して京阪電車の大谷駅から帰路につきました。