姫路から備前までの3日目(最終日)です。
姫路のホテルを8時前に出発し、通勤通学で賑わう姫路駅から姫路城を眺めた後、山陽本線の相生駅を通過して昨日の終点の三石駅まで戻ります。
三日目の記事で紹介した場所をコースにプロットしてみました。
三石駅そばにある創業明治25年の三石耐火煉瓦。レトロでおしゃれ。「We Love Bricks」って書いてある。備前市は耐火レンガシェア全国一だそう。
山陽本線の下のレンガのトンネル。レンガってなんかいいですね。
ロウ石と言えば、子供の頃によく舗装道路に書いて遊びました。カカシノケンパとか。昭和風物詩になってしまいましたが。
ここからしばらく2号線の歩道を歩きますが、誰も歩いていないので大型トラックがビュンビュン走ります。まだガードレール付きの歩道があるので助かります。
備前ICの入り口に来ました。車は100キロ近い速度で走るし、「この先歩けるんか?」とかなり不安になりましたが、下のトンネルをくぐって右に抜ける歩道がありました。ヨカッタ。
2号線の脇に抜けると急に異世界のような集落に出ます。八木山薬師堂。旧和気郡八十八カ所霊場の一つになっています。
いい表情のお地蔵さん
閑谷(しずたに)神社の社。閑谷神社の本体はもうちょっと北にあります。
閑谷神社は閑谷学校の横にあり、閑谷学校は岡山藩主だった池田光政が江戸時代の初めに創設した日本で最初の公立学校です。
士農工商の階級社会であった江戸時代に、武士でも百姓の子供でも誰でも入学でき、しかも他藩の子供でも受け入れたというのが驚きです。
街道の面影を感じる道。社の後ろにはレンガが。閑谷学校の屋根もレンガが使われていたそうです。
一本松集落の火の見櫓。
2号線沿いにある備前焼のギャラリー。お茶も飲めるとあったので、休憩に寄ってみました。お店のオーナーらしき快活なおばさんと大阪、京都についておしゃべり。
備前焼の特徴は釉薬を使わない野趣な味わいで、伊部で採れる干寄(ヒヨセ)と呼ばれる鉄分を含んだきめ細やかな土が、高温で焼かれたときに生地を引き締めて硬くて丈夫な地肌を作ります。
赤穂線備前片上駅を過ぎたところにあった天神宮。このあたりの赤い宮獅子は備前焼なのが特徴。
赤い宮獅子も面白いのですが、土台が方形の石ではなく自然の岩場に見立てた石造りになっているのが興味深いです。山岳信仰が関係しているのでしょうか。
備前市役所の前を進みます。背景のような低山は姫路を越えたあたりからいたるところにあるのがこの地域の特徴。瀬戸内をはさんだ讃岐も同じような地形です。
西片上駅近くの宇佐八幡宮。手前に片上宿の標識があります。南北朝時代の神社で足利尊氏が大分の八幡宮の総本山である宇佐神宮に戦勝祈願をしたあと、神戸での楠木正成、新田義貞との最終決戦の前に備前に宇佐神宮を勧請したのが始まりだそう。
この神社のみどころは高さ1.4メートルの大きな備前焼の宮獅子です。江戸時代後期の作。左側なので口を閉じています。
一般的には左で口を閉じているのが狛犬で、右で口を開けているのが獅子だそうですが、これはどう見ても獅子です。
片上湾にそそぐ川にある史跡碑。前海屋という名前の遊郭があったそうだ。明治24年に遊女12名を有したと書いてある。備前焼で稼いだ若旦那が足繁く通ったのでしょう。
ここから茶臼山の峠を越えます。2号線はこの下のトンネルを通過。峠の上には茶屋跡があります。お夏という看板娘で有名だったそうです。
調べてみると、お夏という女性は井原西鶴の浮世草子や近松門左衛門の人形浄瑠璃にも取り上げられた江戸時代の有名人だったようです。
お夏は姫路城下の大商家のお嬢さん(いとはん)だったのですが、店で働く清十郎と駆け落ちしてしまいます。その後、清十郎は捉えられて、お夏の店の金を持ち逃げしたという無実の罪を着せられ打ち首にあってしまいます。
清十郎を愛していたお夏は狂乱して行方をくらました...というのが井原西鶴の「お夏清十郎」ストーリー。
この茶臼山のお夏茶屋というのは、行方をくらましたお夏が働いていたという説明で、近くにはお夏の墓もありますが、怪しい話です。
お夏清十郎は美空ひばり主演の映画にもなっています。
(Wikipediaより)
いよいよ備前焼の窯元やギャラリーがならぶ通りにやってきました。
後ろの煙突のレンガも備前耐火レンガでしょう。
天津(あまつ)神社。このあたりの陶器の神様でもあるようです。屋根瓦やしゃちほこも備前焼。
数多くの備前焼のギャラリーのお店が並んでいます。今回の西国街道歩きで最も活気のあった通りでした。
通りにあった休憩所。椅子や机だけでなく、炊事場やパソコンまで置いてあります。こういう公共スペースが存在できる日本ってやっぱりいい国だなぁと思う。
ここで、持参したどん兵衛そばを食べてランチにしました。
不老川にかかる橋。なかなか風情があります。
備前焼ストリートを抜けてしばらく歩くと雨がパラパラ降ってきました。大ケ池沿いのベンチでレインウェアに着替えていると、山陽新幹線が通ったのでパチリ。
熊山ふもとにある大内神社。
街道沿いの醤油やさん。このあたりは、新しめのお店もいくつかあり活気を感じます。備前焼ギャラリーを訪ねた観光客が立ち寄るからでしょう。
香登キリスト教会。明治28年創立だそうです。キリシタン禁止令が解除されたのが明治6年なので比較的古い教会です。
このそばに赤穂線香登(かがと)駅があるので、今回の旅の終着駅とします。この先、約2時間の距離に山陽本線上道(じょうとう)駅があるのですが、雨が降っているのと、腰が痛くなってきて、さらに2時間歩くのがキツそうなので。
赤穂線香登(かがと)駅。実にシンプルな駅です。
赤穂線は瀬戸内市の吉井川の南側をぐるっと周っていくので、岡山駅まで9駅もあります。
黄色い電車がやってきました。単線なので途中で逆方向の電車とすれ違いのため5分ほど停車しました。
車窓から見ると瀬戸内市は岡山市から通勤圏内ということもあり比較的新しそうな家も多くて活気が感じられました。さらに瀬戸内海側へいくと別荘地で有名な牛窓があります。
今回の旅は一日あたりの距離は3万歩程度で少なかったのですが、やはり3日連続で歩くと負担が大きかったです。
次回はいよいよ岡山市に入ります。井原線沿いの矢掛宿は旧街道の名残りが濃い場所らしいのでとても楽しみです。
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