2020年2月2日日曜日

長谷寺と阿部文珠院

長谷寺は、初瀬街道(はせかいどう)にある真言宗のお寺です。

初瀬街道は、大阪と伊勢を結ぶ街道で、同様に大阪-伊勢間の街道は、伊賀街道が北に、伊勢本街道が南にあります。

三重県のホームページに街道がまとめた図がありました。わかりやすい。



長谷寺がある初瀬山は、三輪山よりも奥まった場所にあります。


近鉄大阪線の長谷寺駅から歩いて20分ほど。ちなみに、先週三峰山(みうねやま)に登った時に、その次の駅の榛原駅に来ています。


駅を降りると商店街の入り口。今は、世界中がコロナウィルス騒ぎになっていて、インバウンドの観光客はほぼゼロ。


旧街道沿いだけあって、歴史を感じさせる家屋が並びます。


温泉も出るのですね。


昔から何も変わらないようなお店。


歩くのも楽しい商店街。


菅原道真の先祖が初瀬出身ということで、與喜天満という神社が途中にあります。


売店で出来立てアツアツの草餅をかじりながら歩くと長谷寺に到着しました。


こちらが境内地図。かなり広く、じっくりと一周すると2時間くらいかかります。

創建は奈良時代にまでさかのぼります。


仁王門。平安時代のオリジナルは焼失して、明治に再建されたもの。


仁王門のすぐ後ろには長い登廊(のぼりろう)が続きます。


屋根から吊り下げてある灯篭には、名前が書いてあります。どうやら歌舞伎関連の名士のような。


傾斜はそんなに強くないのでしんどくはない。



登廊の側には、菰をかけて寒さから守られた牡丹の花が咲いています。
初瀬山は昔から牡丹で有名なそうです。


常夜灯がとても多く並んでいます。ここまでたくさん建てなくてもいいんじゃないかと思います。昔は蝋燭を立てるのも大変だったのではないでしょうか。


本堂にたどり着きました。左の建物は鐘楼です。


角度を変えてもう一枚。写真を撮り忘れましたが、登廊側の前面は懸造りになっています。安土桃山時代に建てられたものを江戸時代初期に建て替えたものです。


賓頭盧(びんずる)。「おびんずるさん」と親しまれている仏陀の弟子の一人。
病を治す神通力を持っていて、あまりにもその力を使いすぎるので仏陀から怒られたというエピソードがあります。

お堂の前に置かれて、お参りする人は悪いところを撫でて直してもらうようになっています。


清水寺のように懸造りの上には大舞台があって、周りを囲む山々を眺めることができる。


この本堂の名前、大悲閣。


長谷寺のホームページより。ご本尊の十一面観音像。右手に錫杖(しゃくじょう)をもった観音像は珍しいらしく、長谷寺式というスタイルだそう。


本堂を抜けて登っていきます。振り返ると初瀬山を背にした本堂が。
よい景色です。


本長谷寺。大海人皇子こと天武天皇の勅願で創建されたという古い歴史から、「本」長谷寺と言われています。お堂はとても小さく、中はこのようになっています。ガラス越しで撮影禁止ではありません。

中央にあるのが、銅板法華説相図(どうばん ほっけせっそうず)というものです。ここにあるのはレプリカで、本物は奈良国立博物館にあるそうです。



長谷寺ホームページ載っている本物の写真。真ん中にあるのが毘沙門天の宝塔で、初瀬川に流れ着いたのをお祀りするために建てたのが長谷寺ということです。


本長谷寺のすぐ横にある五重塔。近くで見るとそんなに技巧を感じないのですが、やはり昭和になって建てられたものだそうです。


さらに西の奥の院に向けて歩いてきます。



坂に沿って数多くのお墓があります。整然と並ばず、バラバラになっているのが古さを感じさせますが、自分の家の墓がどこにあるのか忘れそうです。


奥の院の陀羅尼堂。陀羅尼(だらに)とはお経であり呪文であるようなもの。何を言っているのかわからない、ということでしょうね。


暖冬のせいか、すでに梅の花がちょこちょこと咲いています。


こちらはお坊さんたちの本坊。


本坊からミニバンが出ていきました。


茶室があります。


長谷寺観光を終えて、ランチににゅうめんセットを食べた帰り道に、文化財の家屋のカフェを見つけて、いい感じだったので入りました。


銅鑼で主人を呼び出します。



こちらがお庭。実は、古い家屋の中にも整然と美的感覚のある部屋を期待していたのですが、普通の田舎のお座敷でした。でもご主人が淹れてくれたコーヒーは美味しかったです。コロナウィルスのせいで、お客が来ないと嘆いていました。


長谷寺お参りのついでといってはなんですが、近鉄線の桜井駅で下車して、安倍文殊院を訪ねます。桜井駅からバスで7分。

こちらは駐車場にあった境内案内図。


本堂です。


ここの見どころは国宝、渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)です。これだけで、十分見応えがあります(ホームページより)
文字通り、雲海を渡り説法を広めて旅をしている様子を現しています。

巨大な獅子の上に乗っているのが、文殊菩薩で、右手に魔を封じる剣を、左手に慈悲・慈愛をあらわす蓮の花を持っています。快慶の作。


善財童子(ぜんざいどうじ)。「はい、何でございましょうか?」と振り返る姿が、ユニークです。53人の師から教えを受けたそうです。多すぎるような気もしますが。


こちらは維摩居士(ゆいまこじ)。釈迦の在家弟子で富豪だったそう。


この維摩居士、逸話があり、彼が病気になったので、釈迦が弟子を見舞いに行かせると、説法論議となり、弟子がやり込められてしまい、誰も行きたがらなくなったので、釈迦は最後の切り札の文殊菩薩を見舞いに行かせたそう。

見舞いに来てくれた人に言いがかりをつけるとは、その時点で求道師としては失格なのでは?

維摩居士の考え方は、敢えて仏道に背く生き方をしつつ、それに囚われないようにすることが真の悟りの道だということ。なんだか富豪の爺さんが都合の良いように言ってるように聞こえますが。。。



こちら文殊院では入場券に抹茶が付いてきます。一服。


金閣浮御堂。ここは別料金。


十一面観音像。


こちら展望台からの景色です。今年はネズミ年。文殊院は学問の神なので、合格祈願が。


右手に耳成山、左には香久山が見えます。


こちら晴明堂。大化の改新の左大臣であった安倍氏が氏寺として建立したのが文殊院の始まりで、かの有名な平安時代の陰陽師、安倍晴明もここで陰陽道の修行をしたということでお堂が建てられました。

安倍晋三も安倍氏の系列で石灯籠を寄進したそうです。


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