人工は約300人で主に漁業を営み、琵琶湖全体の漁獲高の半分が沖島です。
これが今回の登山ルート結果です。手前がケンケン山(178m)、奥が蓬莱山尾山(220m)という二つの山が尾根でつながっています。帰りは蓬莱山尾山からすぐに下山して湖沿いを歩いて漁港に戻るルートです。
この写真は2018年5月に武奈ヶ岳に登ってヤケ山まで行ったときに見えた景色ですが、琵琶湖の向こう側にカニの右手のハサミのように見える場所が沖島で、行ってみたいと思った次第です。
これが沖島のマップ。左下から黄色の点々に従って見晴らし広場まで行きます。
「もんてみて」の「もんて」とは「戻って」という意味らしく島で生まれた人に戻ってきてほしいという切なる願いを訴えています。
沖島への行き方ですが、JR近江八幡駅から近江鉄道バスが出ています。9:40に乗って堀切港に10:12に到着。それに接続するように港から10:15発の船が出ています。
乗客は30人くらいで、半分くらいが島民っぽい人たちです。全部で50人くらいは乗れそうです。
15分ほど船に乗ると沖島漁港に到着。
昭和な雰囲気の街並みです。この島には車が走っていません。「静けさ」という音があるとしたらそんな音が聞こえてきます。
手書きの地図がはってありました。味わいがあります。
電信柱の手前にケンケン山の方角を示す看板があります。
ここが登り口。
屋根の連なりが昔の日本っぽくていいです。マンションやアパートは見当たりません。
いよかんでしょうか。漁港に島の背景がよく合います。
しばらくお墓の横を歩きます。
ケンケン山。「見景山」の読み仮名のようです。
登山道らしくなってきました。登山靴やストックはなくても登れますが、あったほうがいいです。特に蓬莱山尾山からの下りは急なところがある。
お花見広場に到着。湖の向こうに見えるのは武奈ヶ岳その他の山々。まだ積雪があって美しい。
近江八幡側の山々。右は長命寺山だと思います。
遠くにうっすらと近江富士こと三上山(みかみやま)が見えます。
尾根沿いを歩きます。天気がよいので非常に気持ちがよい。
蓬莱山尾山の頂上にある見晴らし広場に来ました。11時過ぎですがおにぎりと青さ汁をいただきます。ヤマレコを見るとまだ先にいけるようですが、立ち入り禁止になっています。それに反して行ってみましたが特に景色もありませんでした。
近江側の半島が島のようにみえます。左側に伊崎寺があるはず。
ここからの下りは少し急坂で、時々ロープが渡されています。ストックを持ってきた方がよいでしょう。
これが「dの木」と呼ばれる木です。なんでこんな形になったのでしょうか?
ヒノキかな。なかなか立派な木です。
下まで降りてきました。
漁港と反対側の方向へ歩いていきます。大根など野菜を植えている畑がありました。
スイセンの花です。
白い梅が咲いていました。
島の北東にある厳島神社。
怪石があると由緒記に書いてある通り、巨大な岩がせり出しています。
以前は沖島は漁業の他に石材の産出が盛んであったそうですが、調べてみると、沖島の岩は、湖東流紋岩と言い、調べてみると琵琶湖の東には太古の昔にカルデラ爆発があったそうです。カルデラ爆発については昨年10月に訪れた古座川の一枚岩の記事で解説していますが、フィリピン海プレートがユーラシア大陸の下に潜り込み、そのマグマの熱で地表がズドンと陥没し、その勢いで噴出した溶岩が山を形成するというものです。
湖東流紋岩は丈夫で耐久性があり織田信長の安土城や彦根城の石垣としても使われました。
厳島神社のようです。
さて漁港にむけて歩いていくと校庭も兼ねているのか広場と学校がありました。
明治8年から続く由緒ある小学校。島の小学生は10名未満ですが、島外から船で通っている学生が20名近くいるそうです。木造だけど決してボロイ感じがしない建築です。沖島の誇り、と思われているのでは?
小学校のそばに小さなコーヒーショップがあったので淹れたてのコーヒーをいただきました。そこに置いてあった冊子です。信長が専用漁業権を与えたというくらいなのでかなり漁業が盛んだったのでしょう。
「沖島ではかつてはセタシジミやホンモロコ、ニゴロブナなどの固有種が重要な漁獲だった」と書いてありますが、ホンモロコは琵琶湖以外でも養殖されているようです。ニゴロブナはふな寿司の材料として最適だそうです。
船の時間が14時で、まだ時間があるので漁港からさらに南に行ってみます。前にあるこんもりとしている山は名前は定かではないですが、沖島全体を観音様が寝ている姿として観音様の頭と言われています。そこにある沖津島神社を訪ねます。
昭和を彷彿させる景色。
漁村の民家のすぐ裏に鳥居がありました。
境内から下を眺めた図。
漁港のすぐ前で、鮒ずしの仕込みでしょうか、鮒の内臓を取り出して塩を入れる作業をしていました。その下ではむかれたタテボシ貝がいっぱいプラスチックケースに置かれていました。
そのタテボシ貝を黒ネコが時々盗んでいるのですが、鮒ずしのおっちゃん達は気にもとめないご様子。
なんでも以前増えすぎた島の猫達を全て駆除した結果、駆除を実行した数人の人たちが全員なんらかの理由で死んでしまったそうです。それから猫はほったらかしにしているそう。
コワい話ですね。
そうこうしているうちに14時の船がきたので乗船。
14時の船は10分後に堀切港に到着しましたが、堀切港から近江八幡駅までのバスは接続が悪く1時間以上来てくれません。待っていても面白くないので、歩き出します。
このあたりは近江牛の産地になっているようです。牧場という名前ですが、狭い牛舎にいれられているようです。牛の姿は見えませんが。独特のにおいがプーンと鼻につきます。
近江八幡駅まで約10km弱の道のり。途中には水郷めぐりの船着き場が何軒かありました。水郷めぐりについては記事にしていますので御覧ください。
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