2019年3月9日土曜日

山背古道 玉水~長池【梅】

去年9月に木津から玉水まで歩いた山背古道の続きです。

京都からのやまと路快速を玉水駅で降りると静かな空気が待っています。


前回はここまででした。

今回はiPhoneの山背古道アプリを使いました。古い街道を最新技術で紹介することは素晴らしいと思うのですが、残念ながらマップがイラストのようなもので、その上、GPSの更新が頻繁に止まるので使い物になりません。

山背古道沿いの道にはときどき山マークがあるのですが、それでも曲がり角が非常に多く、正確に辿るのは至難の業です。


今日は3月初めですが、とっても天気が良くR2ジャケットだけで気持ちよく歩けます。


山側から西方向を眺めると広大な平野になっています。ずっと先には木津川が南北に流れています。


玉津岡神社に向けての登り坂。


小野小町の墓。小野小町はマルチタレントの小野篁(たかむら)の孫と言われているようですが、生没年や生死地は不詳だそうで、小野小町の墓も東北から九州まであちらこちらにあるようです。

この石積みは、小野小町のイメージとちょっと違うような気がします。

「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりに山吹の花」

これは小野小町が実際に井出の玉川を訪ねて詠んだ歌とされています。桜ではなくて山吹なのですね。ちなみに山吹と蛙は和歌ではセットだそうです。


玉津岡神社への途中の素晴らしいしだれ梅。


玉津岡神社は大国主命の娘である下照比売(シタテルヒメ)を祀っています。大国主命が治める葦原中国をアマテラスに譲るように使命をおびたアメワカヒコは、大国主命に迫るどころが大国主命の娘のシタテルヒメに一目ぼれをしてしまい、アマテラスの使いに矢を放つようになってしまいます。この辺はまだまだ話が続くのですが、省略。

神話のストーリーラインは神々の行動原理に意味不明なものが多いです。


創始は橘諸兄(たにばなのもろえ)。以前の名を葛城王で臣籍降下して橘姓を名乗ります。

伏見稲荷大社のような鳥居。



すぐ近くにあるのが地蔵院。しだれ桜が有名ですがまだつぼみも小さい。


山背古道はほとんどが普通の道路ですが、このあたりだけが古道っぽい。


おそらく古くからの石垣なのだと思います。


井手町マップ。「山吹ハイキングコース」というのがよさそうです。春には行ってみたい。


農家の敷地みたいな中を通ります。


梅が青空に映えています。


高神社のすぐ横に谷川ホタル公園があります。結構広くて川沿いに石段があり、そこに腰かけて、いつものおにぎりx2と豚汁をいただきます。

ちなみにこのマットはオススメです。お尻がいたくないし、断熱効果も抜群です。おりたたんでザックに忍ばせておけます。モンベルのマットよりもいいです。モンベルは以前落としてしまいました。



高神社(たかじんじゃ)への階段。聖徳太子のお爺さんである欽明天皇が創立に関わっており、創始は玉津岡神社と同じ橘諸兄(たちばなのもろえ)のようです。


明治27年、28年、日清戦争での勅諭。


これは日清戦争よりもっと古そう。武士が獅子の怪物と闘っています。




市辺天満神社の立派なクスノキ。


このあたりから梅が咲き乱れ始めます。



天満宮。境内な梅を鑑賞しに来た人たちでいっぱいです。


本当に偶然だったのですが、このあたりは青谷梅林でちょうど今日が梅まつりの開催中だったのです。梅林の中は桜の花見のような雰囲気でいい感じに酔っぱらった年配の人たちの憩いの場になっています。

青谷梅林は鎌倉時代からその名を知られており約一万本の梅から梅酒や梅干しが生産されていて、生産量は京都府随一を誇ります。梅干しも売っていたのですが、梅の実は6月に実るので去年の梅干しです。



長池陸軍演習場への案内の石碑が残っています。青谷梅林のさらに北東の敷地が射撃訓練などに使われたようです。


もう少しで城陽までだったのですが、予定があり、長池にある大蓮寺の鬼瓦を見て今日は長池駅から京都へ帰ります。


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