Wikiによれば、二上山は正式名称は「にじょうさん」と読むようですがかつては「ふたかみやま」と呼ばれたそうです。
奈良時代以降、中国語読みのほうが箔がついたのでそうなったと思いますが、「ふたかみやま」のほうが親しみやすい気がします。
二上山は大阪府と奈良県の境にある生駒山地と金剛山地の間、ちょうど金剛山地の稜線がせり上がってくるあたりに位置しています。その名の通り、頂上が二つある山で、雄岳が517m、雌岳が474mの標高です。
今回のルートマップです。166号線沿いの二上山駐車場から時計回りに進み、雄岳、雌岳を通って下山します。
歩いた時間は2時間ですが、軽く岩を登る箇所や、奈良時代の史跡もあり、頂上からは大阪平野が見渡せるので、お手軽に登山が楽しめる山かと思います。週末ということもあり登山客もとても多く人気があるようです。歩いた距離は3.6km、累積標高約400mです。
今回は筆者が数ヵ月前に購入した車で送迎することになりました。京都駅に8時集合、名神、近畿、南阪奈と乗り継いで二上山駐車場に着いたのが9時40分でした。
国道166号沿いにある駐車場は40台くらいのキャパはありますが、ほぼ満車でした。それでも登山口付近にも数台駐車できそうなスペースはありました。
今回は右回りの周回コースなのでレストハウスの前を通って登山口に進みます。
今日は筆者を入れて5人のパーティーです。天気は上々。
駐車場があった国道166号線になっている道は竹内街道と言われ大和国(奈良)と河内国(大阪)を結んだ日本最古の官道だったそうです。ちなみに去年は日本最古の道と言われる山辺(やまのべ)の道を歩きましたが、こちらも勿論奈良ですが飛鳥時代よりも前の古墳時代です。
案内図によれば歴史散策好きの人は、鹿谷寺(ろくたんじ)跡から右の二上山頂上(雄岳、雌岳)に向かう代わりに左の「ろくわたりの道」を歩いて孝徳天皇陵に向かうのが人気のようです。
登山口から10分ほど歩くと鹿谷寺(ろくたんじ)跡に着きます。案内版によると8世紀ごろ(奈良時代~平安時代)の寺院で、石切り場跡に建てられたと書いてあります。
このあたりの地質は凝灰岩で加工がしやすいので好んで石材に使われました。
凝灰岩は火山の噴出物が固まってできた岩なので軽石ほどではないですが土木技術が低かった飛鳥時代や奈良時代では割ったり運んだりするのに向いていたのでしょう。
二上山の凝灰岩は高松塚古墳や平城京の基壇にも使用されていることが確認されているそうです。
案内版にあった奈良時代当時の推定図。左の十三重塔は案内版によるとここにあった凝灰岩の巨岩を削って作ったものだそうです。
二上山の凝灰岩、つまり火山があったというのはピンときませんが、これは日本列島が今の形になった歴史と関係があります。
約2000万年前にユーラシア大陸から分離された部分が黄色の中央構造線の上部(ユーラシアプレート)ですが、その後、フィリピン海プレートが下に潜り込みます。
下に潜り込むフィリピン海プレートがユーラシアプレートの端にぶつかってシワになって盛り上がったのが付加体とよばれる中央構造線の下部であり、地下に潜ったフィリピン海プレートによって熱せられて中央構造線に近いユーラシアプレートの部分ではポツポツとマグマが吹き出しました。
四国の北部や岡山、広島の南部では地表のニキビのようなポツポツした山が多いのはそれが理由だと思います。二上山で凝灰岩があるのも同じ理由でしょう。実際、讃岐地方に行くと、その景色が、大和三山と言われる耳成山、香久山、畝傍山に似ているのがわかります。
地図上では随分と離れている二上山と讃岐地方ではサヌカイトとよばれる硬い石がとれるのが面白いですが、二上山では硬いサヌカイトが石器に向いていたので古代から人が住み着いていたそうです。
鹿谷寺を過ぎて登って行きます。凝灰岩の岩場が多いのですが、登りにくいことはありません。
途中でPL塔が見えました。天理教とごっちゃになりますが、別の教団(パーフェクトリバティー教)でした。
岩の目が粗いせいか滑らずに登れます。
登山口から1時間ほどで雄岳(517m)に到着しました。
雄岳頂上付近にある葛城二上神社。レンガ塀になっていて切妻屋根がなければ神社とは思えません。調べてみると祀られている神はオオクニヌシと同類の古い神、つまり大和朝廷に征服された土着民側の神様のようです。
サヌカイトを求めて古くから住み着いた古代人が後からやってきた大和朝廷に追われたという流れが読み取れます。
葛城二上神社のすぐ横にあるのが葛城経塚二十八宿。これは和泉山脈から金剛山地(今で言うダイヤモンドトレール)にある28箇所の経塚の一つであり最後の経塚です。
パーティー全員の無事を祈願してくれたTさん。
同じく神社の横にあったのが二上白玉稲荷大神。古くから豊かな実りを見守り続けてくれた神様なのでしょう。
ここで恒例のおやつタイム。S氏が自家焙煎のコーヒー豆を携帯ミルで挽いてくれました。マフィンとカヌレで欧州風のひとときを楽しく過ごしました。
雌岳(474m)にやってきました。雄岳とはずいぶん異なりここはちょっとした公園のようになっています。周りに植えられたソメイヨシノが春のうららかさを豪華に演出してくれています。
大阪平野が一望できます。天気はいいのですが黄砂のせいでもやがかかっていて残念。それでもウメダのオフィス街やハルカスが見えます。
頂上の日時計がちょうど12時を指しています。日時計の周りの石のベンチは十二支に分かれており筆者も含めみんな、自分の干支の石に座って喜んでいます。
おおさか山の日制定記念。11月第2土曜日だそうです。
さっきおやつを食べたばかりですがランチにしました。12時になると不思議とお腹が空くものですが、今日は消費カロリーを完全に摂取カロリーが上回っています。
下山ルートは行きと違って岩屋を目指して進みます。途中でN氏が「イチゴだ!」と言ったのを、露地栽培でイチゴを育てている筆者が「違う」と返したのですが、Googleレンズで調べるとクサイチゴという種でした。
葉っぱの形も筆者のイチゴ(宝交早生)とは全然違うし、なによりこのクサイチゴにはトゲがあります。イチゴはバラ科なのでバラに似ていても不思議ではないのですが、花以外ではバラに近い。
Wikiで調べてみると宝交早生など一般的なイチゴはオランダイチゴ属のグループで、このクサイチゴはキイチゴ属のグループでした。こちらのイチゴのほうが昔から日本にいたイチゴなのですね。
ちなみにこれが筆者が育てている宝交早生。花はよく似ていますが、葉っぱが全然違いますね。
雌岳から15分ほどで史跡の岩屋に来ました。雄岳にあった葛城経塚の26宿になっています。
石窟のなかには鹿谷寺にあった十三重塔のミニバージョンのような石塔が立っています。
石窟の前に群生している半夏生(ハンゲショウ)。夏に花が咲いて花の周りの草だけが白く変色するので半化粧とも言われています。薬草と書いていますが、解熱作用があるそうです。
1998年の台風で倒れてしまった岩屋杉。樹齢600年だったそうです。もっと長生きできたのに。
この細長い花はムラサキケマン。仏堂に使われる華鬘(けまん)に似ていることが花の名の由来だそうですが、華鬘というのがわからない。調べてみると赤ちゃんをあやすベッドメリーみたいに仏像の周りにぶらさがってるアレでした。
春なので色々な花に出会えます。これはスズシロソウという花です。矩形の花びらが珍しいです。ダイコンの花に似ているそうですが、ダイコンは花が咲く前に収穫してしまうので花を見たことがありません。
案内版にあった奈良、平安時代の石切り場の様子を描いた絵。完全に人力です。
これは今の季節よく見かけるシャガ。
白い桜とよく似ていて見分けが難しいですが、どうやらこれは桃の花のようです。サクラも桃もイチゴもみんなバラ科なんですよね。
上の木のすぐそばに植えてあったのでこれも桃の花じゃないかと思います。桃と桜の見分け方は花の柄が短いのが桃、花びらの先がとがっているのが桃、だそうです。
ため池らしい水場にシャガの葉が輝いています。
お地蔵さんの立つ場所が登山口になっていました。このあと、羽曳野にある延羽(のべは)の湯というスーパー銭湯に立ち寄ってから帰路につきました。
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