もしもこの街道を歩きたいと思われるなら、事前にこのガイドマップを入手しておいてください。絶対に必要です。ただルートを示しているだけでなく、迷いそうなところにはスポットでイラストが描いてあります。二日目最後の方の湯殿山碑のある場所は夏草で道が見えず、このイラストがなかったらあきらめていたところでした。マップはあさひむら観光協会に電話すれば郵送で送ってもらえます。
あと、この本も購入しました。ルート上、名所には看板があり、説明が書いてあるので大体はわかりますが、歴史的背景などよくまとめられているので、旅館で寝っ転がって辿ったルートについてじっくり復習するのが面白かったです。
さて交通手段ですが、京都からは電車も飛行機も乗り継ぎが多く値段もすごく高い。そこで見つけたのが直行バス。出発地点の松根のある鶴岡市へ京都から直行で行ってくれる。本来は鶴岡の人たちがUSJに遊びに行くための路線だが、自分はそれを逆に使う感じ。エスモールバスの夕陽号です。
座席は三列シートでカーテンで間仕切りされる。自分は窓側だったので前後にもカーテンがあり、狭いが、ちょっとしたプライベート空間。カプセルホテルみたいな感じ。
夜行バスなど人生初めてで、寝れないかなと思っていたら意外にぐっすり眠れました。
夜9時30分に京都を出発して朝8時まえに鶴岡のバスターミナルに到着。割引券をもらったのでとなりの第一ホテルで朝食を済ませ、すぐそばのJRの駅を見に行く。ごく普通の駅でした。
2,3か月前に見たときは運行していた鶴岡と松根間の路線バスがなんと土日運休になっていた。仕方がないのでタクシーに乗って松根まで行くと4200円も取られた。この運休にはかなりブーイングがあがっているらしく、時間を限定して運行する方向で再検討しているとか。
本当はスタート地点の弘法の渡しから始めたかったのだけれど、タクシーの運転手が地元の人だと思うのだが、地図に載っている神社など何も知らない。今の人は地元でも歴史には興味もないのだろう。結局GoogleMapでこちらが案内せねばならなかった。
これがガイドマップです。というわけで八幡神社から旅をスタートさせる。
六十里越街道ののぼりが出ていて「ついに来たか」といった感じ。
全国に多数ある八幡神社だが、色というか造りというか何となく見慣れない。やはり東北独特のデザインなのか。
このあたり一面が水田で、遠くに山々が見える。さすが米どころ。
田んぼを周ると庚申塔(こうしんとう)があります。庚申塔は元々道教から来ており、邪気を寄せ付けない役割がありました。
さていよいよ山中に入っていくと、アブがたかってきました。さっそくタイツの上から刺されたので、持参のポイゾンリムーバーで血を出します。初めて使いましたがうまく血を抜けたと喜んでいると、素足の太ももにまたアブが止まってます。
半ば半狂乱になりながら、レインウェアを上下着用。これでさすがにアブに刺されることはなくなりました。ドラッグストアで買った電池式のベープをつけていますがあまり効果があるように思えません。
そうこうしていると雨が降ってきました。
カメラをXperiaに切り替えて、珍しく自撮り。
イタヤとは、どうやらイタヤカエデのことを言うらしい。4本そろって四姉妹。ちなみにイタヤカエデは主に北海道と秋田に分布しているとのこと。
森から抜け出て車道に出たところで急に視界が開けました。ここは十王峠。以前は閻魔大王など十体の木彫りの像があったので十王と言ったとのこと。
昔の人は夏の昼は避けて夜に登ったという。ここにはそんな人々をもてなす茶屋があったそうな。
湧き水好きな私としてはたまらないイタヤの清水。
アブが飛び回るなか、お水を六回かけてから、ペットボトルに補給します。
再び車道から田んぼのあぜ道を歩きます。実はこの写真はじゃっかん間違って歩いたところ。
こちら注連寺(ちゅうれんじ)です。なかなか立派なお寺です。注連は「しめ」とも読み、弘法大師が開山したあと桜に注連縄(しめなわ)をかけ弟子に残したのが由来です。このあたりの地名も七五三掛(しめかけ)といいます。
作家、森敦(もりあつし)の名作、「月山」の舞台になったのがこのお寺、と知ったように言っていますが、まだ読んでいません。是非読みたい。
注連寺を過ぎてマップに従って進みます。
「大網の棚田」と説明板がたっていたので、撮りました。田んぼの風景は好きですが、棚田としてそんなに有名になるほどかな?
大日坊(だいにちぼう)です。こちらも立派なお寺っぽい。こちらは乳母であった春日局が家光を将軍の跡取りにするように極秘に祈願したと言われるお寺。
すこし時間があったので、拝観料を払って中にはいりました。観光客が8人ほどいましたが、まずは激しい太鼓による念仏のあと、お祓いを受けます。巨大な大麻(おおぬさ=白いふさふさした紙がついている木の棒)で一人ひとりの頭をなぜられます。ちなみに昔は紙ではなく麻だったので大麻といいます。
お寺だけでなく湯殿山の由来を別の和尚さんから説明を受けた後、即身仏の部屋で再び説明を受けました。勿論撮影禁止でこの写真は拝観料を払ったときにもらった説明書きです。
この上人さんは即身仏になったときすでに92歳だったそうです。山の中の地中にこもり、徐々に断食をしていき、最後は木の実や木の皮の裏を食べて、あとで腐敗する脂肪分を体から抜いていき(体脂肪ゼロ)、死ぬ直前にウルシの汁を飲んで腸壁をコーティングしてしまうらしいです。毎朝お弟子さんが声をかけると、もはや声が出せない上人は地中から鐘をチロリンと鳴らしますが、ついに鳴らなくなって死んだことがわかってからさらに3年間そのまま保存するという完全に自分で自分をミイラにしてしまう技なのです。
和尚さんいわく、この即身仏の衣装は四年に一度着替えさせて、脱いだ衣装を切り刻んでそれぞれお守りに入れて一つ千円で売っていました。商売道具にされているようでちょっと違和感があります。そういえば、この和尚、みんなの前でハエたたきで思いっきりアブを殺していました。堂々と殺生してます。
こちら正面です。大日如来を祀っているので大日坊と言います。
再び庚申塔。
これは重郎右衛門(じゅうろうえん)清水です。これもおいしい。
道の真ん中にきれいなアゲハ蝶の集団が羽を休めて水を飲んでいます。緑、青、オレンジと微妙に羽の色が違います。
またしばらく200メートルほど登ったら、塞ノ神峠です。湯殿山碑があります。塞ノ神とは、庚申塔と同様に疫病や悪霊から村を守ってくれる役割があります。「強良海」とは木食行者(もくじきぎょうじゃ)の名前。空海の海を名前に付けるのが一般的だそう。
100mほど下ると国道112号にでます。
国道のそばに柳清水があります。この水は、町内で飲用として使われているので立ち入り禁止です。
今日の宿、田麦荘です。
田麦荘の入口に咲いていたクルマユリ。英語ではタイガーリリーというそうですが、確かにヒョウ柄。日本でも冷涼な地域にしか生息しない。
この花は今月中山道でも見たのですが名前がわかりません。
部屋は清潔でとても快適です。お風呂もよかったです。
この宿はお蕎麦屋さんもやっています。さすがにおいしい。
0 件のコメント :
コメントを投稿