2017年8月5日土曜日

犬山城、鵜沼(うぬま)宿から加納宿

前回6月の中山道歩きでは、名鉄新鵜沼駅まで行きました。今回は名鉄犬山遊園で下車してまず犬山城を訪ねます。

駅の前の案内版。犬山城は木曽川沿いに歩けばいいことがわかります。

地図を見ると木曽川では鵜飼いのイラストがあります。鵜飼いは主に夜に観光客向けに行われているようですが、鮎が傷つかないで鵜の喉で気絶するので鮮度が保てるという漁法としても優れたものなのです。



犬山城には、稲荷神社を通っていきます。



現在残っているのは天守閣だけです。登ってみると素晴らしい景色です。これは木曽川を東に眺めたところ。



遠くには御嶽山が見えます。



こちらは木曽川を西へ眺めた図。伊木山とそれを迂回する木曽川が美しいです。この伊木山には昔は城がありました。



犬山城は元々織田信康(おだのぶやす)が砦を築いたのが始まりとされています。信康は、信長の父、信秀の弟です。

その後戦国時代で主を転々としたあと、江戸時代に成瀬正成(なるせまさなり)が城主となり、その後成瀬家が城主を歴代つとめた。



城主の絵が並ぶ一番左に直近の城主。ウィスキーなんぞ飲んで余裕ですな。



成瀬正成は戦国時代から活躍していたようです。



以前に松江城を訪ねたときに城の形状には大きく望楼型と層塔型があることを調べましたが、この犬山城は望楼型です。望楼型の方が古いスタイルで、入母屋造の上に天守が乗っかっている形をしています。



ちなみに入母屋造と切妻造の違いもいつも忘れるのでよい図があったので貼り付けておきます。ただの二面の屋根が切妻で、破風があるのが入母屋ということですかね。


すこし離れたショット。そんなに天守が高くないのですが、そもそも城のある山が天然の要塞になっているので、城を作るにはピッタリの場所です。



犬山城を後にして土産物屋を外れて歩いているといくつか落ち着いた家々がありました。ポスターの張り方もセンスがあります。



ツインブリッジと呼ばれる犬山橋を渡ると犬山城と伊木山が見えます。



これは英泉が描いた木曽街道の浮世絵です。江戸時代後期ということで、城壁もあります。この角度で見れる実際の場所はないと思うのですが、おそらく御嶽山と犬山城を一緒に画面にいれたかったのでしょうね。



ちなみにGoogleMapで再現するとこのようになります。しっかり御嶽山が遠景に見えます。Googleすごすぎ。



お昼を通りすがりのラーメン屋「次男坊」で食べたのですが、昭和の頃から麺もスープもなんの工夫もしていないようなシロモノ。最近のカップ麺のほうがよっぽどうまい。

さて、鵜沼東町の交差点からいよいよ中山道のルートに入ります。

鵜沼宿の手前にあった高札場の復元。当時の一文がだいたい25円くらいなので、太田宿までの10Kmほどに荷物持ちを一人雇って2500円ほど。まあ、そんなものかな、といったところです。



鵜沼宿でいまでも生産している菊川。聞いたことはありませんが。立派な切妻屋根です。



この脇本陣は、なんと全部新しく作ったものです。両側に立つうだつが見事です。



床の造りもがっしりしています。



お庭もなかなか。いつも古ぼけた姿しか見ていないので、こんなところに大名が泊まったのか、なんて印象をついつい抱いてしまいますが、本来は白木がきれいでしっかりした家屋に、気持ちよく泊まっていたということを改めて認識。

でもこれだけの建築費、どこから出てきたのでしょう?市の補助金?町おこし?



本陣のとなりにある二ノ宮神社。遠くの山々がきれいです。江戸時代の旅人が見た景色と同じ景色をみるとホッとします。



津島神社にあった芝居小屋です。各務原市(かかみがはら)の有形文化財ということですが、今でも村では催し物が行われているのでしょう。いい子に育ちそうです。宝くじの収入で建てられてたと書いてあります。

この横の公園の水飲み場で頭から水をかぶりました。めちゃくちゃ暑いです。



中山道をそのまま幹線にした国道21号線をひたすら歩くのですが、あまりの暑さに、ときどき日陰に入って休まなければなりませんでした。ずっと登山をしていたのですが、虫が嫌なので今回中山道にしたのですが、虫がいない代わりに木陰もなく、どっちもどっちですね。

こんな道、中山道歩きをテーマにしない限り、この灼熱地獄で絶対歩きません。実際私以外歩いている人は誰もいません。

国道21号をビュンビュン走る車に乗っている人たちの目には一切ふれない馬頭観音様がひっそりと佇んでいました。昔は静かで平和な道で、旅人たちが手を合わせていたのに、とんでもない変わりようです。



川崎重工の工場を見ながら高架を歩いていると敷地内に「川崎神社」が。工場と一緒に神様も連れてきたのでしょうか?さすが川重です。



新加納です。鵜沼宿と加納宿が17Kmもあり非常に長いので、その間に設けられたお休み所だったようです。



古地図です。いまでもクランク状のルートは残っています。



きれいにメンテされた立派なお家です。



道沿いの庭に咲いていた花。調べても花の名前が簡単そうに見つかりません。



新加納にある善休寺。



国道21号から離れたおかげで随分よい道になりました。これは境川で、両側は桜です。見た感じが京都の琵琶湖疏水を思わせます。



切通陣屋。陣屋(じんや)とは藩庁のことだそうです。江戸時代中期の安藤信成が建てたそうですが、今はこの碑を除いて何も残っていません。



右に行くと京都、左に行くと伊勢。まだまだ遠いのに重要な分かれ道だったのでしょうか?いくらでも進路修正できそうですが。



町屋を改装した風の和食屋さん、古風人(こふど)。さすが岐阜駅が近くなるとこういった高級系のお店が出てきますね。



道すがらよく、秋葉神社に出会いますが、大抵こじんまりしています。神仏習合の火除けの神ということなので、防火の認識を高めてもらうために、それぞれの村が設置したのでしょうか。



ついに加納宿に到着しましたが、中に入って見学できるようなところはなく、もう完全に街と道路の場所です。



11時から歩き始めてJR岐阜駅に到着したのが18時前になってしまいました。25Kmくらいは歩いたはずです。さすがに疲れたことは疲れましたが、登山の時の登りの負荷がないぶん33000歩でもそんなにボロボロになった感覚はありませんでした。

前回までは時間節約に新幹線を使いましたが、今回は、徐々に京都に近づいてきたので、行きも帰りも在来線なので交通費が安くすみます。正直ほとんどが国道21号なので交通費に一万円近くだして歩くほどの価値はないですが、4000円くらいならトレーニングも兼ねてまた歩こうか、という気になります。でも京都に着くまであと何回歩くのだろう。






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