若狭湾の山々はずいぶん色々登りましたが、今回は三方五湖が見えるという三十三間山(842m)に登ります。関西百名山の一つになっています。
三十三間山の場所はちょうど福井県と滋賀県の県境に位置しており、京都方面から湖西道路、鯖街道を走れば日本海に出る手前から登れるので割と近い位置にあります。
京都の三十三間堂は誰でも知っている名刹ですが、その建築のための木材をここから切り出したという伝説が山名になっているようですが、他にも色々説があるみたいです。
そもそも「三十三」というのは観音菩薩が33の姿に変化(へんげ)して衆生を救うという仏教の教えからきているので、「西国三十三所」のように観音信仰で付けられた名前なのかも知れません。
倉見駐車場にあった登山ルートの案内版です。真ん中のルートの駐車場から山頂までが最短ルートであり、今回我々は最短ルートの往復だったのですが、右のろくろ山(662m)や左の能登越(695m)を周る周回ルートもあるようです。
下が倉見駐車場から頂上までの最短ルートの往復の行程図です。
最短ルートだけあってひたすら連続する登りがそれなりにキツイですが、風神を越えて尾根道に取り付くと一気に視界が開けます。尾根道から三十三間山頂上までは芝地になっていて三方五湖や日本海も見渡せるとても気持ちの良い景色が楽しめます。頂上には景色はありません。
全体では所要時間約4時間、距離7.7km、累積標高760mの結果となりました。
倉見の駐車場は鯖街道の国道27号を横道に入ったところにあります。横道は舗装されていて狭くはありません。無料の駐車場もとても広いです。さすが関西百名山の一つと言ったところ。
駐車場を出たのが9時すぎ。
5分ほどで登山口に出てきます。左の看板の住吉神社は帰りに立ち寄ります。
しばらくスギ林の林道が続きます。わきに瓦が積み上げられています。ところどころ石垣もあって、かつて寺院などがあったんじゃないかと思われます。
かつて鯖街道の往来が活発であったころはこの倉見集落も宿場があったみたいなので、集落の規模も大きかったのでしょう。鰣(はす)川に流れる沢も通り水場もあって生活に便利でもあります。
集落が小さくなって空いた土地に杉を植林したんじゃないかという気がします。
いよいよ登りに入ります。頂上まで3kmの看板。
風神の滝。ここから北北東に沢が流れていますが、登山道はここから尾根への直登コース。風神はこの先尾根道手前に出てきます。
でも11月中旬にしては暖かく薄い半そでTシャツで汗ばむほどでした。
途中にあった夫婦松。夫婦に見える二本の幹が伸びていたのでしょうが、残念ながら枯れてしまっています。
尾根道手前に出てきた風神。このそばに石塔があるのですが見過ごしました。江戸時代(天保3年)に村で疫病が流行ったときに行脚中の僧が村の辻にある石塔を山中に祀れと告げたので、ここに石塔を設置したところ疫病が治まったという伝説があるようです。
天保と言えば江戸の三大飢饉の一つ、天保の飢饉が頭に浮かびますが異常な低温が原因の凶作とインフルエンザの大流行がちょうど天保3年頃から発生したようです。
日本海に近いこの地でも大変な寒さだったのでしょう。
風神・雷神の風神というのは風を吹かす神であるとともに、風邪や邪気を追い払う神でもあるそうです。
ようやく尾根に出てきました。左が山頂(842m)で右にいくと轆轤(ろくろ)山(662m)です。
尾根から山頂までは芝地になっていて視界を遮るものがありません。三方五湖から若狭湾の景色が大変すばらしい。
三十三間山を関西百名山にせしめている理由はこの尾根道の景色にあるのは間違いないでしょう。
地図で調べると5湖のうちの3つは確認できましたが、2つは山に隠れているようです。
雲谷山は三十三間山への尾根をどんどん北北東へ進んだところにある山で、上の写真ではさらに右にある山です。ちょうど4年前の今頃登った時の写真ですが、三十三間山よりずっと近いだけあってよりはっきり見えています。
しかし近すぎるので久々子湖と日向湖は見えていません(写真右手方向で視界から切れている)。
山すそを眺めると紅葉が始まっています。
中央が山頂。尾根道はこのような芝地で見晴らしが素晴らしいのですが、なぜか頂上だけ樹々にこんもりと覆われています。
途中にあった細い鉄塔。説明版を見ると風況観測敷と書いてあります。
この観測塔は細い鉄柱の三方向がワイヤーで地面に固定されていて風を受けて前後に揺れるようにできています。見えていると酔ってきます。
6年後の稼働を目指して風力発電の設置計画があり、実際の風の強さを測定しているとのことですが、尾根沿いに180メートルの風力発電塔を17基設置する計画のようです。
ひょっとして三十三間山の風神にちなんだ計画?
完成すれば10万キロワットなので小規模の火力発電所ほどの発電量があり、世界の喫緊の大問題である地球温暖化にとっては必須の打ち手であることは確かなのですが、植生の破壊や猛禽類への影響を懸念する声が大きいようです。
なによりこの素晴らしい芝地の尾根道が巨大な風車の列に覆われると思うと複雑な気持ちになります。
再生可能エネルギーの単位発電のコストが火力発電を下回った現在、太陽光パネルや風力発電塔をどんどん設置すべきなのですが、土地の少ない日本には課題が多いようです。
こういうのを英語でNIMBY(not in my backyard)と言うそうです。「賛成だけどウチのそばはやめて」という意味。
でも、日本は海が広いので海洋に太陽光パネルを敷き詰めるのが最も優れたソリューションのように思えるのですがどうなんでしょうか?
山頂842mに到着。やっぱり展望はありません。
落ち葉に隠れていた大きなヒキガエル。表皮に毒があるので触ると危険。
山頂は景色がなかったので尾根の芝地に座って昼ご飯にしました。さすがに尾根は日本海からの風が吹くので上着を着ないと寒い。それでも手袋がいるほどの寒さではありませんでした。
頂上から1時間半ほどで下りてきたので帰りに住吉神社に寄ってみます。道元は鎌倉時代の禅宗の曹洞宗の開祖ですが、祖父というのは誰なんでしょうか?
調べてみると道元の父親は諸説あるなかで源道親と言われており、その父親は源雅通(まさみち)ですが、どう関わりがあるのかわかりませんでした。
もう一つは時代は400年程下って織田信長。三方五湖の東に国吉(くによし)城があり織田信長による越前の朝倉攻めの拠点として使われていたので多分そのつながりなのでしょう。
いずれにせよ、もうちょっと説明する案内版が置かれていてもよいかと思います。
この看板を見てわかりました。道元は久我家の出身なので道元の祖父を内大臣の久我通基(みちもと)だとしているのですね。
法華経は天台宗の重要な経典で貴賤を問わず人々の救済を説き、その慈愛は自然の動植物まで広がっています。おそらく久我通基の歌なのでしょうが、山の自然の美しさを歌ったこの歌も法華経と関係しているということでしょうか。
入口に迷いましたが住吉神社の境内です。住吉神社は全国に無数にありイザナギ、イザナミの時代の非常に古い神様を祀っていますが、これはどうやら江戸時代のものらしい。
さきほどの法華経とはどういう関係があるのでしょう。神仏習合で三井寺の権勢に飲み込まれたのでしょうか。
境内に祀ってあった謎の黒い石。越前の方で採れた黒曜石を祀っているのでしょうか?
謎に満ち満ちた住吉神社からでると三十三間山の頂上が見えました。まだ13時過ぎなので近くで美味しい海鮮丼でも食べようかと思って2軒ほど訪ねましたが、貸し切りだったり2時閉店のオーダーストップだったりで、食べられませんでした。