コロナ感染もいよいよ終息か?と気を緩めた時にオミクロン株発生。南アフリカでの速報後、1週間もたたず日本にも入ってきました。人間の細胞に侵入するためのスパイクの数が従来の2倍以上に進化していて、自然の脅威を感じます。
さて、今回は京都の名所訪問シリーズで、丹後半島の天橋立と伊根町に行きます。
写真は入江の浜辺に並んだ舟屋が特徴的な伊根町。
伊根町は、丹後半島の北東に位置していて、京都から自動車で京都縦貫道路を走って約2時間30分の場所にあります。
まずは、天橋立を訪ねます。鉄道駅のある南側には何度か行っていますが、今回は北側に向かうので与謝天橋立ICで高速を降りて、最初に籠(この)神社を訪ねます。
籠(この)神社は天橋立の北端の付け根あたりにあり、そこからリフトで登れば天橋立の全景が見渡せます。
天橋立は大天橋と小天橋に分かれていて、小天橋は江戸時代後期からの堆積現象により生成されました。
天橋立はイザナギとイザナミの国生み神話に登場する天の浮橋のことですが、籠神社の由緒もイザナギとイザナミに深く関係しています。
まず、籠神社がいにしえからお祀りしているのが、トヨウケヒメ(豊受大神)であり、古事記の最初のほうに出てくるイザナミが火の神カグツチ神を産んだ際に大やけどをして、ほとばしった尿から生まれた神の娘です。トヨウケヒメは伊勢神宮外宮の主祭神で穀物の神様。
さらにイザナミの夫であるイザナギが妻と死別した後、左目から生まれたのが天照大神なのですが、籠神社は一時期、天照大神もお祀りしていましたが、豊受大神と一緒に、伊勢に遷られたので、籠神社は元伊勢神社とも呼ばれています。
なるほど深い関係があるせいで、社殿の形は伊勢神宮によく似ています。神明造(しんめいづくり)と呼ばれる形式で、屋根の柱が飛び出しています。
こちらの神職の海部氏(あまべうじ)の家系は国宝の日本最古の家系図に記載されており、82代前の初代は彦火明命(ほこほあかりのみこと)(別名アメノホアカリ)と言い、天照大神の孫ニニギの兄です。
ニニギは、大国主命が国譲りを決心した後、天孫降臨に出かけた神であり、兄アメノホアカリは祖母の天照大神と共に残りました。
籠神社の裏手にまわるとリフトとケーブルカーが併設しています。どちらも同じ値段。天気も良いのでリフトに乗車。
定番股のぞき。体が硬いわ。体が柔らかければ反り返って見て優越感に浸りたい。
売店がある場所からさらに階段で展望所に登ります。南側から見る天橋立と比べて集落の素朴さに風情があります。
室町時代に雪舟が描いた『天橋立図』は東の上方から描いていますが、天橋立が途中で切れています。これは、南側の小天橋が生成されたのが江戸時代後期からの堆積現象によるものだからです。
(e國宝サイトより)
左側(東方)を見ると宮津の栗田(くんだ)半島の先端が見えます。その先左側に見える小さな島が冠島(かんむりじま)。鳥獣保護区で立ち入り禁止のようです。
リフトで籠神社まで下り、そこから車でさらに上にある成相寺(なりあいじ)に向かいます。雪舟の絵を見ると、かなりの高さに描かれていますが、標高330m。先ほどのリフトの上の展望台が130mほどなので、歩いて行くと結構な道程です。
(e國宝サイトより)
「撞かずの鐘」の名のついた鐘楼。寄進を断った母が誤って乳飲み子を銅湯のルツボに落として出来た鐘。あまり御仏の業とは思えない逸話です。
成相寺は観音菩薩が本尊の山岳修験場のお寺です。
本堂内部にあった絵です。江戸時代の長谷川雪朝(せっちょう)の作品のようですが、修験道のお寺だけあって修験者が多く描かれています。
修験者が鬼の門番にひれ伏して入城させてもらおうとしています。
城中では、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
右には笈に入れて運んできたお酒を振る舞う山伏が描かれており、左には鬼が鹿やキツネの肉を料理しています。
後ろで偉そうに座っているのは、おそらく地元の山賊の親方と刀を持った配下たち。
親方を取り巻くのは、おそらく京の都からさらわれてきた宮中の美女達。
これを見ると、山賊はそうとう威勢を誇っていたのと、山伏と山賊が良好な関係を保っていたことがわかります。
この場所からそう遠くない大江山には、源頼光による酒吞童子征伐の話が有名ですが、頼光もやはり山伏の姿に変装して酒呑童子に近づいたそうです。
(wikipediaより)
本堂横の十王堂の孔雀明王。その横には閻魔大王が鎮座されています。孔雀が毒蛇を食べることから、罪深き煩悩を消化して仏の光に昇華させてくださる慈愛の明王です。
鎌倉時代に造られた鉄湯船(重要文化財)。薬湯にして入湯したそうです。
成相寺からさらに車でグネグネ道を登るとパノラマ展望所があります。標高460mですからちょっとした山の頂上です。右手の天橋立で区切られた阿蘇海と、中央の宮津港から栗田(くんだ)半島の先の日本海まで一望です。
でも天橋立だけを見るにはちょっと高すぎます。
定番のかわらけ投げがありました。いつもやってみるのですが、まっすぐ投げられた試しがありません。
成相寺を下りて、途中で
天橋立ワイナリーに立ち寄りました。100%京都産のブドウで
牡蠣殻を使って土づくりをしたそうです。
入手したのは『こだま樽熟成』セイベル種の赤ワイン。日本ではよく栽培されている種のようです。驚くほど華やかな香りが特徴的でした。
国道178号線を北東に進み伊根町に向かいます。海辺の道のドライブは楽しい。途中にマリーナもあってちょっとしたリゾート地になっています。日本海なのに波が穏やかだからでしょう。
伊根町の舟屋のある場所に到着。コインパーキングになっていて駐車しやすいです。
舟屋は2階建てになっていて、1階は船のドックになっています。伊根には230軒の舟屋があります。旅館や飲食店にしている所も多いのですが、それでも京都府の水産物の4分の1はここで水揚げされるというから漁業もまだまだ主力産業です。特に鰤(ブリ)は日本三大漁港の一つ。
伊根湾の前に浮かんでいるのが青島。
伊根湾は、亀島が天然の巨大防波堤になって日本海の荒波を完全にブロックしてくれています。さらに湾の前には青島が浮かんでおり、これは天然のテトラポット。理想的な漁港です。
舟屋をリフォームしたカフェ(INE CAFE)で熱いコーヒーを。
もう気分はクリスマスですね。
舟屋の中が見れる場所がありました。
今日の宿は油屋 別館です。源泉かけ流しの露天風呂が部屋に付いています。露天風呂付きの宿は今回初めてでしたが、湯冷めしないのが大変良いです。深夜真っ暗な海を見ながら温まるのも格別。アルカリ性のツルっとした湯です。
部屋の前は一面が海です。前に浮かんでいる島は沓島(くつじま)で鳥獣保護区のため立ち入り禁止だそう。
生息している鳥の一種、カンムリウミスズメ。スズメというだけあって体長25cmのこんな小さな鳥ですが、冬になると飛来して岩場で繁殖するそうです。
(三重県総合博物館サイトより)
夜はカニを食べましたが、油屋さんはぶりしゃぶ発祥の宿らしく、次回は伊根のぶりを食べに来たいです。
朝日です。東向きなので雲がなければもっと良かった。右手に亀島、先端の鷲岬を望む。
京都府民限定でGo To Travelみたいなキャンペーン(きょうと魅力再発見プロジェクト)をやっているのを知りませんでした。宿泊代の割引にクーポン券ももらいました。
チェックアウトした後、再度伊根の舟屋エリアに向かいます。高台に舟屋群展望所があり、そこからの眺めが格別。
青島の形がきれいです。
帰りに向井酒造に立ち寄りました。女性杜氏の造り手による赤い古代米を使った『伊根満開』を以前飲みましたが、日本酒の甘味に加えて独特の酸味があります。色もロゼワインのようなほのかな赤で見ても楽しい。
お店の中は昔のままで、かなり寒そうでした。
途中で景色の良い場所があったので撮影。朝の海面がエメラルド色で美しい。
帰りは京都縦貫道の味夢の郷でおみやげを買って帰りました。
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