2023年11月25日土曜日

【京都】西山古道(善峯寺~天王山)

 京都の東山は大文字山などでよく知られていますが、西山は京都人以外はあまり知っている人は少ないと思います。

今回は西山の名刹、善峯寺(よしみねでら)、柳谷観音楊谷寺(やなぎだにかんのんようこくじ)、光明寺の三寺を結ぶ巡礼道であった西山古道を歩きます。柳谷観音楊谷寺からそのまま天王山ハイキングコースを進み、天王山に登ってから山崎へ抜けるルートです。

善峯寺は紅葉の名所なので何度か訪れています。柳谷観音楊谷寺はアジサイの花手水を6月頃に訪問、一ノ谷合戦の熊谷直実が建立した光明寺についても長岡京散策の際に訪問しているので、それぞれのお寺には別々にはお参りしているのですが、それらを山中で結ぶ道を歩くのは今回はじめてです。

ちなみに西山古道は北の金蔵寺(こんぞうじ)に続いているので地元のNPO京おとくにのパンフレットには金蔵寺ルートとセットで紹介されています。金蔵寺は小塩山のカタクリを見に行ったついでに立ち寄りました


こちらが実際歩いたルートです。実際は光明寺には行かず、善峯寺から西山古道を歩き、柳谷観音楊谷寺からはそのまま天王山ハイキングコースを進み、天王山頂上からJR山崎駅へ下りていきました。

合計距離約10キロ、累積標高600m、休憩1.5時間を入れて約5時間のハイキングでした。

金蔵寺、善峯寺、柳谷観音楊谷寺の三山とも応仁の乱で焼失した後、再建したので西山古道も当時の姿がどうだったか全くわかりませんが、現在の西山古道は巡礼の径といった面影はありませんし、京都北山と同様に杉林が立ち並ぶ山道で、あまり自然の美を感じることもありません。

ただ、山道は比較的歩きやすく、ところどころ京都市南部を見渡せる展望スポットがあります。特に善峯寺からポンポン山へ向かう大沢山の展望所の景色はとても良いです。



善峯寺へはJR向日町駅からバスに乗って35分ほどです。11月終盤ですが思いのほかまだ紅葉が残っています。バスの乗客は登山装備の人が多かったのですが、ほとんどの人はポンポン山方面へ行ってしまいます。



西山古道の登山道入り口です。クマの目撃が去年あったようです。京都のクマ(ツキノワグマ)の個体数はどうやら増えているようです。できれば捕殺してほしくはありませんが。



今日は真冬並みの寒さと天気予報に脅された割には良い天気で、紅葉が青空によく映えます。



今日は4人のパーティーです。いったん釈迦岳方面へ斜面を登り、釈迦岳には行かずに下山ルートを辿ります。今回のパーティーリーダーが大沢山に行きたかったからです。

ちなみに道標にある「奥海印寺(おくかいいんじ)」というのは長岡京市の地名です。以前は同名のお寺があったようですが、今は町名に残るだけです。



大沢山というのは近年、この場所を大沢山と記した資料を地元の人が見つけたから名が付いたようです。筆者が使っているヤマレコ地図には大沢山たる名称は記されていません。

なによりこの場所は展望が素晴らしい。京都市を一望できて、その先の比叡山、大文字山、山科の街並みまで見えます。びわ湖まで見えそうです。




山頂がすこし雲にかかっていますが比叡山。



途中で見かけた切り株アート。杉の枯れ葉の髪の毛や、松の枯れ葉の口髭など、なかなか芸が細かい。



柳谷観音楊谷寺のそばの燃えるような紅葉。



柳谷観音楊谷寺に到着。すでにお昼をまわって1時になっていて全行程の半分弱しか歩けていないので境内のお参りは省略します。

ここは花手水が有名で、そのせいか若い女性たちもお参りに来ていました。ちなみに「楊」というのは柳のことなので、「柳谷」と「楊谷」は同じ意味です。厳密には「柳」は枝垂れる種類、「楊」は立枝の種類を指すようです。

西山三山は、善峯寺、光明寺、柳谷観音楊谷寺の三山を指します。



柳谷観音楊谷寺を結ぶ県道沿い少し歩き、山道に入ります。GPSがないとこの山道入り口はわかりませんね。



天王山ハイキングコースの入り口にあった案内版。柳谷観音楊谷寺がすでに標高200m以上で、天王山山頂が270mなので、ほぼフラットな道です。



西山古道と比べて坂道もなく断然歩きやすいので柳谷観音楊谷寺から約1時間で天王山頂上まで来てしまいました。


山頂広場はスギに囲まれているのであいにく景色は良くありません。



初めて酒を造ったとされる酒解神(さかとけのかみ)を祀った酒解神社。ここも紅葉がきれいです。江戸時代以前は牛頭天王(ごずてんのう)を祭神にしていて、天王山の名前は牛頭天王から来ています



JR山崎駅へ向かって下山します。



山崎駅からのルートは秀吉の道と言われていて、山崎の合戦を描いた陶板画がいくつか展示されています。



実際の合戦は山中ではなく山崎駅方面のふもとで行われました。合戦場を見下ろす展望台で詳しい説明板があります。ちょうど、空に虹がかかっています。

秀吉軍、光秀軍、それぞれ2万人前後の兵士がいたそうなのでほぼ兵士で埋め尽くされていたのでしょうね。

山崎の合戦は本能寺の変からたった11日後だったそうで、秀吉の迅速な対応には驚かされます。光秀の裏切りを聞いた時は秀吉は香川県の高松城にいたので、そこから2万の軍勢とともに船で岡山に渡って山陽道を駆け上ったわけです。



途中の展望広場からは大阪のビル群が見えます。




宝積寺(ほうしゃくじ)、別名宝寺に出てきました。この場所は合戦の際には秀吉側の本陣となったところです。この三重塔は戦さに勝利した秀吉が戦死者を弔って建てたと言われています。

秀吉が一夜で建てたという伝説から別名「一夜の塔」。小田原の一夜城と違ってこっちは全然急ぐ必要がないのにおかしな伝説です。「なんでもサッサと早い」秀吉というイメージなんでしょうね。



宝積寺の山門を出たあとは山崎駅近くのカフェでワインとピザ、パスタを楽しみました。一足早い忘年会かな。





2023年11月4日土曜日

【滋賀/岐阜】金糞岳

 11月に入ったら逆に気温が上がって25度を超える日が続いていますが、今回は、滋賀県と岐阜県の県境に位置する金糞岳(かなくそだけ)に登ります。

金糞岳は伊吹山地の中では伊吹山(1377m)に続いて標高の高い1317mの山です。



「金糞岳」って名前が悪すぎると思いますが、谷有二さんの「山の名前で読み解く日本史」を読むと、金糞とは鉄鉱石や砂鉄から鉄を抽出した残滓のことを言い、金糞岳とは金糞が散乱していた場所と推測できるそうです。

実際に長浜方面では鉱山跡も見つかっているそうなので、昔は製鉄が行われていたのでしょう。

金糞岳の登山ルートですが、長浜の東保谷川の登山口(450m)から登ると4時間半ほどかかる本格登山になってしまうのですが、伊吹山地の稜線のすぐそばまで道路が通っています。

ヤマレコの「P」マークは鳥越峠なのですが、坂内村登山口のすぐそばに5,6台のスペースの駐車場があるので、実に簡単に1000m超の稜線に取り付くことができます

稜線に乗ってしまえば金糞岳までは1時間ほどで到達できるので、さらに南北の景色を楽しみながら稜線歩きを続けて白倉岳(しらくらだけ)(1270m)まで行きました。

白倉岳から帰路を辿って戻りましたが、結果として約4時間、合計距離5km、高低差670mの山行でした。


八草峠の道路(黒の点線)はかつて滋賀と岐阜をつなぐ山越えの道路として使われていましたが、昭和40年代にトンネルを掘って道路が開通して国道303号が幹線道路になりました。昭和前半まで八草峠をグネグネ走っていたのかと想像すると、現代のトンネル掘削技術の進歩は交通の発達に極めて大きな貢献をしたと感じます。

Goolgeマップを使うと道幅を思慮せず最短距離でナビしてくるので長浜から八草峠道路を北上するルートを提案してくるのですが、国道303号で岐阜側まで周りこんでから、八草峠道路を南に下った方が簡単に登山道に到達できます。(「簡単に」とか言ってますが実際はS氏によるドライブ💦)。

坂内村登山口前にある5~6台の駐車スペース。


駐車場のすぐ前が登山口になっています。



登山口から歩いて10分もしないうちに稜線に到達する。稜線にはクマよけの鐘が設置されています。秋になって今年はとくにクマ被害のニュースが多いので、念入りに鐘を鳴らしておきます。もちろん熊鈴も装着しています。



葉の周りが白で縁取りされている熊笹をかき分けながら金糞岳頂上を目指します。今回は、3人のパーティー。



歩き始めて1時間ほどで金糞岳頂上に到達しました。

が、ちょうどそこで、全く道のない熊笹のなかがガサガサゆれていてこちらに向かってきます。人生初の熊とのご対面か!と思って覚悟を決めかけたら、沢登りをしていた人でした

久しぶりに真剣にビビったので、正直、他人を驚かすような趣味は考え直してもらいたいものです。

今日は11月なのに夏日でTシャツで山頂にいても全然平気です。

北方向を見ると白山がうっすらと見えます。



点線部分が白山です。ちょうど先月に白山に登りましたが、白山から見ると伊吹山がとても小さく見えましたのが印象的でした。



金糞岳頂上をすぎて熊笹を抜けていくと、白倉岳への稜線が見えてきます。



谷を見下ろすと紅葉が美しい。



白倉岳手前に白い岩場が見えます。ここを登らなければなりませんが、行ってみると意外に難易度は低い。50メートルほどの登りなのでたいしたことない。



上の写真の岩場の箇所を進みます。虎ロープの箇所がいくつかありますが、掴まずとも問題ないレベル。



後ろを振り返ると金糞岳頂上から稜線沿いに歩いてきた路が見えます。



北西方向に見えるのが横山岳(1132m)です。ここから稜線歩きで10時間ほどかかるのでかなり遠いです。今年、猛暑になる前に登りましたが、横山岳東峰の稜線歩きは最高でした



白倉岳までもう一息。



白倉岳(1271m)頂上に到着。頂上といってもほぼ稜線沿いのちょっとした高所にすぎませんが。ちょっとしたスペースがあるのでランチにします。

金糞岳頂上から約1時間半でかかりました。

ここからピストンで登山口へ戻り、途中で温泉によって帰りました。姉川の戦いの場所にある「あねがわ温泉」というスーパー銭湯でしたが、天然温泉の泉質がなめらかで素晴らしくものすごく体を癒してくれました。

この温泉には是非リピートしたい。









2023年11月1日水曜日

【箱根】金時山(富士の絶景)

(金時山からの富士山の眺望)


富士山がよく見えるということで評判の金時山(きんときやま)(1213m)に登ります。

前日早めに移動して、熱海、箱根の美術館めぐりとドライブも楽しもうという計画です。



箱根は箱根山を中心にして、その周りを取り囲むようにして外輪山が連なっています。金時山はその外輪山の中では最高峰の山になります。

まるで巨大な隕石が落下してできたクレーターのようですが、実際は数多くの火山の噴火によって形成された地形のようです。この円形の盆地の西にたまたま水が貯まったのが芦ノ湖だというわけです。

緑豊かな山の斜面に数多くの温泉宿があるのを見ると関西人の筆者は有馬を思い浮かべますが、箱根の規模は有馬の十倍以上あります。とても一泊の旅行では回りきれないほどの魅力のある土地だなと感じました。



これだけ複雑な地形を形作った原因は、大陸が断裂して出来たフォッサマグナに、フィリピン海プレートの上の火山の島々が北上してぶつかって出来たことにあります。3つの陸地の衝突というのは世界的にみても珍しいそうです。





【美術館めぐり編】

旅行記ですが、京都から新幹線を乗り継いで熱海で降り、MOA美術館に向かいました。お目当ては北斎の「二美人画」だったのですが、超残念なことに展示していなかった。MOA美術館は館内は巨大ですが、展示数はそれほど多くなく収蔵品をシフトしながら公開しているようです。

美人画は北斎の名が売れ出したきっかけとなった画です。死ぬまでにもう一度リベンジしなくては。



MOA美術館については何も知らなかったのですが、エントランスからの幻想的なトンネルを通りながらミホ・ミュージアムに似ているなと感じました。共通点は宗教法人が運営する美術館であり、両者とも現実世界と宗教により開眼する理想世界の架け橋といったコンセプトがデザインに生かされているのかもしれません。



創設者の岡田茂吉は世界救世教の教祖で、青年時代は画家をめざしていて芸術は単に鑑賞するものではなく人々を善に導く存在だと言っていたそうです。これは、絶対神や科学万能主義を否定し、生と芸術を重視したニーチェの思想に近いものがあるなと感じます。

岡田茂吉と聞いて思い浮かんだのが滋賀県の近江大橋そばにある未来的な大規模建築物で、「岡田茂吉研究所」というそうですが、岡田茂吉の世界救世教の分派のようです。どうやらここも科学万能主義を否定するような思想集団のようですが、財源はどうなっているのかなと思います。



尾形光琳の寒山拾得(かんざんじっとく)図(MOA美術館は写真撮影OK)。こちらから目を背けて俗世間をあざ笑うようなそぶりを見せながら禅を極めるキリっとした力強さも見せる。



豊臣秀吉の直筆の手紙があった。北政所(ねね)への手紙で、茶々の間に拾が生まれたので、見せに行きたいとという内容。家族への手紙のせいもあるが、柔らかい字と歪んだ筆の流れが姿勢を変えずに一気にさらさらと書き上げた姿が目に浮かぶ。

歴史上の人物は後世、色々と語られるけれども直筆を見るとどういう人物だったかが色眼鏡なしにわかるので大変面白いと思います。



現代美術の展示もあります。白塗りの陶芸は13代三輪休雪。後ろの絵は別の作家によるものですが、美術館側で組み合わせたコラボ作品にしているのが面白い。



美術館の庭園から熱海の海が広がります。



右手には熱海城が。秘宝館まだあるのかなぁ。



電車で三島駅まで戻ってレンタカーします。

今回は箱根ドライブということで新型プリウス!

先代より断然かっこいいスタイル。高級車に乗り込んだ感覚が味わえます。走りも思った以上にパワーがあって驚きました。ただ、デザイン重視のおかげでAピラーが前方に伸びて見切りが悪いので運転に少々気を遣う。



プリウスで最初に向かった先が、クレマチスの丘という名前の場所に佇むベルナール・ビュッフェ美術館

日本ではあまり知られていない画家ですが、ここ箱根の美術館はビュッフェの収蔵数は世界一だそうです。収集したのは銀行家の岡田喜一郎さん。

ビュッフェは第二次世界大戦時、ナチスドイツによる占領下のパリで青年時代を過ごした人で、陽気さや華々しさといった肉を全てそぎ落とした後に残る骨と針金を描いたような作品を多数描いた人です。

撮影NGだったので掲載しませんが、この画家は特に静物画においてダークトーンの色彩のバランスと、物象のコンポジションの感覚が飛びぬけて素晴らしいと感じました。一方で人間については精神性が感じられず、ピカソのキュビズムによる人物像には及びません。

この美術館、ビュッフェの作品オンリーで、いかんせん絵が暗いので、はたして今後も運営していけるのかなと若干心配になりました。



次に行ったのが御殿場プレミアムアウトレット。とんでもなく多いお店の数と、その供給力を受け取ってあまりある数多くの外国人に驚きました。

ついにドル円が151円まで進んでしまった上に免税なので外国人にとっては買い物天国なのでしょう。昔は、強い円を振りかざしてヨーロッパのブランド物を買い漁った日本人が完全に逆転してしまいました。

外国人のノリにつられてBEAMSとリーバイスで買い物をしたら、夕方になってしまったので、ガラスの森美術館に行く時間が無くなってしまいました。



宿は仙石原にある「品の木一の湯」です。奥さんが合流してきてきました。

ここは内風呂と露天風呂の源泉が違っていて、大湧谷から引いている露天風呂の湯は酸化していない若草色のフレッシュでなめらか。今度来たときは是非、大湧谷の温泉に浸かってみたい。

いいお宿だったのですが、驚いたのが日本式の温泉宿なのにかかわらずお客さんの半分以上が外国人だったこと。筆者は攘夷派よりはグローバル派のはずなのですが、半分以上が外国人になるとどうも落ち着かない。



翌朝早く散歩。結局いかなかったけれど宿のそばにあるガラスの森美術館の前を通る。




朝日が紅葉を輝かせる。



小塚山と台ヶ岳の間の坂を登って行くと、数多くの保養所、温泉宿、別荘があります。この白い邸宅はまさにシャトー。仙石原の盆地にたちこめる霧が美しい。




【金時山登山編】


金時山は箱根の外輪山における最高峰で1212mありますが、登山口のある箱根裏街道の標高が688mもあるので、標高差は大きくはありません。

公時神社(きんときじんじゃ)から登ると、ずっと外輪山に邪魔されて見えなかった富士山が頂上に立った瞬間に突然に視界に入ってきて思わず声をあげずにはいられません。頂上の地形は、まさに富士山の全景を見るために造られたようになっています。

多くの人は頂上から公時神社に引き返すルートをとりますが、今回は乙女峠を経由する周回ルートを歩きました。乙女峠までは気持ちの良い尾根道で西方向に富士山の頂上が垣間見えます。また乙女峠からは再び富士山の全景が楽しめます。

全体で6.4km、累積標高637m、ゆっくり歩いて4時間20分の山行でした。



ゴルフ場横の有料駐車場に車を停めて公時神社(きんときじんじゃ)に向かいます。今回も白山に続き夫婦の登山です。



神社前の社務所でニワトリを放し飼いにされています。強烈な声量で鳴くのでびっくりします。朝だけでなく昼も鳴き続けるそうです。



公時神社の御祭神は坂田公時(さかたのきんとき)。このあたりで生まれた平安時代の人物で子供の頃から熊と相撲をとるほどの怪力の持ち主だったことから金太郎伝説が生まれた。

坂田公時はその後、源頼光に見いだされ、頼光の四天王として大江山へ酒呑童子一味を征伐に行きます。



人気の山だけあって登山道は比較的歩きやすいです。



金時宿り石。ここで金太郎が山姥に育てられたという伝説。



リンドウの青い花が道端に咲いています。



こちらはアザミ。



南東方向には箱根山と中腹で温泉の煙を噴き上げる大湧谷が見えます。大涌谷では黒タマゴが名物です。



南に目を向けると芦ノ湖が見えてきました。



公時神社分岐まで登ると外輪山の尾根道に入ります。岩場がありますが特に問題なし。



頂上にたどり着きました。左手に見えるのが我らが富士山!



それまで全く見えなかった超巨大な山が突然視界に入ってくるのは大感激の他に言葉がありません。今日は天気が良かったのも手伝って素晴らしい姿が拝めたので、登ってくる人全員が「オー!!!」と声をあげています。

左の雄大な裾野の先にあるのが愛鷹山(あしたかやま)(1504m)。ここからはちょうど新幹線から見るアングルで富士山が見えるはず。



雪化粧を施した頂上斜面のひだがはっきりと見えます。全国各地に「~富士」という名の付いた山は数多くあれども、本物の富士山と比べれば月とスッポン。まさに日本一の山。



愛鷹山からさらに左を見ると相模湾が見えます。



頂上の茶屋で名物しめじ汁をすすった後は、名残惜しいけれども下山を始めます。



乙女峠までは外輪山の尾根道を進みます。とても歩きやすい。尾根道歩き(=トレッキング)は実に登山の醍醐味ですね。




尾根道の西を見ると木立のすきまから富士山の山頂が垣間見えます。



途中、数十メートルのアップダウンの後、長尾山に出てきますが、ここは景色なし。



紅葉のトンネルの尾根道を進みます。金時山のコースはブナが多く、豊かな自然も満喫できます。



乙女峠では再び富士山の雄姿を拝めるビューポイントがあります。金時山頂上の時よりも少し雲が出てきました。



尾根道が長くて楽しいほど、その後の坂道は厳しくなるというセオリー通り、乙女峠からの下りは少々キツイものがあります。ガレ場が多いので注意が必要。



へばりかけていた奥さんですが、なんとか乙女口に下りてきました。



乙女口に外輪山の尾根道の半周コースの案内版がありました。これはテントがいるかな。



帰りに立ち寄った箱根関所は芦ノ湖沿いにありました。ちょうど海賊船が進んでいます。後ろに富士山が少し姿を見せています。



最後に立ち寄ったのが山中城址。北条氏によって築城されたが豊臣秀吉の猛攻撃に遭い、半日で落城してしまったという。城の痕跡はまったく残ってないのですが、掘が単純な溝ではなく、一定間隔で梁を渡しているようになっているのが特徴で、障子掘と呼ばれるそうです。

以前は赤土でズルズルと滑って登りにくかったそうですが、果たして防衛効果があるのかどうか甚だ疑問です。この城以外に誰も真似していないのは効果がなかったんじゃないか。


ここからの富士山の眺めも実に素晴らしい。全く雲がなくなっています。人工物がほとんど見えないので、ほぼ昔のままの景色が楽しめます。

このあたりはススキが有名だそうなのでススキを近景に。




山中城は金時山よりも南方にあるので、よく見ると富士山の中腹に大きくえぐれた部分が見えます。



Google Earthで確認すると上から傷口がバックリ開いたような形をしています。調べてみると、宝永火口と言って江戸時代半ばに起きた富士山噴火史上、最大級の噴火でできた火口だそうです。Google Earthで見ても明らかなように宝永火口は山頂の火口よりも大きいです。

この時の噴火は凄まじく、江戸の町では昼でも真っ暗になりろうそくの火を灯した記録が残っているそうです。

ちなみに宝永の時代は阿蘇山も浅間山も噴火したそうで、地中で何やら大きな変化が起きたのでしょうか。



11/1は本当に天気に恵まれて、主目的であった富士山の雄姿をお腹いっぱい堪能できて幸せな気分で新幹線に乗って帰路につきました。