2023年11月1日水曜日

【箱根】金時山(富士の絶景)

(金時山からの富士山の眺望)


富士山がよく見えるということで評判の金時山(きんときやま)(1213m)に登ります。

前日早めに移動して、熱海、箱根の美術館めぐりとドライブも楽しもうという計画です。



箱根は箱根山を中心にして、その周りを取り囲むようにして外輪山が連なっています。金時山はその外輪山の中では最高峰の山になります。

まるで巨大な隕石が落下してできたクレーターのようですが、実際は数多くの火山の噴火によって形成された地形のようです。この円形の盆地の西にたまたま水が貯まったのが芦ノ湖だというわけです。

緑豊かな山の斜面に数多くの温泉宿があるのを見ると関西人の筆者は有馬を思い浮かべますが、箱根の規模は有馬の十倍以上あります。とても一泊の旅行では回りきれないほどの魅力のある土地だなと感じました。



これだけ複雑な地形を形作った原因は、大陸が断裂して出来たフォッサマグナに、フィリピン海プレートの上の火山の島々が北上してぶつかって出来たことにあります。3つの陸地の衝突というのは世界的にみても珍しいそうです。





【美術館めぐり編】

旅行記ですが、京都から新幹線を乗り継いで熱海で降り、MOA美術館に向かいました。お目当ては北斎の「二美人画」だったのですが、超残念なことに展示していなかった。MOA美術館は館内は巨大ですが、展示数はそれほど多くなく収蔵品をシフトしながら公開しているようです。

美人画は北斎の名が売れ出したきっかけとなった画です。死ぬまでにもう一度リベンジしなくては。



MOA美術館については何も知らなかったのですが、エントランスからの幻想的なトンネルを通りながらミホ・ミュージアムに似ているなと感じました。共通点は宗教法人が運営する美術館であり、両者とも現実世界と宗教により開眼する理想世界の架け橋といったコンセプトがデザインに生かされているのかもしれません。



創設者の岡田茂吉は世界救世教の教祖で、青年時代は画家をめざしていて芸術は単に鑑賞するものではなく人々を善に導く存在だと言っていたそうです。これは、絶対神や科学万能主義を否定し、生と芸術を重視したニーチェの思想に近いものがあるなと感じます。

岡田茂吉と聞いて思い浮かんだのが滋賀県の近江大橋そばにある未来的な大規模建築物で、「岡田茂吉研究所」というそうですが、岡田茂吉の世界救世教の分派のようです。どうやらここも科学万能主義を否定するような思想集団のようですが、財源はどうなっているのかなと思います。



尾形光琳の寒山拾得(かんざんじっとく)図(MOA美術館は写真撮影OK)。こちらから目を背けて俗世間をあざ笑うようなそぶりを見せながら禅を極めるキリっとした力強さも見せる。



豊臣秀吉の直筆の手紙があった。北政所(ねね)への手紙で、茶々の間に拾が生まれたので、見せに行きたいとという内容。家族への手紙のせいもあるが、柔らかい字と歪んだ筆の流れが姿勢を変えずに一気にさらさらと書き上げた姿が目に浮かぶ。

歴史上の人物は後世、色々と語られるけれども直筆を見るとどういう人物だったかが色眼鏡なしにわかるので大変面白いと思います。



現代美術の展示もあります。白塗りの陶芸は13代三輪休雪。後ろの絵は別の作家によるものですが、美術館側で組み合わせたコラボ作品にしているのが面白い。



美術館の庭園から熱海の海が広がります。



右手には熱海城が。秘宝館まだあるのかなぁ。



電車で三島駅まで戻ってレンタカーします。

今回は箱根ドライブということで新型プリウス!

先代より断然かっこいいスタイル。高級車に乗り込んだ感覚が味わえます。走りも思った以上にパワーがあって驚きました。ただ、デザイン重視のおかげでAピラーが前方に伸びて見切りが悪いので運転に少々気を遣う。



プリウスで最初に向かった先が、クレマチスの丘という名前の場所に佇むベルナール・ビュッフェ美術館

日本ではあまり知られていない画家ですが、ここ箱根の美術館はビュッフェの収蔵数は世界一だそうです。収集したのは銀行家の岡田喜一郎さん。

ビュッフェは第二次世界大戦時、ナチスドイツによる占領下のパリで青年時代を過ごした人で、陽気さや華々しさといった肉を全てそぎ落とした後に残る骨と針金を描いたような作品を多数描いた人です。

撮影NGだったので掲載しませんが、この画家は特に静物画においてダークトーンの色彩のバランスと、物象のコンポジションの感覚が飛びぬけて素晴らしいと感じました。一方で人間については精神性が感じられず、ピカソのキュビズムによる人物像には及びません。

この美術館、ビュッフェの作品オンリーで、いかんせん絵が暗いので、はたして今後も運営していけるのかなと若干心配になりました。



次に行ったのが御殿場プレミアムアウトレット。とんでもなく多いお店の数と、その供給力を受け取ってあまりある数多くの外国人に驚きました。

ついにドル円が151円まで進んでしまった上に免税なので外国人にとっては買い物天国なのでしょう。昔は、強い円を振りかざしてヨーロッパのブランド物を買い漁った日本人が完全に逆転してしまいました。

外国人のノリにつられてBEAMSとリーバイスで買い物をしたら、夕方になってしまったので、ガラスの森美術館に行く時間が無くなってしまいました。



宿は仙石原にある「品の木一の湯」です。奥さんが合流してきてきました。

ここは内風呂と露天風呂の源泉が違っていて、大湧谷から引いている露天風呂の湯は酸化していない若草色のフレッシュでなめらか。今度来たときは是非、大湧谷の温泉に浸かってみたい。

いいお宿だったのですが、驚いたのが日本式の温泉宿なのにかかわらずお客さんの半分以上が外国人だったこと。筆者は攘夷派よりはグローバル派のはずなのですが、半分以上が外国人になるとどうも落ち着かない。



翌朝早く散歩。結局いかなかったけれど宿のそばにあるガラスの森美術館の前を通る。




朝日が紅葉を輝かせる。



小塚山と台ヶ岳の間の坂を登って行くと、数多くの保養所、温泉宿、別荘があります。この白い邸宅はまさにシャトー。仙石原の盆地にたちこめる霧が美しい。




【金時山登山編】


金時山は箱根の外輪山における最高峰で1212mありますが、登山口のある箱根裏街道の標高が688mもあるので、標高差は大きくはありません。

公時神社(きんときじんじゃ)から登ると、ずっと外輪山に邪魔されて見えなかった富士山が頂上に立った瞬間に突然に視界に入ってきて思わず声をあげずにはいられません。頂上の地形は、まさに富士山の全景を見るために造られたようになっています。

多くの人は頂上から公時神社に引き返すルートをとりますが、今回は乙女峠を経由する周回ルートを歩きました。乙女峠までは気持ちの良い尾根道で西方向に富士山の頂上が垣間見えます。また乙女峠からは再び富士山の全景が楽しめます。

全体で6.4km、累積標高637m、ゆっくり歩いて4時間20分の山行でした。



ゴルフ場横の有料駐車場に車を停めて公時神社(きんときじんじゃ)に向かいます。今回も白山に続き夫婦の登山です。



神社前の社務所でニワトリを放し飼いにされています。強烈な声量で鳴くのでびっくりします。朝だけでなく昼も鳴き続けるそうです。



公時神社の御祭神は坂田公時(さかたのきんとき)。このあたりで生まれた平安時代の人物で子供の頃から熊と相撲をとるほどの怪力の持ち主だったことから金太郎伝説が生まれた。

坂田公時はその後、源頼光に見いだされ、頼光の四天王として大江山へ酒呑童子一味を征伐に行きます。



人気の山だけあって登山道は比較的歩きやすいです。



金時宿り石。ここで金太郎が山姥に育てられたという伝説。



リンドウの青い花が道端に咲いています。



こちらはアザミ。



南東方向には箱根山と中腹で温泉の煙を噴き上げる大湧谷が見えます。大涌谷では黒タマゴが名物です。



南に目を向けると芦ノ湖が見えてきました。



公時神社分岐まで登ると外輪山の尾根道に入ります。岩場がありますが特に問題なし。



頂上にたどり着きました。左手に見えるのが我らが富士山!



それまで全く見えなかった超巨大な山が突然視界に入ってくるのは大感激の他に言葉がありません。今日は天気が良かったのも手伝って素晴らしい姿が拝めたので、登ってくる人全員が「オー!!!」と声をあげています。

左の雄大な裾野の先にあるのが愛鷹山(あしたかやま)(1504m)。ここからはちょうど新幹線から見るアングルで富士山が見えるはず。



雪化粧を施した頂上斜面のひだがはっきりと見えます。全国各地に「~富士」という名の付いた山は数多くあれども、本物の富士山と比べれば月とスッポン。まさに日本一の山。



愛鷹山からさらに左を見ると相模湾が見えます。



頂上の茶屋で名物しめじ汁をすすった後は、名残惜しいけれども下山を始めます。



乙女峠までは外輪山の尾根道を進みます。とても歩きやすい。尾根道歩き(=トレッキング)は実に登山の醍醐味ですね。




尾根道の西を見ると木立のすきまから富士山の山頂が垣間見えます。



途中、数十メートルのアップダウンの後、長尾山に出てきますが、ここは景色なし。



紅葉のトンネルの尾根道を進みます。金時山のコースはブナが多く、豊かな自然も満喫できます。



乙女峠では再び富士山の雄姿を拝めるビューポイントがあります。金時山頂上の時よりも少し雲が出てきました。



尾根道が長くて楽しいほど、その後の坂道は厳しくなるというセオリー通り、乙女峠からの下りは少々キツイものがあります。ガレ場が多いので注意が必要。



へばりかけていた奥さんですが、なんとか乙女口に下りてきました。



乙女口に外輪山の尾根道の半周コースの案内版がありました。これはテントがいるかな。



帰りに立ち寄った箱根関所は芦ノ湖沿いにありました。ちょうど海賊船が進んでいます。後ろに富士山が少し姿を見せています。



最後に立ち寄ったのが山中城址。北条氏によって築城されたが豊臣秀吉の猛攻撃に遭い、半日で落城してしまったという。城の痕跡はまったく残ってないのですが、掘が単純な溝ではなく、一定間隔で梁を渡しているようになっているのが特徴で、障子掘と呼ばれるそうです。

以前は赤土でズルズルと滑って登りにくかったそうですが、果たして防衛効果があるのかどうか甚だ疑問です。この城以外に誰も真似していないのは効果がなかったんじゃないか。


ここからの富士山の眺めも実に素晴らしい。全く雲がなくなっています。人工物がほとんど見えないので、ほぼ昔のままの景色が楽しめます。

このあたりはススキが有名だそうなのでススキを近景に。




山中城は金時山よりも南方にあるので、よく見ると富士山の中腹に大きくえぐれた部分が見えます。



Google Earthで確認すると上から傷口がバックリ開いたような形をしています。調べてみると、宝永火口と言って江戸時代半ばに起きた富士山噴火史上、最大級の噴火でできた火口だそうです。Google Earthで見ても明らかなように宝永火口は山頂の火口よりも大きいです。

この時の噴火は凄まじく、江戸の町では昼でも真っ暗になりろうそくの火を灯した記録が残っているそうです。

ちなみに宝永の時代は阿蘇山も浅間山も噴火したそうで、地中で何やら大きな変化が起きたのでしょうか。



11/1は本当に天気に恵まれて、主目的であった富士山の雄姿をお腹いっぱい堪能できて幸せな気分で新幹線に乗って帰路につきました。


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