2022年10月25日火曜日

【中山道】望月宿、芦田宿、長久保宿、和田宿

 2017年から始めた中山道歩きですが、三留野(みどの)宿~京都までの西半分は2018年に完了しているのですが、江戸日本橋からの東半分は毎回新幹線で東京まで行かなければならないので大変です。

すでに4回の旅碓氷峠を越えてようやく信州長野県の望月宿までやってきましたが、今回は望月宿から下諏訪までを歩いてみたいと思います。



前回の碓氷峠も標高1211mあり、それなりに大変でしたが、今回の和田峠は標高1531mで、中山道最大の難所と言われています。なので今回のコースは累積標高1270mだったので十分に登山のレベルです。

今回も前回と同じく二泊三日の旅ですが、下諏訪宿は中山道唯一の温泉宿であり諏訪大社があるので、三日目は温泉と観光にあてました。なので距離は短めです。



今回の旅は、東海道新幹線、北陸新幹線と乗り継いで佐久平駅で下車、そこからタクシーで前回の終点の望月宿に向かい歩き始めます。

芦田宿、長久保宿、和田宿まで行ったところで、一泊目の宿泊地である民宿みやが有料で送迎サービスをされているのでピックアップしてもらい宿で休みました。

二日目は再び民宿みやさんに和田宿まで運んでいってもらい、和田峠を越えて下諏訪宿まで歩き、下諏訪宿すぐそばの温泉宿の聴泉閣かめやで奥さんと合流、ゆっくりくつろぎました。

三日目はレンタカーを使って奥さんと一緒に諏訪大社を観光してから塩尻経由で特急しなの16号に乗り名古屋から新幹線で帰るといった行程でした。

中山道歩きの結果ですが、こんな感じでした。やはり標高差が大きい同じ距離でも歩数と時間が増えます。和田峠は東側はとてもなだらかで歩きやすい道ですが、西側は軽いザレ場もあり登山道です。また和田峠前後の山道を除いて、歴史を感じさせる楽しい道もありましたが、国道142号沿いを歩く箇所が多く、歩道も狭く大型トラックが1m横を走るので非常にコワいです。

  • 望月宿~和田宿 20km 25000歩 5時間
  • 和田宿~下諏訪宿 23km 38000歩 7時間



諏訪湖と和田峠はフォッサマグナの西のラインである糸魚川-静岡線の上に位置しており、ユーラシアプレートと北アメリカプレートがぶつかるところにあります。大陸プレート同士がぶつかるとどちらも沈まずに上に盛り上がっていくので、八ヶ岳や日本アルプスが生まれたわけです。

和田峠は中山道の一番の難所と言われますが、高山に囲まれたこの地では、まだ一番歩きやすい通路だったのですね。

諏訪湖の後、中山道は北アルプスと中央アルプスの間を抜けていくことになります。


今回の写真は全て iPhone 14 Pro による撮影です。

朝5時半に起床して7時前ののぞみで東京駅到着、そこから北陸新幹線あさまに乗り換え、佐久平駅まで来ました。ここから望月宿まではバスがありますが、午前中は早朝のみなのでタクシーに乗ります。タクシー代が5千円ほどかかります。片道だけで交通費2万円以上かかるのがツライ。



ここが去年の4月に旅を終えた望月宿の出野屋旅館です。あれから1年半も経ってしまいましたが、歩き始めます。時刻は11時14分。10月の終わりですが長袖のベースレイヤー一枚でちょうど良い。



大伴神社。奈良平安時代に満月(望月)の日に朝廷に馬が献上されたことが町名の由来になっている。



稲刈り後の田んぼに立つ標識。



望月宿と芦田宿の間にあった茂田井は「間の宿」と言われていた。当時の雰囲気を今に残す。でも、望月宿と芦田宿の間は5キロほどなのに何故その間に宿場があったのだろうか。




茂田井を過ぎたあたりで12時になったのでランチにした。お湯を沸かしてどん兵衛とおにぎり。



石割坂。大きな石を割って坂の表面に敷き詰めたのが名前の由来。



茂田井の一里塚。



今回のコースではほとんどの畑で下仁田ネギを作っているのが見えた。筆者は3週間前に種まきをしましたが、信州のような寒冷地では春に撒くのが一般的でちょうど今頃が収穫時のようです。



浅間山がよく見える。このあと午後4時ごろにみたらもう雪はなかった。iPhone 14 Pro の3倍ズームの解像度は秀逸です。



12:45分に芦田宿の本陣跡に到着。芦田宿は本陣、茶屋が6軒ということで小さめの宿場。



旅籠「津ちや」。現在でも営業されているようです。



特許「スーパー便所」。調べてみると、昔の汲み取り式の便所の時代と、下水道処理する水洗便所の時代の間にあった単独浄化槽式で、汲み取る代わりに浄化槽で生物処理したあと側溝に流す方式だそうです。昭和50年代後半(1980年頃)の方式らしいので、この広告の錆び具合と一致します。



群馬、長野を歩いていると男女双体道祖神を見ることがとても多い。夫婦円満で仲良くしている姿は本当に微笑ましいです。



これは道祖神ではなく母と娘の比較的新しいレリーフかな。ここから笠取峠が始まります。風がきつくて傘を持っていかれることが多かったのが地名の由来。



笠取峠は風や雪で旅人が難儀したらしく徳川幕府が植樹した松並木が風光明媚であったそうな。当時ほど(700本)ではないですが、100本近くの松が道に並んでいます。



松並木を過ぎると笠取峠は近代化され国道142号沿いの道がしばらく続く。峠道で大型トラックがエンジンをうならせながらすぐ横を走るのでコワイ。

これは笠取峠の頂上900mあたりにあった江戸時代の様子を描いたレリーフ。左上に煙をだしている浅間山があり、それを眺めてお茶屋の縁台に座っている人たちが見える。こんな風景は跡形もない。



長久保宿に近づくと国道142号の脇の中山道原道に入ります。トラックから逃れてホッとする。



松尾神社の鳥居をくぐるともうすぐ長久保宿。



本陣そばにあった兼農の馬を取り扱っていた吾一庵が資料館になっている。



無人で大丈夫なのかなと思いながら見学。通行札を買いました。



こちらが長久保宿の本陣。芦田宿から約1時間半。旅籠が50軒あったというからかなり大規模な宿場町だったのでしょう。



和田宿にむかって再び国道142号を歩く。食事処「中仙道」。平打ち麵のホウトウや韃靼ソバが名物だそう。韃靼ソバは普通のソバとは違う品種で苦みがあるのが特徴らしい。食べたことないけど。



馬頭観音郡。今日の宿の民宿みやは、もう過ぎていますが車でピックアップしてくれるので歩けるところまで歩くつもり。



世にも珍しいミミズの碑。ミミズへの感謝の意を込めたものらしい。畑をやっているとミミズが土中に穴をあけてくれるおかげで土がほぐれるのがよくわかる。ときどきクワで切断してしまうのが可哀そうなのだが。



山が近くにあると湧き水に出会えます。流れている水は格別の美味しさ。



獅子舞と子供たちのレリーフ。なごやかで幸せそう。



石仏石塔群。



和田小学校。時計台があれば、「うる星やつらビューティフルドリーマー」に出てきた学校によく似ていると思った。



和田宿手前の八幡神社。



祝言(しゅうげん)道祖神。男女のペアの道祖神を多く見かけますがこれは結婚式かな。



和田宿に到達しました。長久保宿から1時間40分でした。




こちらが和田宿の本陣跡です。ここで民宿みやさんに電話して20分くらいで車でピックアップに来てくれました。



民宿みやは夫婦で運営されており、お二人とも親切、にこやかで、食事も地元野菜をふんだんに使ったもので美味しかったです。お風呂も小さいながら自動湯沸かしだったので、温まってゆっくり休めました。



ちょうどいま国の財政で全国旅行支援中で、宿代が一人一泊5000円割引なのと、観光クーポン券と交通クーポンがもらえました。クーポンについては当日、翌日限定なので急いで使わないといけません。歩くので交通クーポンは使えず、観光クーポンは翌日下諏訪でなんとか使えました。


和田宿、下諏訪宿編に続く...



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