望月宿から下諏訪宿までの後編です。前編(望月宿、芦田宿、長久保宿、和田宿)はコチラ。
民宿みやで6時半に朝食を終え、ご主人に車で昨日の終着の和田宿まで送ってもらい、歩き始めたのが7時半。
いよいよ中山道最大の難所の和田峠に向かいます。昭和キンチョールのホーロー看板。まだホーローが効いていてキレイです。最近は崑ちゃんのオロナミンCとと由美かおるのアース渦巻は見かけなくなりました。
再び男女双体道祖神。
一里塚後。右が中山道。左は松澤?道と書いてある。江戸から五十里だそうで、約200キロ。思えば遠くに来たもんだ。
国道142号沿いは大型トラックが飛ばしてくるのでこわい。ここはまだ歩道があるだけマシ。
唐沢の一里塚跡。めずらしく両端に塚が残っている。塚の上にはエノキやマツが植えられていた。
男女倉口バス停を越えたあたりで、この先から山道に変わります。望月宿から車道の尽きるここまで来て民宿みやさんにピックアップしてもらう人もいるそうで、ピックアップサービスを最大限活用できます。
この分岐を霧ヶ峰高原、美ヶ原高原に向かう右に折れます。
道路を調べてみると、右に向かう道は142号の旧道(オレンジ色)で美ヶ原高原と霧ヶ峰高原に向かうビーナスライン(緑色)に接続しているようです。
新道(青色)は和田峠の下をトンネルでくぐりぬけてしまうのでビーナスラインには行けません。
霧ヶ峰というと三菱エアコンが真っ先に頭に浮かびますがトレッキングも楽しめるいい所のようです。とは言え、関西人には行くのにハードルが高いなあ。
旧道142号を少し行くといよいよ和田峠に向かう山道が出てきます。出発から1時間半です。中山道は旧道142号の内側を通っています。
三十三体観音。かつて山の中腹にあった熊野権現社そばに並んであった石仏を集めてきてここに設置したそうです。
ところどころに紅葉が色づいています。やはり山道はいいわ。
接待茶屋跡。和田峠は旅人が難渋するので冬場に限り旅人に粥と焚火を提供したそうです。今は和田峠は雪は積もらない代わりに道が凍るそうです。江戸時代は雪は積もったのでしょうか。いずれにせよ、下諏訪から凍える道を歩いてきた後のおかゆと焚火はさぞかし嬉しかったことでしょう。
でも、「接待」というと何やら懐石料理や高級クラブ、ゴルフを想像してしまいます。
落ち葉のじゅうたんを歩いて小川を渡る。
閉業してしまっていますが「黒曜石」と「力餅」の看板が見えます。江戸時代、ここには東餅屋という茶屋が五軒もあったそうです。また諏訪湖一帯から和田峠にかけては黒曜石の採石所としてにぎわったそうです。ブラタモリでもやっていましたが、黒曜石は硬いので銅や鉄がなかった石器時代に、縄文人が黒曜石を求めて諏訪湖周辺に集まってきたと説明していました。矢じりや鍬の刃として使えるので、部族の争いや農業生産に圧倒的に有利だったのでしょう。
ちなみに和田山の頂上は和田峠のすぐ南東に位置し頂上の標高は1657mです。
ビーナスラインの横から山道に入ったところです。和田峠への道も歩きやすい。
和田峠に到着!といっても看板と石碑があるだけです。荒涼としており風も強く手袋をしようかと思うほど寒い。
和田峠の斜面をあがると御嶽山遥拝所があります。少し雪がかかった立派な山が御嶽山、と思っていましたが帰宅してから調べるとどうやらこれは木曽山脈でした。
眼下に見えるのが下諏訪の町です。右に首を振ると御嶽山が見えたのかもしれません。だとしたら惜しいことをしたなぁ。
上の写真の拡大です。iPhone 14 Proの3倍ズームは筆者の視力以上に見える。
GoogleEarthで同定すると南アルプスの全容が見えているようです。木曽駒ヶ岳から空木岳は9月に友人たちと相談していましたが結局行けずじまいでした。
さて和田峠を下山しますが、東側のなだらかな登りと違って、下りは全然違います。これはもう登山道。
迂回路を通ればよかったのですが、まさか中山道で藪漕ぎをする羽目になるとは思わなかった。このあとフリースのパンツに無数のひっつき虫がついて苦労した。
やはり紅葉はイロハモミジが一番きれいだなぁ。
道祖神、牛頭天王と書いてある。道祖神は度々見かけます。また馬頭観音もたまに見かけます。でも牛頭天王を見たのは初めてかもしれません。
調べてみると、牛頭天王は「ごすてんのう」と読み、釈迦の生誕地インドにあった祇園精舎の守護神が由来で、日本では薬師如来の権現として扱われていたようです。祇園だけあって京都八坂神社の祭神で、天王と言えば、牛頭天王のことを指し、「天王洲アイル」の天王も牛頭天王のことだそうです。
ちなみに「祇園」とは、ある長者がブッダに寄進した園林の名前「ジェータ」から来ています。
新旧同流したあとの国道142号の手前にベンチがあり、ちょうどお昼の12時だったのでランチにします。
民宿みやで作ってもらったお弁当。鳥飯のおにぎりと梅干いりの海苔巻きおにぎりです。美味しかった~。
国道142号を渡って再び山道。紅葉がきれいです。
山道が終わって142号沿いに歩いてしばらく行ったところにある浪人塚。天狗党の戦死者を祀った碑です。天狗党というのは、幕末に一時期長州藩が蛤御門の変で敗退したため、水戸の尊王攘夷派に元に集まった水戸の急進派を中心にした浪人集団で、関東一円で幕府軍を激しい戦いを繰り広げたのですが、この和田峠の戦いというのもその一つ。ここでは10人前後の死者を出したそうです。
ここは木落し坂。諏訪大社で行われる御柱祭(おんばしらさい)で、諏訪大社の社殿の四つ角に建てられるモミの大木を切り出して坂を滑らせるお祀りです。
これは下から見た写真です。写真だとよくわからないけれど、傾斜がキツイ。45度あるらしいです。
7年に一度の御祭りで、今年2022年2月がその年だったのですが、コロナウィルスのおかげで中止でした。時々死者もでるそうですが、この写真を見ると全員怪我をせずに終える方が奇跡に感じます。
(諏訪大社HPより)
砥川(とがわ)。
【番外編】3日目。諏訪大社めぐり。
下諏訪の町に入ってきました。諏訪では神社やこのような道祖神にも四つ角に柱を立てる習慣があるようです。出雲や伊勢でも御柱を祀る習慣があるようですが、今でも地域全体で祭儀が生きているのは諏訪だけのようです。
遂に眼前に諏訪湖が見えてきた!
諏訪下社秋宮の角を曲がった坂道で富士山が見えるスポットがありました。かろうじて富士山の右の稜線が確認できます。
神社の玉垣をさらに御柱が囲んでいます。
午後2時40分、ようやく下諏訪宿に到着。本陣跡です。和田宿から7時間かかりました。さすがに疲れた。
江戸時代の下諏訪宿のレリーフ。中央に温泉に浸かっている人たちがいます。左には足湯を楽しむ武士らしき人も。
2日は温泉旅館の聴泉閣かめやに泊まります。ここに奥さんが合流してきて明日は諏訪大社めぐりをします。
下諏訪の温泉は少しトロ味のある弱アルカリ性で長く入っていても湯あたりしない上品な湯でした。夕食に諏訪の酒、真澄、本金、高天を飲み比べましたが、高天が香りがよく一番好みでした。
3日目は奥さんと一緒に諏訪大社をめぐります。JR下諏訪駅に行く途中にいくつか源泉が湧き出す場所がありました。フォッサマグナに間隙から噴出するのですから湧出量も豊富なわけです。
下諏訪駅の駅舎の前にもお湯が。
上諏訪駅にはなんとホームに足湯がありました。感動です。
諏訪大社めぐりにレンタカーを借りました。新型クラウンです!
と言いたいところだけれど、これはレンタカー屋の横のトヨタディーラーにあった車両。借りたのはいつものヤリスです。
諏訪大社は全部で4社あります。諏訪湖北の下社(しもしゃ)が2つ、南の上社が2つ。
(ブラタモリより)
諏訪大社4社全てで共通の祭神は、タケミナカタノカミです。
アマテラス派から一方的に国譲りを要求されたオオクニヌシはまずは長男のコトシロヌシに頼りますが、アマテラス派が遣わした戦死タケミカズチノオに一瞬に降参してしまいます。
次にオオクニヌシが頼った次男がタケミナカタノカミです。
筆者の座右の書「まんが古事記」にはタケミナカタノカミとタケミカズチノオの戦いが迫力満点に描かれています。タケミナカタノカミも健闘しますが、タケミカズチノオに諏訪湖で追い詰められて、「諏訪の地から一歩も出ないから許してくれ」と頭を下げます。
(「まんが古事記」より)
まずは下社から。下社は上社より位が低いことになっていますが、温泉地のそばなので商業的にはこちらの方が栄えています。
これは下社秋宮。祭神を祀るのが8月から翌1月なので秋宮と言われている。
これは下社秋宮の御柱の一つ。本殿の四つ角にそれぞれ御柱が立っています。
次に下社春宮に移動。こちらは2月から7月に祭神が祀られるので春宮と言われる。
見事な獅子の木彫り。
春宮を出る時に地元の小学生の集団がやってきて、そのなかの一人がこれを見て「ほんきん、れいじん、ますみ、すげ~」と叫んでいたのが面白かった。お父さんが酒好きなのね。
上社に行く前に諏訪湖をじっくり鑑賞するために、みずべ公園にやってきました。天気がいいので湖面に空が映ってすばらしい。
この、みずべ公園、富士山が見える絶好スポットでもあります。
拡大して少しコントラストを上げました。それなりに富士山の全容が視認できます。これもiPhone 14 Proの3倍ズームの威力。ここから富士山まで100キロもあるのですが、谷が回廊のように通っています。非常に微妙な角度なので諏訪湖でも富士山の全容が見えるところは非常に限られているようです。
次に上社に向かいます。下社が春宮と秋宮の二つですが、上社は前宮と本宮という名前になっています。
まずは上社前宮。諏訪の祭祀の発祥地でかつては諏訪の政治の中心であったそう。いまでは野趣豊かな社といった感じです。
ここにも御柱が。
上社前宮からは八ヶ岳連峰が展望できます。左の一番高いのが天狗岳(2646m)。
右(南)の方を見ると、赤岳(2899m)、横岳(2829m)が見えます。
最後は上社本宮(ほんみや)。諏訪大社の大ボスだけあって境内も広く、威厳と格式を感じさせます。でもお土産屋等は温泉地の下社に比べて寂しい。
こちらも御柱が。
異様さを感じさせるケヤキの霊木。
諏訪大社4社を見学した後は、近くの田毎庵(たごとあん)で信州そばをいただきました。信州そばは今まで色々食べましたが外れに当たったことがない。特にここは蕎麦の風味、絶妙な歯ざわり、そしてツユは醤油の香りがすばらしい。そば茶まで特別に美味しい。
そばを食したあとは、レンタカーを返して茅野駅から塩尻までローカル線に乗り、塩尻から、特急しなので名古屋まで、そこから新幹線に乗って帰りました。
次回の中山道の旅は下諏訪宿からいよいよ木曽路行です。もう東京まで行かなくて済むので交通費的にもホッとします。
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