芦屋側から眺めるとこのようなルートになります。
京都からJR新快速で芦屋駅へ。前の会社時代はよく来たものですが、芦屋は場所も人も品がいいです。
それはいいのですが、とにかく暑い。7月になったばかりなのに、30度を超えています。
暑いのですが、天気のよい日曜日とあって、六甲山へ向かうハイカーたちは多いです。ほとんどの人はロックガーデンのルートに行くようですが、私は会下山(えげのやま)ルートを辿ることにします。どちらを辿っても途中の風吹岩で合流することになります。
山芦屋町、町名通り、芦屋の山手。
会下山方面ですが、遺跡って何?
さすが芦屋の山手だけあって、お城の石垣のような壁。
GPSに従っていくと、火葬場で行き止まりになったが、ふと横を見ると、細い道があり、会下山遺跡と道標がある。
イノシシ除けのフェンスを開けて入ると、いきなりの山道。
ちょっと上ると、遺跡群がありました。
これらの遺跡は弥生時代の集落跡だそうです。
大阪南港の方までよく見えます。
途中で子猫ちゃんに出会いました。毛並みもいいし、捨て猫なのかな。
蛙岩。どう見れば蛙に見えるのか?ひしゃげた餅のよう。
芦屋の街中と違い、木で覆われた山道は涼しいですが、登っていくと汗がダラダラでてくる。今回は多めにと思い2.5Lの水を持っていますが、それでもどんどん消費されていく。
岩肌を登っていきます。
こちらが風吹岩。といっても全然風は吹かず、ただただ暑い。お弁当を食べようにも日陰なし。とりあえず岩を登ってみます。
岩の上からは素晴らしい大阪の景色が見えます。
ところで、前に武奈ヶ岳でアブかブヨにやられたので、今回は虫対策に森林香を焚いています。線香を赤い金属容器に入れて、ザックの後ろにヒモで括り付けると、4時間程度は煙を出し続けます。ちなみに、蚊取り線香はハエ系のアブ・ブヨには効きません。同様に、この森林香は、蚊には効きません。
歩いているときに、何度もハエかブヨかが近づいてきましたが、すぐに逃げていきます。結界をはっている気分です。
さらに首と腕にはハッカ油をふりかけています。この匂いもなかなか強いですが、スッとするいい香りです。
荒地山への分岐点。六甲方面へ進みます。
途中で見かけた明らかな人工的な石垣。古代遺跡のように見えますがこのルートは魚屋道(ととやみち)と言われ、神戸で採れた魚を有馬温泉へ運ぶ最短ルートとして大正時代まで使われていたものだそうです。
芦屋カンツリー俱楽部を縦断します。登山をやってるとよくゴルフ場を縦断しますが、そのときいつも思うのは、ゴルフと登山て随分違う趣味だな、ということ。自然を切り崩した人間の作った枠組みで楽しむ趣味と、自然を自然のまま楽しむ趣味。
遠くにダムが見えます。これからいく本庄橋跡です。
住吉川に続く上流の沢を渡ればいよいよ六甲山最高峰へ向けての斜面の取りつきになります。
本庄橋跡です。かなり立派な石橋だったらしきイラストがあります。
今はダムになっています。
汗ダクダクで、ようやく一見茶屋に到着。ホッとします。昔からあった茶屋さんなのでしょう。
イチゴ味のかき氷。正直こんな美味いかき氷は生まれて初めてでした。熱暴走した体に氷が隅々まで行きわたる感じ、と言えばいいのでしょうか。
本当はここから60mほど登れば六甲山最高峰なのですが、前回縦走の時に行ったし、今回はいきません。
さて、ここから有馬温泉までは下りなので気がラクです。ハイカー達も温泉に入れるとあって楽しそう。
しばらくは道が舗装されていて歩きやすい。
しばらく歩くと舗装はなくなりますが、それでも道幅は広く歩きやすい。昔は籠が歩行者を追い越したりしていたのでしょう。
峠の茶屋跡がウッドデッキの休憩所になっていました。
この魚屋道って明治時代は県道だったんですね。どうりで石垣があるはずです。明治7年(1874年)に大阪、神戸間で鉄道が開通し、住吉駅が有馬温泉の最寄り駅となったと書いてありますが、今の感覚では、「住吉駅が有馬の最寄り駅?」でしょう。
その後昭和初期に、神戸電鉄湊川ー有馬が開通、六甲ケーブルカーが開通し、随分行きやすくなり、芦有道路が開通したのは昭和36年です。
この辺りは、虫地獄、鳥地獄と言われています。炭酸ガスのせいで、虫や鳥が死ぬからですが、そのせいで、人間にも害があるものだと信じられていました。
ようやく山道が終わり、有馬温泉に到着。暑かったせいで会下山登山口から5時間程度かかってしまいました。
こちらは温泉神社。
今日はこちらに一泊します。
部屋は清潔で、お風呂はそんなに大きくはないですが、金の湯と言われるお湯が露天風呂になっています。有馬の湯は非常にしょっぱく、海水の塩分の1.5倍あります。これは、海水がプレートの隙間に飲み込まれ、地中で熱せられたものが噴出してきているからだそうです。
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