大峯奥駈道は、吉野と熊野を結ぶ全長170キロにおよぶ山道です。
役行者(えんのぎょうじゃ)が8世紀に開いた修験道の修行場で、2004年からユネスコ世界遺産になっています。
2018年から吉野から幾つかのコースに区切って行っていますが、今回で4回目の旅となり、八経ヶ岳そばの弥山(みせん)から前鬼までのコースです。本当はこのコースは去年2022年の旅で踏破するはずだったのですが、2022年は弥山への登山口である行者還トンネル西口への道路が崩落で通行止めになってしまい、代わりにその先のコースである前鬼から行仙岳を歩いたからです。
今年2023年になってようやく行者還トンネル西口への道路が開通されたので、去年行くはずだったルートを改めて攻めようというつもりです。
これが今回の全ルートです。合計距離約21キロ、累積標高約1700mのコースです。全体を通してキツかったのは弥山頂上に向かう300メートルの急坂と、釈迦ヶ岳頂上手前のクサリ、虎ロープのオンパレードでした。
さて、詳細のジャーナルですが、朝5時半に自宅を出発して、相棒S氏と道の駅飛鳥でランデブーしてから2台でまず今回の終着地点である前鬼の駐車場に私のスイフト号を駐車させてから、S氏のフィットに同乗して始点である行者還トンネル西口駐車場に到着したのが10時40分でした。
登山口すぐの場所でコンビニ弁当を食べると登山開始です。
弥山、八経ヶ岳は2017年10月に登っているので今回は2度目の登山。
弥山へのルートは尾根に取り付くまでの急坂と、理源大師像から頂上までの急坂が大変です。
今回シャクナゲのつぼみは多く見ましたが、これが唯一咲いていた花。
急坂を登りきると尾根に取り付きます。この尾根道は大峯奥駈道。ここまでは2019年5月のコースで辿りました。
ここから理源大師像までの尾根道は大変気持ちの良い道が続きます。
今回のルート上のあちこちで見かけたのがコバイケイソウの新芽です。アルカロイド系の毒を持つため鹿の食害の影響を全く受けません。
尾根途中にある小ピーク、弁天の森です。弁天様はふつう池のそばに居られるのですが水場はありません。
13時20分に理源大師像に到達。理源大師は、またの名を聖宝(しょうぼう)。弘法大師、空海の弟に弟子入りし、その後、重職につき醍醐寺を開いた。役行者を信奉されていたそうです。厳しい修行をされている割にはとても温和なお顔です。
理源大師像から頂上までの300メートルが一番苦しい箇所になります。
途中、北方向を振り返ると大普賢岳が見えます。
鉄バシゴが出てきたらもう一息。
理源大師像から約1時間、14時半に弥山小屋に到着しました。5年半ぶりだったのですが前回より楽に登れたような気がします。
ゴールデンウィーク中なので小屋泊だけでなくテント泊の人たちも多かったです。全部で30帳くらいあったかな。弥山小屋前は混雑していたので景色のより国見八方覗にS氏と一緒にテントを設営しました。ちょうど後ろに見えるのが八経ヶ岳。
素晴らしい天気で景色がよく見えます。大普賢岳から行者還岳、そして今日歩いてきた尾根道がはっきりと見えます。行者還トンネル西口から尾根への道は左水平の稜線のちょうど裏側になります。
2枚重ねがずれないように上下を紐で結わえています。この2枚重ねは断熱性はもとより、すこぶる寝心地が良くベッドのようでした。
枕は今までインフレーター式の枕を持ってきましたが、今回はパタゴニアのクラウドリッジジャケットを枕にして軽量化に努めています。
釈迦ヶ岳手前のピークである孔雀岳(1779m)に到達しました。14時9分。当初の予定よりも時間がかかっています。
ずっと右側面しか見えていなかった釈迦ヶ岳の吊り橋状の尾根の全貌が見えてきます。
弥山小屋のすぐそばにある弥山神社。案内板には弥山とは須弥山の略称で、明治時代の修験道禁止令の前には多くの寺院があったと書いてあります。
本来、役行者は原始密教であり仏教なのでなぜ神社?と思いましたが、そういういわれがあったのですね。
明日登る八経ヶ岳はなだらかな山だけれど頂上は斜めに少し尖っているのが特徴で遠くからでもわかります。
八経ヶ岳の左後ろには明日の終着点である釈迦ヶ岳が見えます。
弥山小屋の前のテン場はかなりの混雑。
17時から予約してあった夕食を小屋でいただきます。テント泊で食事だけ小屋で食べるというケースは珍しいようですが、荷物を減らせるしやっぱり暖かいご飯は美味しい。
豚の炒め物にスープが付いています。ご飯はお代わりしました。前々日にBBQパーティで飲みすぎたのでビールは無し。
食事が終わって19時頃には就寝したのですが、今までの素晴らしい天気が嘘のように風が吹き出して雨(あられ?)がパラパラと降り出し気温がどんどん下がってきました。
最近の天気予報を侮ってはいけません。予報通りの氷点下になりました。ダウンソックス、ダウンジャケットを着こんでシュラフに潜り込んで安眠できましたが、朝起きるとテントが凍り付いていました。
ホワイトアウトかと思われた早朝5時も太陽6000度の明かりに照らされて、どんどん良くなってきました。凍り付いたテントの撤収に時間がかかり出発は7時半になりました。
途中オオヤマレンゲの自生地帯を抜けると八経ヶ岳の頂上に8時15分に到着。気温は低く風は吹いていますが景色はこの通り。標高1915m、近畿最高峰です。
地面に刺さっていた錫杖を片手に念仏を唱える筆者。
中央に見えるのが釈迦ヶ岳です。釈迦ヶ岳の左の吊り橋のような崩落している尾根が厳しそうで気になります。
明星ヶ岳手前。霧氷が青空に映えて美しい。
明星ヶ岳(1894m)。大峯奥駈道ルート上から少し登ったところが頂上です。空海が入唐する前に四国で修行をしていたときに、口の中に明星(金星)が入って悟りを開いたと言われています。
明星ヶ岳から釈迦ヶ岳を望む。
霧氷が美しい。
禅師の森のあたり。
明星ヶ岳と楊枝の森の間に五鈷峰という場所がありますが、このあたりは年々崩落が酷くなっているらしく、神経を使います。今日のようにはっきりと見える場合は注意して行けば大丈夫ですが、視界不良の時に足を踏み外すと非常に危険です。
五鈷(ごこ)とは密教の法具です。
かなり厳しい岩場の下りがあります。足をかける場所が少なくて難易度が高い。
こういう崩落箇所が多いので注意が必要。
ヤマレコの3Dマップで見てみると、左側が巨大なクレーターのようになっているのがよくわかる。
花弁の下の紫色の線が可憐なウスバスミレ。
11時15分に楊子の森に到達。崩落地帯を通り過ぎて一安心。大峯奥駈道の地名は必ず仏教に因んだ名前がついているので「楊子(ようじ)」とは何か調べてみると、行者が歯の掃除に使った柳のような小枝のことを指すようです。当時は細い枝を持った樹々に覆われていたのでしょうか。
楊子の森から20分ほど歩くと楊子の小屋があります。比較的最近建てられたしっかりした小屋ですが、トイレはありません。昨夜の霜にやられたシュラフを干している人がいました。ここで二日目のお昼ご飯、カップヌードルリフィルとゆで卵を食べます。
楊子の宿から40分ほど行ったところにある仏性ヶ岳(1805m)。ここも奥駈道から少し離れたピークにありますが、40メートル登らないといけないので体力を使わされます。
仏性ヶ岳から進むと釈迦ヶ岳がはっきりと見えてきます。手前の吊り橋状の尾根と崩落跡が不安にさせますが、ここまで来たら行くしかない!
孔雀の覗と言われる行場。切り立った断崖が前方に見えます。
孔雀の覗から下を見ると、方形の岩塊が見えます。ライン川に佇むドイツの古城のようです。
上の写真の頂上部分を拡大すると釈迦如来像が確認できます。iPhone 14 Proの3倍望遠の解像度にはいつも驚かされる。
後ろを眺めると、右が楊枝の森、左奥には八経ヶ岳と弥山が見えます。よくここまで歩いたもんだ。
釈迦ヶ岳と孔雀岳の間の尾根の中間地点あたりにあるのが椽の鼻(たるきのはな)と言われる箇所で、ここから釈迦ヶ岳までが急坂とクサリ場のオンパレードになります。
椽の鼻に祀られている不動明王。「椽」は「たるき」と読み、一般には「垂木」と書きますが屋根の部材です。
垂木の先を「垂木の鼻」と言い、日本建築では断面を覆いかぶせた部分を鼻隠しというようです。釈迦ヶ岳の「椽の鼻」とは釈迦ヶ岳の尾根のコルのことを指しているのでしょう。
右手には滑ると果てしなく落ちていきそうな崩落斜面です。
頂上が近づいてきましたがまだまだです。
やせ尾根なので滑ったことを考えてロープを辿って進みます。
このあたりから下へ崩落しています。
ようやく頂上。釈迦如来の背中が見えました!
釈迦ヶ岳頂上に到着。16時7分。7時半から歩き始めたので8時間半歩いた計算になります。厳しい急坂を登り終えて感慨ひとしお。
釈迦ヶ岳には2年前の5月に一度来ていますが、その時はピストンで帰りました。
この釈迦如来像は、大正時代の強力、岡田雅行氏、通称「鬼マサ」がたった一人で運びあげたそうです。
当然パーツに分解して運んだのですが、台座だけで135Kgもあり、しかも大峰奥駆道の前鬼口から8Kmの道のりを何度も往復したというから驚きです。
頂上からの景色。右手前が孔雀岳で今回辿ってきた道のり。
こちらは南方面。去年のコースで行仙岳までは踏破しています。
南方向の下を見ると、明日歩くコースが見えます。岩肌が見えているのが大日岳。
釈迦ヶ岳頂上を下りて今日のテン場である千丈平に行きます。ここには「かくし水」という名前の水場があります。水量は決して多くはないけれど、枯れることはないらしい。特に昨夜は雨がふったので水に勢いがあります。
テントを設営すると17時頃になりました。千丈平ではテントの数は見える範囲で10帳弱でしたが、20メートルほど先のおばちゃんテントが延々としゃべり続けていてうるさかった。
今日の夕食はカレーライスセット。尾西のアルファ米とCoCo壱番屋のカレーのコラボ商品です。いままで尾西のアルファ米はまずいことが多かったのですが、これについてはヒット!です。量も多くて大満足。
今日(5/2)の天気予報は昨日のような冷え込みは無し、ということでマットもZライトソルのみでダウンソックス、ダウンジャケット、シュラフカバーもなしで寝ましたが、夜中の冷え込みは2度程度までは行ったと思います。寝入りばなのおばちゃんのしゃべり声と寒いので熟睡できませんでした。
翌日は5時に起床してソイジョイ+ゆで卵を食べてテント撤収、6時半には行動開始です。
千丈平から深仙の宿までのショートカットルートを歩くと、30分ほどで深仙の宿に到着しました。
深仙の宿も2年前の5月にシロヤシオを見に来た時に来ています。その時のルートはこんな感じで、シロヤシオを鑑賞して太尾登山口にピストンで帰りました。
第38靡、深仙の宿。
進行方向に見えるのが大日岳。
深仙の宿から大日岳までの間には紫がかったピンク色のツツジが多く咲いています。アカヤシオかな?と思いましたが、どうやらアケボノツツジという種らしい。
調べてみるとアケボノツツジとアカヤシオはほぼ同じ種で、違いはオシベに生えている毛の量で見分けるそうです。
アケボノツツジの後ろに見えるのが大日岳です。
看板の立っているところが分岐点で、右に進むと前鬼への大峯奥駈道、左にいくと大日岳登山道です。
大日岳頂上へは40メートルほどの登りなのですが、難所の行者場として知られています。巻き道を登ってみようかと思いましたが巻き道に行く手前がすでに難所で筆者は腰を気づかってパスし、相棒S氏に託すことにしました。
無事頂上から下りてきて勝者のポーズを誇るS氏。
S氏撮影の頂上に坐する大日如来。真言宗の絶対宇宙神です。巻き道分岐は最後のクサリ場手前だそうです。
大日岳を過ぎてしばらく歩くと太古の辻。ここから南へは南奥駈道となり行仙岳まで去年のコースで歩きました。今回はここから前鬼まで下山です。出発してから約2時間です。
太古の辻から二つ岩までは200メートルの下りで幾つかの難所があります。3日目なのでそれなりに足腰にきていてツライ。
1時間弱で二ツ岩までやってきました。
もう終着点が近いので余裕を見せる筆者。
二つ岩から前鬼の小仲坊までの急坂には階段が整備されているので歩きやすいのですが、400メートルの下りなので、だんだんと靴の中のつま先が痛くなってくる。
住居跡の石垣が出てきました。明治時代に修験道禁止令が発令されるまでは、5つの宿坊があったそうですが、今は小仲坊のみとなってしまいました。
10時20分に小仲坊に到着。
お堂で旅の無事を感謝したあと、宿坊にいらっしゃった後鬼助さんと1年ぶりにお会いしました。後鬼助さんは、役行者の付き人であった前鬼、後鬼の夫婦から生まれた5人の鬼にひとりである後鬼助の家系の61代目にあたる方です。
誰にでも気さくに話かけられ人徳を感じさせる方です。
この小さな白い花弁が密集した花はどうやらアオダモという落葉広葉樹のようです。
小仲坊から歩いて約1時間弱で、2日前に駐車した私のスイフト号に乗り込み、S氏を乗せて行者還トンネル西口に停めてあったS氏のフィット号のところまで行きます。
その後は2台で下之波(しおのは)温泉、山鳩湯で汗で汚れた体を流しました。ここの温泉はカルシウム分が豊富な非常に珍しい泉質で、湯舟が鍾乳石のようになっています。
温泉ですっきりした後は、それぞれ帰路につきました。
大峯奥駈道もあと2回のコースでどうやらコンプリートできそうです。
(山鳩湯HPより)
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