丹波篠山の畑では立派な下仁田ネギが採れました。種まきから育てて、白ネギの部分は少しずつ土を埋めていきます。真ん中の「ネギ坊主」と言われる部分は成長するとタネができます。トロトロの味は今まで食べたネギで一番美味しかった。ネギ坊主は天ぷらにしました。
さて、長かった冬も終わり、桜が綺麗ということで琵琶湖に浮かぶ沖島(おきしま)に行きます。湖にある島で人が住んでいるのは日本でここだけだそうです。
漁業中心の島で、琵琶湖の漁獲量の半分が沖島の水揚げだということです。
沖島には3年前の3月に一度行ってますが、今回は花見がメインです。
ルートは3年前とほぼ同じで、フェリー下船後、ケンケン山の花見広場に向い、そのまま沖島最高峰(といっても220m😀)の尾山にいってから下山、厳島神社を見て、沖島小学校経由で戻ってから、今回のメイン目的の桜並木を愛でてから、奥津島神社にお参りして帰るというコースです。
三年前はバスでしたが、今回は車で休暇村近江八幡そばの駐車場に停めてフェリーに乗り込みます。乗車券は船内の自動販売機。
こちらが、ケンケン山の花見広場から見える蓬莱山です。花見広場にしては、桜の木はそんなに多くはありません。
桜はちょっと期待外れでしたが、尾根ルートには可愛らしい野草が多く咲いていて癒されます。これはスミレ。関西出身者は、思わず「スミレの花/咲くころ/初めて君を知った」を唄って一人で感動します。
北東方向を見ると、近江八幡と伊崎山(220m)が見えます。
ショウジョウバカマ。開花前です。猩々とは中国の伝説上の猿のような生物で、顔が赤いのだそうです。
シダの新芽。
桜色をしたスミレはサクラスミレと言います。優雅さと気品を感じさせます。
尾山(220m)までやってきました。高島方面ですが、黄砂のせいではっきり見えません。
開花したショウジョウバカマ。
奥さんと湖東流紋岩の巨石。沖島は漁業だけでなく、石切り場としても繁栄していました。
湖東流紋岩を生み出したカルデラ爆発は、フィリピン海プレートがユーラシア大陸の下に潜り込み、そのマグマの熱で地表がズドンと陥没したのが原因で、その勢いで噴出した溶岩が急速に冷えたものが湖東流紋岩です。
湖東流紋岩は丈夫で耐久性があり織田信長の安土城や彦根城の石垣としても使われました。
鳥居と桜のコンビが絵になります。
ソメイヨシノとヤマザクラが両方見れるのは珍しい。
これは多分、グラジオラス。グラジオラスは夏咲きが一般的だが、これは春咲きの品種のようです。
自分たちで野菜を育てておられます。見たところ、島には八百屋のようなものはありません。タマネギが、ウチの丹波篠山よりも早く育っています。気温が暖かいからでしょう。
沖島には自動車もなく道路もないのに、飛び出し坊やが。飛び出し坊やの発祥の地は滋賀県なのです。
明治8年から続く由緒ある小学校。島の小学生は10名未満ですが、島外から船で通っている学生が20名近くいるそうです。
とても立派な校舎です。映画にでも出てきそう。
次に今が見どころの桜並木を見に行きます。
桜並木方面には、こんな家と家の間を抜けていきます。
桜並木に抜けていく途中にある西福寺。蓮如上人の像があります。なごやかな表情。
最後に奥津島神社にお参りします。
こちらも漁業を営んでおられる家々の隙間をぬっていったところに入り口がありますが、看板があるのでわかりやすい。
石灯と桜並木。この神社は、平安時代の保元の乱の際、平家に追われた源氏一族の一部が落ち延びて来た後、琵琶湖を航行する船の安全を願う島民によって建立されたそうです。筑前(福岡)の神社から分霊されたと記されています。
沖島の南西にあるこんもりした山は観音様の頭部と言われています。
フェリー乗り場方向を見渡して。
遠くにうっすら見えるのは彦根の荒神山かな。
急な坂道を下りて帰途につきます。午後2時発のフェリーで近江八幡に戻りました。
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