丹波市にある明智光秀にちなんだ城である「黒井城」を訪ねます。猪ノ口山(356m)の頂上にある城址で、360度に広がる景色が素晴らしく、白いベンチで、のんびりしたくなる丹波では一番景色がよい場所です。
まず、位置の確認ですが、昔の「丹波国」と言われる地域が京都府と兵庫県に分断されており、兵庫県側が「丹波篠山市」と「丹波市」の二つに分かれていて(これがヤヤコシイ)、黒井城は丹波市側にあります。
ちなみに先日訪ねた、鯖街道沿いの「かやぶきの里」も丹波国の一部なので、丹波国って結構広いですね。
黒井城は、北から加古川へと続く福知山線のカーブ地点で、非常に見晴らしのよい山の上にあります。築城の場所としては誰も異論はなかったでしょう。
黒井城の城主であった赤井直正(なおまさ)は、勇猛なことから別名「悪右衛門」の名が付いており、さらに、丹波攻めに燃える明智光秀を破ったことで、「丹波の赤鬼」とも呼ばれています。
最初の戦いは、光秀が50歳の頃、本能寺の変の7年前に始まりました。以前訪ねた八上城の城主であった波多野秀治は、光秀側についていましたが、突然、反旗を翻し、直正と共に光秀を攻撃し始めたために、光秀軍は総崩れとなってしまったのです。
復讐に燃える光秀は、亀山城を築城しつつ、裏切った波多野秀治の八上城を落城させ、1579年の二度目の戦いでついに黒井城を落城させます。
下は必死に戦う悪右衛門の図です。凄まじい形相です。
実際は、悪右衛門・直正は二度目の戦いの前に病没していました。
登山道は、十分整備されいるので散歩気分でも大丈夫です。
ミツバツツジが満開です。もっと赤いヤマツツジは5月からです。
しばらく登ると、門が見えてきますが、まだ頂上ではありません。
すでにとても見晴らしがよいです。
イロハモミジを前景色にして。「イロハモミジ=紅葉」という図式が一般的ですが、今の時期、葉が吹くとほぼ同時に小さな花を咲かせています。その後、プロペラ付きの実を飛ばします。
ミツバツツジの色が鮮やか。
ミツバツツジは、枝先に三つの葉を付けることから名が付いたそうですが、よく見ると、確かに葉っぱが三つあります。
正確には、この時期に咲くのはコバノミツバツツジという種類のようですが、植物は種類がありすぎて覚えられない。
獣害フェンスを越えれば頂上はすぐです。
石垣跡がしっかりと残っています。
城の建造物を思わせるものは残っていませんが、東に突き出した地形が、大型船の舳先のように見えます。
大海原を思わせる丹波の雄大な景色に晴れやかな気持ちになります。
パノラマモードで撮影。
こちらが頂上。360度の景色が楽しめます。
城址だけあって、頂上は平(たいら)で広く、桜の樹々が植えられているそばには、洒落た白いベンチが備え付けてあります。
記念写真用のスマホホルダーも設置されており、地元の観光組合の方々の力の入りようを感じます。ちなみにパンフレットも本格イラスト入りでメチャクチャ詳しいです。
天気もよいのでベンチでコーヒータイムを楽しんだ後、下山します。
途中で、ハートマークのしめ縄があるので何かと思ってみると、珍しく二本の樹が結合している二本の樹(ナラ?)でした。
黒井城から下山したあとは、ふもとにある、春日局が生まれたという興禅寺(こうぜんじ)を訪ねます。
ここは、黒井城を守る人たちの普段使いの居住スペースでしたが、黒井城が落城すると、明智光秀配下の斎藤利三(としみつ)の陣屋になりました。
妻子と共にここに居住した斎藤利三の娘が、ドラマや映画でよく登場する春日局(かすがのつぼね)です。
春日局は、本能寺の変の後、明智光秀が秀吉に敗れ、父親である斎藤利三が処刑されると、母方の親戚に引き取られ、その後25歳で、後の将軍、徳川家光の乳母に任命されます。
その後、大奥を仕切るなど権力をつけて、「春日局」の名号を手に入れます。
私が好きな映画「柳生一族の陰謀」では、家光よりも容姿・才気に優れた秀長との跡目争いに関わるなど、黒幕的なイメージもあります。
そんな春日局が生まれた時の産湯につかったという井戸があります。
きれいにメンテされているお庭を鑑賞したあとは、帰路につきました。
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