2021年4月7日水曜日

【京都・美山の桜】かやぶきの里、常照皇寺

京都府南丹市美山町(なんたんしみやまちょう)に「かやぶきの里」と呼ばれている昔ながらの茅葺き民家を保存した集落を訪ねます。

京都からは小浜につながる鯖街道の一つである周山(しゅうざん)街道沿いに走る国道162号線を1時間半ほど車で走るところにあります。

途中には桜で知られる常照皇寺もあるので立ち寄ることにします。


【常照皇寺】


常照皇寺は雪が残る2016年の冬以来のお参りです。参道には大きなしだれ桜が満開です。


常照皇寺は鎌倉時代の終盤の光厳(こうごん)天皇が開山したと言われています。

「天皇」の称号はついていますが、当時の大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)のイザコザのせいで、正式な歴代天皇には名を連ねていません。

お寺の方丈(ほうじょう)にこの頃の天皇の家系図が掲げてありましたが、ことの発端は後嵯峨天皇が、天皇の座を長男の後深草天皇に譲位したにもかかわらず、その後、腹違いの次男、亀山天皇が可愛くなったようで、無理やり譲位させて、跡継ぎも亀山天皇の長男としたところから始まります。


吉川英治の私本太平記で読みましたが、足利尊氏は北朝の光厳天皇を担いで、南朝の後醍醐天皇と争い、優勢に立ったと思われた北朝でしたが、後醍醐天皇が北朝の三種の神器はニセモノだと言ったりして光厳天皇はゴタゴタに巻き込まれ通しでした。


そんな人生に嫌気が差したのか、40台にして出家した光厳天皇は、晩年、この常照皇寺で禅僧として、ひっそりと54歳にして亡くなりました。

これだけ京都から遠い場所にお寺を開いたことが、光厳天皇がどれだけ浮き世に倦んでいたかを物語っているかと思います。

人知れず苔むしたこの寺の静けさと美しさが、人間社会を客観的に感じさせるようで、私はこのお寺が京都では一番好きです。


方丈はとても広いのですが、禅寺らしく必要なもの以外は何も置いておらず、そのおかげで外の景色がより引き立ちます。


雲のようであり、人間の魂のようにも思える図柄の襖絵が禅宗らしいです。

向こうに見えているのが、「御車(みくるま)返しの桜」。一枝に、一重と八重の両方の花が咲いているので、車にのっていた天皇が、「もう一度見たいから引き返せ」と言ったという桜。


シャクナゲの花が咲いていました。


これも御車返しの桜。実際にはヤマザクラは一重咲きなのですが、たくさん咲いていたので、八重桜のように見えたのでしょう。


こちらが「九重(ここのえ)桜」。八重桜よりもさらに花びらが多いということなのでしょう。


京都御所から枝分けしてもらったという「左近の桜」。満開時期は過ぎていますが見事な枝ぶりです。

色々なブランド(?)を桜に命名して、常照皇寺には、なかなか優れたコピーライターがいらっしゃったようです。



こちらは方丈の中庭にある築山ですが大変居心地がよく、しばらく座っていました。


開山堂にある十六羅漢像は、表情豊かで、とても丁寧に彫られており保存状態もよく素晴らしいものです。


帰りがけに方丈の入り口にツバメがいました。ツバメはカラスなどに襲われないように敢えて民家の軒先に巣を作って越冬し、今の4月は産卵期だそうです。



【かやぶきの里】

常照皇寺からさらに北に車を走らせると美山町のかやぶきの里に着きます。駐車場も広くおみやげ屋さんもあります。

こちらは駐車場にある看板。


GoogleEarthで見るとこんな感じです。特に鎌倉神社に登って眺める景色が良いです。1993年に国の保存地区として指定された頃から人気スポットになったようですが、それまで地元の人々が手間のかかるであろうかやぶきの家々を守られてきたことに敬意を表します。



郵便ポストがアクセントとなる集落入り口。


しだれ桜が満開です。石垣や茅葺き屋根とのコンビだと、やはり日本の美を感じさせます。



私の丹波篠山の畑にも咲いていますが、紫のブドウみたいなのがムスカリで、黄色が水仙。時期が来ると勝手に生えてきて花を咲かせるのが四季の素晴らしさ。





こちらがオススメの鎌倉神社からの風景



桜+畑+茅葺き屋根。まさに日本の原風景です。若い人が畑を耕していました。




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