【三日目】本庄、新町、倉賀野、高崎まで
中山道、三泊四日の旅の三日目です。二泊した熊谷のホテルを朝8時前に出て、昨日の終了地点だったJR神保原(じんぼはら)駅まで高崎線で移動、そこから歩き始めます。
昨日は4万歩で少しやりすぎたようで、足が重く、実際荷物も重い。プランでは今日は安中まで歩くつもりだったのですが、それだと再び4万歩となり、かなり厳しいのと、本日の宿は温泉があるので、早めについてゆっくり湯に浸かりたいのもあり、ゴールをJRの一駅前の群馬八幡駅までに変更しました。
この近くにあった金窪城から移設された金久保八幡神社。ここには高札場があった。
赤城山と言えば、国定忠治の「赤城の山も今宵限りか」という名文句が有名です。
天保の大飢饉で農民を救済したと言われていますが、地元の縄張り争いで闘争を繰り広げた任侠の人物のようです。関所破りをしたり権威に屈せず好き放題生きたところが好かれたのでしょう。
神流川(かんながわ)を渡ります。織田信長が暗殺され敵をとろうと京に向かった滝川一益に、それを妨害せんと小田原城主の北条氏直が激突した神流川の戦いがあったところ。
橋を渡ると、埼玉県が終わり、いよいよ群馬県です。
中山道沿いに、都内のように洗練されたお店がありました。ガトーフェスタ ハラダの創業店舗でちょうど今年新装オープンしたそうです。
看板商品がラスク。そう言えば、誰かにもらって食べたような記憶が。。。
お城のようなガトーフェスタ ハラダの店舗が威光を放っていますが、周りはこんな感じ。でも、これはこれで味があって好きです。というかこっちのほうが好きです。
公園がありました。ベンチの脇にはストーブが置かれています。埼玉県の中山道は交通量の多い狭い二車線道路で、公園どころか人が歩く幅も無かったので、このような人の温かみが感じられる場所に出会うと嬉しくなります。
新町宿があったところ。面影はなし。新町宿は旅籠の数が40軒ほどの小ぶりの宿場町だったそうですが、飯盛は盛んだったそうです。
温井川(ぬくいがわ)を渡る手前にあった「日本スリーデーマーチ発祥の地」。オランダ発祥の自分の体力に合わせて4日間歩くという運動を日本で推進した最初の場所ということでした。日本では3Dayになっています。
まさに、今の私は4日間歩く途中なので、知らずにやっていることになります。
スリーデーマーチの記念碑のすぐ横にあった展望図。山の上ではないのでこんな風には見えませんが、上毛三山である赤城山(1828m)、榛名山(はるなさん)(1449m)、妙義山(みょうぎさん)が実は三山ではなく、それぞれ名前の付いた山々の複合体であることがわかります。
上毛(じょうもう)の語源ですが、古代関東に威勢を放っていた毛野(けの)の領地が上下(東西)に二分された上部(西半分)を、上毛野とよび、そこから何故か「毛」の字が消えて、上野国となりました。でも、「うえの」と呼ばずに、「こうづけのくに」あるいは「かみづけのくに」と呼びます。漢字の毛は来ているけれど、読みの「け」は残っているという極めてややこしい日本語。
こういう道になるとホッとします。
川端家。江戸時代は豪農、明治は生糸で財を成したそうです。今は何をされているのでしょうか。
どうでもよいですが、「ウィンブルドン21」という名前が面白いマンション。オーナーはテニス好きなのでしょうね。
土手に向かって進みます。寒い日は土手はツライのですが。。。
烏川(からすがわ)沿いの高崎伊勢崎自転車道を歩きます。浅間山がかなりはっきりと見えてきます。
土手下の集落を中島村と呼び、いまでも面影が残っているので歩きます。ガイドに「~家を右に曲がる」などと書かれているので表札をジロジロ見て不審人物に思われないようにせねば。
浅間山と榛名山が見える自転車道に戻ります。写真はウィンドブレーカー上下のジョガーが写っていますが、寒いのでほとんど誰もいません。通りすがりにおっちゃんに「(寒いから)歩くのも大変だなぁ」と言われました。群馬のなまりを少し感じます。
烏川を渡ります。
これは毎年春に朝廷からの使いが幣帛(へいはく)と呼ぶ神への貢ぎ物を日光東照宮に送り届けるという慣わしがあったことによるわけですが、当然、朝廷を徳川家の下に置くことを意味しており、朝廷からすると面白くないので、例幣使の人たちはしばしば横暴であったそうな。
歩いていると突然、「メェー」という声に驚かされました。なんと、太陽光発電の土地でヤギを飼っています。調べてみると、雑草対策として飼っているようです。でも、太陽光パネルに飛び乗ってパネルを破損させてしまうこともあるとか。
この常夜燈は、多くの寄進した多くの人たちの名前が書かれており、その中には、力士の雷電の名前もあります。
雷電為右衛門(らいでんためえもん)は相撲史上最強力士と言われています。15歳で身長180cmを超え、勝率96%だったそうです。江戸中期、寛政の人物。
よく手入れされた立派な旧家。
男女双体道祖神。仲良さそうで好きな石仏です。
倉賀野宿跡。烏川に近く、利根川を下って江戸へ物資を運ぶ最上流に位置していたおかげで大変栄えたそうです。
高崎駅に近づいてきました。目立つのが高崎アリーナ。体育館なのでそんなに大きくはないです。
中山道を感じさせる饅頭屋。
高崎宿跡。面影は完全ゼロ。三国街道、信州街道の分岐点として人々で賑わいましたが、城下町のため堅苦しくて諸大名からは敬遠されたそうです。
鉄道も榛名山と妙義山の間の中山道を進む信越本線と、榛名山と赤城山の間の前橋、渋川、沼田を進み新潟へ向かう上越線に分岐します。
遠くから目立って見えた近代的なビルはなんと高崎市役所。ここまで立派にしなくても。。。と思いました。
高崎神社です。なんと祭壇がガラスサッシで覆われています。賽銭箱の前で手を合わせて拝む気分になれません。お願いしてもガラスで遮断されてしまうような気分。かなりいただけません。
狛犬が階段脇の駐車場の隅に置かれているのも変な感じ。
天明七年創業の醤油屋さん。醤油屋さんは息長く続けているお店が多いですね。
再び烏川を渡ります。
榛名山が見えます。
このあたりが中山道で榛名山に最も近づくところのように思えます。ここからは妙義山にどんどん向かっていきます。
道中にこんな建物の壁がありました。このアメリカの雰囲気、日本人の技とは思えません。
これがその建物です。ポストや緑のドアなどアメリカ人でないと、これは無理でしょう。
調べましたがわかりませんでした。今は空き家になっているようです。
飯野茶屋本陣跡。皇女和宮様が休息されたとか。
しかし、えらい発想ですねぇ。舗装しなくとも、ゴムシートかなにかで覆えばいいのでは?
立派な旧家。上州檜で建てられているとのこと。昔は大雪が降ったのでしょう。
今日の終了地点のJR群馬八幡駅のすぐ南に、P&Gの高崎工場がありました。以前勤めていた時に、5回くらい出張で来たことがありますが、いつも高崎駅で一泊してからタクシーできたので、土地勘がありませんでした。
洗濯洗剤の工場で、原料のバルクのタンクが積みあがっていました。懐かしい。
元々、JR安中駅(あんなか)まで行く予定だったのですが、一駅前のJR群馬八幡駅で今日の行程を終えたので、駅前のタクシーに乗り、安中にある湯沢館に一泊します。
平日であることもあり、お客は私一人なのに、親切な応対で、温泉を夜11時まで開けてくれて食事もあり、なんだか申し訳なかったです。
ちょっと布団が薄めですが、古いナショナル製のパネルヒーターをつけてぐっすりと眠れました。
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