2020年11月16日月曜日

高野山町石道(世界遺産)

 高野山には7つの入り口があり、それらに繋がる参詣道のなかの一つである町石道(ちょういしみち)を歩きます。これは南海電鉄のサイト。


7つの参詣道はこのようになっています。今回歩くのは左上の赤で示されている町石道で、和歌山県の九度山から高野山の大門口までの22キロの道のうち、九度山から丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)までのコースです。

この町石道は2004年にユネスコ世界遺産として登録されました。その後、2016年に他の古道のいくつかも追加登録されました。世界遺産も毎年どんどん登録されて今や全世界で1000件を超えているようです。

GoogleEarthで位置を確認するとこんな感じです。九度山慈尊院から丹生都比売神社までが今日歩くルートですが、矢立を経由して高野山の大門までが正式な町石道ルートです。

ついでですが、ダイトレの葛城山、金剛山、槇尾山の位置関係もプロットしました。ダイトレでは金剛山から紀見峠までしか歩いていません。

ちなみに南海電鉄高野線は、高野山から橋本を通って、紀見峠を抜けて大阪までつながっています。こうして見るとすごいところに線路を通したものだと思います。特に橋本から高野山までは急こう配の登山鉄道になっています。

今回は車で京都から九度山まで往復しましたが、門真ICで渋滞する上、道路の乗り換えがややこしく、しかもETC料金が高いので、南海電鉄を使うべきだったと思います。


さて、スタート地点は、九度山の道の駅です。甘柿の一つ、富有柿(ふゆうがき)が名物で、多くの人が訪ねていました。富有柿は11月中下旬が収穫期ということでちょうど今が収穫始めにあたります。

柿の実のほかに干し柿を買いましたが、昔食べたドライフルーツのようなものではなくて、生の食感がありとても美味しい。調べてみると、この「あんぽ柿」という干し柿、硫黄で燻製するという特殊製法でこのような食感になるのだそう。


道の駅にあった案内板。慈尊院から壇上伽藍・根本大塔まで180基の町石(ちょういし)が置かれていることが書かれている。

1町は、約110メートルで、60町が1里(約4キロメートル)です。なので町石道には大体100メートル毎に町石が立っているのが特徴です。


町石道の起点となる慈尊院です。

ここは、真言密教の本拠地をどこにするか考えていた弘法大師空海が、地元の神である狩場明神に出会い、霊地としての高野山を紹介された場所です。
その後、狩場明神の使いである白と黒の二匹の犬が、弘法大師を高野山まで案内したという(この二匹はあとで登場します)

空海はここを高野山の表玄関として寺務所を作るが、そこに空海を訪ねてきた母が滞在することとなる。空海は、高野山から20キロの道のり越えて月に9回母に会いに来たことから、この地を九度山と呼ぶようになり、母の死後、母の霊と弥勒菩薩を祀って慈尊院を建立したという。このこともあり、この地は女人高野と呼ばれている。


女人高野ということで、仏教なのになぜか女性にご利益のある神様のようになっており、おっぱい型の絵馬が奉納されています。
というか、この絵馬を売っているのが慈尊院なのですが...


寺内にある高野山曼荼羅。左側に慈尊院から大門を通って大塔につながっている。


この山に向かう階段が町石道のルートとなります。


紅葉がきれいな季節ですが、ここ2,3日は25度まで上がる暖かさです。



慈尊院からすぐ南にある丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)。空海に高野山を紹介した狩場明神とその母を祀っている。


町石とその上に実る柿。今回、町石道のルートのいたるところに柿がなっていたが、鳥に食べられないのか不思議に思った。ありすぎて食べきれないのかもしれません。


こちらは収穫が終わった柿の木。途中で無人販売で100円で買ったみかん(四個入り)が美味しく、食べながら歩く。


途中にある展望台です。出発地点の紀ノ川が見えます。


赤い柿をフロントに。



銭壺石。昔は壺状になっていたそうです。御縁があるようにと五円を奉納(?)する奥さん。


世界遺産になったせいか、道はきれいに整備されています。多くの部分がこのように切り通しになっています。歩いていて気持ちが良い。


ところどころ岩石が露出していますが、全体的に歩きやすい。このあたりは土壌が豊かで保水力に優れているので柿が育つそうです。


柳生街道もそうですが、一休みするベンチがほとんどなく、六本杉手前で新しめのベンチを見つけたのでお弁当にします。


ごはんを食べて再び元気に歩きだす奥さん。


六本杉地点。こちらで丹生都比売(にうつひめ)神社方面に町石道を外れます。


六本杉の案内版。赤いルートが町石道で、現在地の六本杉から三谷坂を通って丹生都比売神社を訪ねた後、ピンクのルートで再び、町石道に戻るコースをとります。ちなみにこの三谷坂も後ほど世界遺産に登録されています。


途中で集落に出てきました。



丹生都比売神社に出てきました。第一祭神である丹生都比売神は、狩場明神の母であり、水神と考えられているようです。丹生都比売神を祀る神社は全国に180もあるそうで、ここは総本社で、高野山に参拝する人々はまずはここにお参りする習わしだったそうです。


輪橋と紅葉のコンビネーション。


鏡池に降り散るモミジの葉。





中鳥居。


さて、由緒正しい丹生都比売神社を訪ねた真の理由は、空海を高野山に案内した白と黒の犬の子孫(?)が一般公開されているからなのです。

白い紀州犬が「すずひめ号」で、黒いのは、すずひめ号が生んだ次男坊で「大輝号」という名前が付いています。

紀州犬は名前の通り和歌山県産の犬種でイノシシ狩りに使われた土着犬を品種固定した犬だそうです。

お母さんより大きくなった大輝号は、やんちゃで、お母さんにじゃれつくとお母さんは防戦一方になってしまいます。




手水がバラで埋め尽くされていて美しい。


こちらが楼門で、この裏に、第一殿から第四殿までの本殿があります。丹生都比売神は、第一殿に祀られています。


持参のコーヒーで休憩したあと、母子犬を見ると、暴れてあとの一休み中でした。


さて、丹生都比売神社を後して、町石道に戻ります。

秋に赤い実のなる木は多く覚えきれないのですが、こちらは代表選手の南天。


野イチゴを発見。野イチゴには毒のあるのはない(ハズ)なのでまずは恐る恐る一口食べてみると酸味が新鮮で美味しい

他にも採集して帰宅後調べてみると、葉の形からフユイチゴという種類だとわかりました。残りのイチゴを美味しくいただきました。


俊寛の召使である有王丸の墓。俊寛については先月大文字山で大きな石碑を記事にしましたが、召使の墓までが残されているところを見ると余程の有名人です。



二つ鳥居が町石道との合流地点です。


二つ鳥居に到着。江戸時代のものだそうです。


丹生都比売神社のある集落が見えます。


ここから高野山に行くのが本来なのですが、今日は南海高野線の上古沢駅から帰ることにします。



干し柿作成中。


上古沢駅までの道が意外に遠く、しかも最後に急坂があったので、やれやれといった気分。


高野線到着。社内は高野山観光の帰りの客でわりと混んでいました。


九度山駅で下車し、スタート地点の道の駅に戻る途中にあった真田庵に少し立ち寄りました。

関ケ原で豊臣側についた真田昌幸と幸村の父子は高野山に蟄居を命じられましたが、九度山を住処にしていました。父親である昌幸がここで亡くなったので、幸村が仏塔を建てたそうです。真田大権現として神様として祀られています。




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