2020年10月21日水曜日

【京都茶畑探訪】湯屋谷と和束

京都、宇治の名産である宇治茶の茶畑を訪ねます。

緑茶の最大産地は静岡県で、京都府は今は第三位にも入っておらず、静岡の約十分の一程度です。でも宇治茶と言えば、ブランド力は日本一ではないでしょうか。

消費で言えば、年間の茶類の消費量は約10万トンで、そのうちの8割が緑茶で、残りの2割が紅茶とウーロン茶が占めています。

でも、コーヒーは茶類の約5倍、年間50万トン消費されているそうです。

そんな宇治茶ですが、宇治茶の製法に従っているということで、奈良、三重、滋賀でも宇治茶ブランドがつけられているそうです。

京都府での宇治茶の主な産地は、湯屋谷(ゆやだに)和束(わづか)、南山城村の3か所で、今回は、湯屋谷と和束を訪ねます。


湯屋谷(ゆやだに)は、宇治田原町にある地域で、地元では、「やんたん」と呼ばれています。東にある四つの谷が主な茶畑です。


駐車場のある観光案内所です。いくつかのウォーキングコースのパンフレットがもらえます。今回は、永谷宗円の生家の周りを歩くコースを取ります。


平日でもあり、ほぼ観光客はいません。静かで時が止まったような感覚です。


茶壺の形の出窓。普通に人が住んでいるのであまり覗き込めません。


こちら永谷宗円の生家。江戸時代にはお茶は大衆化されて全国各地で生産されるようになって、京都の茶産業は斜陽の時代をむかえましたが、永谷宗円は独自の宇治茶製法を編み出し、宇治茶ブランドを確立しました。


独自の製法は、青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)と言われ、加熱処理をして乾燥させる前に、揉み行程を加えることで、品質を向上させたもの。これにより煎茶が誕生した。

この製法が開発されるまで庶民のお茶は黒っぽかったのが、この製法により青くなったのでこの名前がついた。昔は、今の緑色を青と言っていたので、今の煎茶の色ができたのでしょう。

宗円は、完成したお茶を江戸に持っていて売り込み、たちまち宇治茶が日本全国でその名が知られるようになったというわけです。職人だけでなく、秀なセールスマンでもあったのですね。

ちなみに永谷園の社名も永谷宗円から来ています。でも単に老舗っぽくしたかっただけだそうです。


生家の前の石段にあしらわれていた陶製の小さな家とお茶の花。お茶の木は椿の種類なので、常緑樹で、晩秋に咲いた花は、時期が来ると椿と同じで花弁ごと落ちます。野生では10メートルにもなるそう。


茶宗明神社。この道は、鷲峰山(じゅぶせん)(681m)の登山道につながっています。


宗円の生家です。


ここから車道を歩きます。


車道脇の階段からしばらく山道を登ると宗円のお墓があります。結構な急坂なのでちょっと大変。でもちゃんと地元の方が毎日お参りされているようです。


茶畑。


伊賀越え街道。この先は山の中だそうです。反対側の伊賀越え街道を歩くのですが、道を間違えやすいので要注意。


敢えて日の光を遮って新芽を育てることで、かぶせ茶ができます。かぶせ茶は普通の煎茶よりも色が濃くてまろやかな味になります。

かぶせ茶は一週間ほどですが、さらに陽を遮ると玉露になります。


お茶の花。


まだジョロウグモがいました。こいつはかなり大きい。


かつで湯屋谷は温泉地だったそう。湧き出す水は冷泉で、くちに含むとナトリウムっぽい味がします。


次に和束(わづか)に向かいます。湯屋谷から宇治木屋線(府道62号)を通りましたが、一車線のカーブと急坂で、離合も大変でした。

和束も観光案内でウォーキングマップが入手できます。3コースあるのですが、今回は和束運動公園(右上)と弥勒磨崖仏(左下)の両端して茶畑をぐるりと周ります。


こちらがビューポイントになっている茶畑です。全体的な規模は、湯屋谷の茶畑よりもずっと大きい。


カマボコ状にまるく切り込まれているのが美しい。この形は均一に光をあてることで、カテキンやテアニンの量にムラがでないようにするからだそうです。かなりの手間です。




途中でルートがわからなくなり、茶畑の中を歩き回ってしまいました。


コースの見どころの一つの弥勒磨崖仏の案内版を見つけたので一安心。


磨崖仏の下を流れる和束川。木津川の支流です。


高さ6mもあるかなり大きな磨崖仏です。鎌倉時代の作ということ。


柿の木も実っています。


「松茸山監視 令和1年」と書いてあります。


運動公園のそばにある京都和束荘。新しめの旅館です。お茶風呂が楽しめる。


茶畑を二か所歩いたので最後は、和束茶カフェでお茶アイスをいただきました。出てくるのに30分ほどかかりましたが美味しかったです。



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