「ホモサピエンス全史」や「銃・病原菌・鉄」を読むと、ホモサピエンスつまり我々人間は、一万年前から農耕生活を始めたとされています。
なので、陽の入らない部屋でコンピュータをパチパチするような仕事はもうやめて、ホモサピエンス本来の仕事をやってみようと、丹波篠山にセカンドハウスを確保して畑仕事をやり始めました。
丹波地方なのですが、細かく区切られているエリア全体が、昔の丹波国といわれた領域で、丹波市と丹波篠山市が兵庫県、それ以外が京都府に分かれています(まるごと大丹波サイトから借用)。
丹波篠山は、以前は篠山市だったのですが、住民投票の結果、令和元年に「丹波篠山市」に改称しました。丹波の黒豆というブランドは広く知られていて、篠山市も黒豆は丹波市と同様に広く栽培されているのが一番の理由かと思います。
丹波篠山は低いのですが山が多く、歴史も勉強しどころが多いので、色々訪ねていこうと思っています。
篠山口駅にある観光案内所で、登山マップを売っているので入手しました。山と高原地図の範囲外なので、このマップは大変ありがたいです。
地域別に分けられていて、それぞれのページで詳しく登山ルートが示されています。
で、丹波国初登山として、高城山(462m)を登ってみることにします。高城山は、左の四角い篠山城の、南東にあります。
丹波国は、戦国時代に織田信長に奪われるまで、応仁の乱からずっと波多野氏が治める国であり、高城山にあった八上城(やかみじょう)は、波多野氏の本拠地だったのです。
一方、よく知られている篠山城は徳川家康が大坂の陣で豊臣家を滅亡させる1615年の前、1609年に、豊臣家を封じ込めるために交通の要所に関所的役割で築城しました。砦として山の上に築かれた八上城と違い、篠山城は最初から戦闘は想定していなかったことがわかります。
丹波国人としては、八上城こそが心の拠り所と言えるでしょう。
篠山城の方向から眺めると、別名、丹波富士と呼ばれるのもわかります。
ちょうど左下に示されている春日神社が登山口になっています。
駐車場はかなり広いです。
八上城は、明智光秀による4年間におよぶ熾烈な攻撃の後、最後は兵糧攻めで落とされてしまいます。
大河ドラマは、まだそこまで行ってないようですが、今後観光客が押し寄せることが想定されます。
登山口にあった説明版。「和議と称する謀略により秀治、秀尚兄弟は殺され」と書いてあります。
江戸時代に書かれた信長に関する読本によると、光秀は、波多野秀治、秀尚兄弟の命を保証する代わりに二人に投降を勧め、その担保として、自らの母を人質にする。
ところが、織田信長は光秀の言を無視して、兄弟を処刑してしまい、怒った八上城の兵が、光秀の母を磔にして処刑したというストーリーです。
こういうことをする信長に対して、光秀は征伐する意思を固めたという伏線にもなっています。
ただ今では、この話はフィクションだと考えられているようです。大河ドラマはどう描かれるのでしょうか。
春日神社の鳥居をくぐって登山道にはいります。
地元の自然愛好家の人たちが木の名前をプレートに付けてくれています。
登山道は整備されていて歩きやすいです。
クリの実がたくさん落ちているのですが、中身は全て食べられています。調べてみると、クリの実というのは、果肉ではなく種であり、食べられてしまったら終わりなのです。
運よく食べられずに地中に埋まったクリの実から春に芽が出て、桃栗三年~と言われるように三年後に実がなるという、なかなかクリの人生は厳しい。
自然愛好家のプレートには聞いたことのない名前ばかり。
穂はこんな感じだそう。夜叉に似ている?
頂上途中の見晴らし台があったところ。
景色を見て雲海に感動。丹波霧と呼ばれています。朝晩の気温差が大きいのでこのような景色が楽しめる。
ソヨゴはモチノキの種類で南天のような赤い実ができる。幹と枝だけだと何の木かまったく判別不能。
聞いたことがある名前。庭木で使われる。
アベマキは初めて聞いた。コナラの種類。樹皮がコルクのように硬いのが特徴。
ヒノキの種類。針葉をネズミ除けに使ったことからこんな名前になっている。
いっぱい落とした種がことごとく食べられてしまっているクリ。
二の丸。丹波霧と山々の背景が美しい。
本丸からの景色。
嫁さん撮影。
頂上にあった城の図。八上城以外にも多くの城があったことがわかります。
岡田丸からは東方面が見渡せます。
頂上から東に下っていくと、二つのコースに分かれますが、ここは光秀の母が磔にされた松があった藤木坂コースへ行きます。
ここが磔松跡。特に何もない。しかもフィクションらしいので、どこかの誰かが、「磔にされたのは、ここじゃ!」と出まかせをいっただけかも。
帰りに見つけた新しいお墓。前田主膳は、波多野氏滅亡のあと徳川家により新しく八上城の城主となった人です。
春日神社ですが、大きめの境内なのですがあまり手入れがされていないようです。
駐車場にあったのぼり。明智光秀と波多野秀治の後ろには、悲劇のヒロインである光秀の母、お牧が。
さて、大河ドラマでの石川さゆりの運命はいかに。。。といったところでしょうが、石川さゆりさんからすれば人気があがるので、是非はりつけにしてもらいたいと願っているのではないでしょうか。
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