ちょうど今、司馬遼太郎の、翔ぶが如くの最終巻である十巻を読んでいて、木戸孝允(きどたかよし)が自分が死んだら東山霊山に墓をたててほしい、といって結核で亡くなったくだりがあり、それならば行ってみようと思ったわけです。
霊山護国神社ですが、高台寺から少し上がったところにあります。
霊山は、東山三十六峰の一つですが、華頂山、清水山は別として、それ以外は全部大文字山の一部のようで、正確な場所はよくわかりません。
朝に少し雨が降ったのでツツジの花弁がみずみずしい。
朝の三条大橋。昔ながらの木造の欄干が京都らしい。青銅のタマネギみたいな形をしているのは、擬宝珠(ギボシ)と言う。三条大橋の擬宝珠には刀傷らしきものがついているらしい。
祇園料亭の土井のわきを流れる白川。
知恩院に入っていきます。
こちら知恩院の三門。24メートルの堂々たる国宝で、二条城とともに徳川幕府の軍としての拠点であった。三門建設の責任者であった造営奉行、五味金右衛門が自刃したことは有名で、予算超過の責任をとったとか、軍門の機密が外に漏れないようにとか、諸説あるそうです。
円山公園で見つけたカキツバタ。
この三種はいつも見分けがつかなくなりますが、一番シンプルなのがカキツバタ、ゴージャスがアヤメ。
羽根を広げた鶴を先端にあしらった山鉾風の建築、祇園閣(ぎおんかく)。ふだんは非公開。ホテルオークラで知られる大倉財閥創始者の大倉喜八郎が、金閣、銀閣に続く、銅閣として造ったもの。
巨大なクスノキの剪定(せんてい)をするのに植木職人がクレーンで吊るされています。
護国神社の入り口に来ました。
案内図。目指す木戸孝允の墓は、一番上の少し右にあります。
護国神社は、明治天皇が維新の際に倒れた志士たちを弔うために建てたのが発端。靖国神社のように、国家のために殉死した人たちを祀る神社のことを、招魂社(しょうこんしゃ)と言います。
維新後も、数々の戦争で殉死した人たちが祀られています。お墓にあがる階段入り口そばには、ビルマ、インパール作戦で戦死した兵の慰霊巡拝の図が掲げられていました。
300円のコインをいれると入り口が開き、階段を上る。
木戸孝允は、政治家になる前は、桂小五郎と名乗っていた。近藤勇に「手も足も出ない」と言わしめたほどの剣豪だったとか。
ちなみに、「翔ぶが如く」では西郷隆盛が征韓論を唱え始めた頃からなので、桂小五郎時代は出てきません。小説を読む限り、木戸孝允が青年時代に剣豪だったといった印象はありません。
こちらが木戸孝允の墓。「翔ぶが如く」では日本で最初の警察組織をフランスを手本に作った川路利長の話から始まる。
川路は木戸の力で渡仏できたのだが、開明派である木戸が法務省の下に警察組織を入れたがっているのに対して、川路は、警察というのは社会の一部として機能させるべきと考え、内務省下に組み込むべしという大久保利通とつながりを強めてしまう話が書かれている。
欧州を視察して列強と日本の違いに衝撃を受けた木戸は、列強を刺激するような征韓論には反対するものの、西郷を頂点とする薩摩藩の勢力も恐れ、三条実美や岩倉具視らの公家勢力と連携し、引き延ばし作戦で、征韓論を骨抜きにしてしまう。
愛想をつかした西郷らは鹿児島に帰ってしまうが、薩摩の暴発を恐れた大久保利通は、爆発寸前の薩摩志士のエネルギーを他所に向けるため、台湾出兵を認めてしまう。今度は木戸が愛想をつかして辞任するが、長州のキーマンである木戸なしでは国体が保てないことを恐れた大久保が、なんとか木戸を説得させ政界に復帰させる。
そこから先は小説ではあまり出番がないが、終始、国家の安寧を願いつつも、薩摩勢力を恐れた木戸は、西南戦争勃発後、薩摩の劣勢が顕著になるも、最後まで薩摩を恐れながら病魔に斃れる。
「翔ぶが如く」では木戸が自分の墓をこの場所にと希望したのは、ここには薩人の墓が極めて少なかったからと書かれています。維新で倒れた長州人には、突然会津藩と結託して長州を攻撃した薩摩には根強い恨みがあったのです。
護国神社には、10メートルの西郷隆盛像を設置するという計画があったのですが、中止となり、西郷像は鹿児島に置かれています。木戸をはじめとする霊山に眠る長州人たちにとっては、西郷像を設置するなどトンデモナイと思うことでしょう。
木戸が亡くなった1877年(明治10年)に、西郷も鹿児島の城山で自刃に果て、その翌年は大久保利通が襲撃され殺されてしまいます。
木戸孝允の墓の少し下に、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が仲良く並んでいます。明治維新のヒーロー的で一番ポピュラーな龍馬だが、当時は中岡慎太郎と同じくらいの位置づけだったのがわかる。
二人が京都で襲撃され斬り殺されたのは、木戸孝允の死の十年前。
坂本龍馬の墓からは京都の街が展望されます。少しガスっていますが愛宕山が見えます。
白いツツジの先に、八坂の塔こと法観寺の五重塔が見えます。日本家屋の屋根が左に見え、なかなかの撮影スポット。
霊山観音。帝産観光バスの創始者が太平洋戦争の戦没者を追悼するために造った。
コンクリート製の巨大な仏像は、あまりありがたみを感じませんが。。。
帰りは、高台寺を通ります。新緑が美しい台所坂。普段は観光客でいっぱい。
祇園新橋の最近修繕され、白木がきれいな巽橋。
「熊の焼き鳥」という名前のお店。
せせらぎの道よこの小川に浮かぶ鴨二羽。暗渠となった疎水の水をつかった人工の小川。
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