今回も普段はインバウンド客だらけで立ち寄らない場所ということで、哲学の道です。
阪急電車のサイトのマップが一番わかりやすかったので拝借し、今回のルートを青い矢印でマークしてみました。家から二条通を歩き、平安神宮で、冷泉通り沿いに進んで、若王子神社から哲学の道を歩き始めて、銀閣寺までのコースです。
今はちょうどツツジの季節。咲き誇る白さが華やかです。
二条通は、ハナミズキが沿道を彩っています。ハナミズキは、北アメリカ原産で、日本がソメイヨシノを贈った際にアメリカから頂いたのが発端です。
ハナミズキは咲くと花弁が180度以上に開く。さすがアメリカ原産だけあって、オープンな性格。
平安神宮で二条から冷泉通りに移動し、そこから冷泉通り沿いに進みます。冷泉家(れいぜいけ)は、二条家から分岐した家系をもつので、二条と冷泉通りも隣同士。
錦林の同和地区。昭和初期のような団地が多く建っています。市立の共同浴場もあります。
若王子橋。
若王子橋を渡った場所から北へ哲学の道コースを歩きます。
哲学の道は、元々は疎水の管理用道路だったのが、京都大学の哲学者、西田幾太郎他、文人達が、散策したことから、その名が付くようになった。
疎水が開通したのは明治23年(1890年)なので随分古いのですが、哲学の道として整備されたのは昭和47年。西田幾太郎は1870年生まれですので、哲学を思索しながら散歩していたことは、疎水横のなんの変哲もない細い道だったのでしょう。
蹴上から哲学の道沿いに流れるルートは、「疎水分線」と言われていて、一乗寺から出町柳、鴨川デルタの上の下賀茂神社の北まで続いています。
吉田山が見えます。
葵 閑雲庵(かんうんあん)の禅寺風の庭。一泊5万円くらいしそう。
均等に切られた石は、昭和53年に廃線となった市電の軌道敷石を再利用しているもの。
大豊神社(おおとよじんじゃ)の御旅所。黄金色のお神輿が開帳されていました。
新緑の哲学の道を進みます。
さきほどの御旅所があった大豊神社の案内板。
大豊神社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に火責めでいじめられた大国主命(オオクニヌシノミコト)を助けたという狛ネズミ(こまねずみ)で有名です。
巽橋は、大阪証券取引所の初代社長だった巽家の玄関のために建てられた橋。
冷泉天皇 櫻本陵(さくらもとのみささぎ)。冷泉天皇は平安時代中期の天皇。18歳で即位するも藤原家の政治的争い(安和の変)に巻き込まれ、2年後に譲位。
奇行が目立ち、大声で歌を歌ったり、一日中蹴鞠を執拗にやり続けたり、父親に陰茎の絵を描いた手紙を送りつけたりしたそうです。
途中で見かけたおしゃれなカフェ。
お参りすると幸せになると言われ、幸せ地蔵尊で知られる弥勒院。
銀閣寺の道までやってきました。これで哲学の道は終点です。
昔ながらの食堂。親子丼が820円もしますが、普段お腹をすかせた観光客が立ち寄ってくれるのでしょう。今はウィルス騒ぎで休業中です。
神楽岡通りを南西方向に歩きます。
これは多分、ナニワイバラ。バラの亜種です。
ここからはよく大文字が見えます。
以前食事にった吉田山荘です。
宗忠神社。天理教、金光教とならぶ幕末三大新宗教と言われた、黒住教の教祖、黒住宗忠が創建した神社です。
備前(岡山)で天照大神と一体となった体験から創始された宗教だそう。
鳥居から眺めた景色が素晴らしい。今回のベストショットです。
美しい備前焼の狛犬。逆立ちしているのが珍しいのですが、何故逆立ちしているのかはわからないそう。
真如堂に入ると、咲き乱れるシャガが。
総門。
真如堂の本堂。比叡山延暦寺を本山とする、真の極楽の聖地という意味だそう。
京都映画誕生の碑。日本で初めて映画が上映されたのが京都で、この真如堂では、牧野省三が初の映画撮影をしました。
本能寺合戦というのが映画タイトルだったそう。明治41年公開。
山門で森蘭丸が奮戦するシーンを撮ったとか。
ここでRX-1Rのバッテリーが切れて、iPhone Xに切り替え。
松平容保(かたもり)が京都守護職の会津藩本陣を置いた金戒光明寺からの眺め。
薩長が亀岡方面から攻めてくるのを監視するにはぴったりの高地。愛宕山が見えます。
金戒光明寺にあるアフロ大仏で知られる五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)。あまりに長い修行に髪の毛が伸び放題となったと言う。
三門の前にあった季節外れの紅葉。
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