2019年8月13日火曜日

鳥海山

鳥海山登山の旅程概要です。

(1日目)庄内交通の夜行バス、夕陽号で朝9時に酒田到着。レンタカーで十六羅漢岩、獅子が鼻湿原を訪ねて、鳥海山登山口の大平(おおだいら)山荘泊。
(2日目)鳥海山登山(5時~15時)。その後、酒田のホテル泊。
(3日目)そのままレンタカーで羽黒山五重塔を観て山形空港、そこから伊丹空港へ。


(1日目)

 京都八条口21:30の夜行バスで、酒田へ。庄内交通の夕陽号は3列シートでカーテン付きなので随分落ち着きます。
 9時前に酒田バスターミナルに到着。以前利用した鶴岡バスターミナルに比べると古くて小さい。その後トヨタレンタカーでAQUAを借りてさあ出発!

 十六羅漢岩です。午前中なのに真夏の日差しがキツい。


約150年前に地元の吹浦の和尚さんが仏教の隆盛と漁師の安全を祈願して彫ったもの。
5年以上かけて彫った後、この和尚さんは守り仏となるため身を投げて亡くなったとのこと。


自然の岩場を利用して彫られた仏様を磨崖仏(まがいぶつ)と言う。このあたりは火山性の岩石なので比較的彫りやすかったのではと思います。


さて獅子が鼻湿原へ向かう途中、鳥海山が見えてきました。出羽富士ともよばれています。富士山と同様、同じ噴火口から複数回噴出した溶岩が堆積してできた成層火山。

実はここに来るまで鳥海山が活火山ということを知らなかった。。。


獅子が鼻湿原の入り口である「中島台レクリエーションの森」に到着しましたが、ほとんど車が停まっておらず、おかしいな?と思いきや、係員の方が、「おととい親子の熊が出た。親は大きな熊だった」ということで、入山禁止


一日目の主目的が獅子が鼻湿原だったので、残念に思いながら帰り道を走らせていると、林道を発見。4WDでもないAQUAに少し不安を覚えながらも林道へ入りましたが、結果、熊にも遭遇せず、湿原地帯の散策ができました。


駐車場(といっても2,3台のスペースですが)にあった解説の看板。下が北なので上の地図と上下逆転です。水がきれいなので珍しいコケが生育しているとのこと。


湿原の中の散策ルートです。一周で約1時間くらいのコースです。「あがりこ大王」というのは巨大なブナのことです。


入山禁止だけあって誰とも会いませんでした。熊がコワいので、自己防衛を兼ねてストックを装備、ストックの先に熊鈴をつけて出来るだけ派手に鳴るようにします。


 整備された水路をかなりの勢いで水が流れていきます。これがすべて湧き水というからすごいものです。


水位調整の設備もあります。道路の冠水防止のためでしょうか。



こちら「あがりこ女王」。


女王の周りも似たような奇形のブナが並んでいます。


 コースから少し内に入ったところに鳥海マリモがあります。


ハンデルソロイゴケとヒラウロコゴケが絡み合って球体状になったものを俗称「鳥海マリモ」と呼ばれています。古いコケを中心に表層へ向けて成長してマリモ状になったそうです。これらのコケは絶滅危惧種で、日本では鳥海山にしかいない天然記念物です。


歩道が湧き水の水位の下にある。



素晴らしくきれいな水です。


あがりこ大王方面へ向かいます。


管理棟が中島台リクリエーションの森へ向かう道で、おととい熊が出たと言われたところ。別にそっちに行かなくてもクマさんはウロウロするものですから、危険度で言えば、この辺はどこも同じ。


ブナの森の中を板道に沿って進んでいきます。


このあたり、このような炭焼き窯が多く見つかっているそうです。昔は約90年サイクルでブナを伐採しては炭にしていたそうです。伐採しても芽を残したせいで、そこから発芽することを繰り返し、このような奇形ブナになったということです。


あがりこ大王です。



アンコールワットのガジュマルをひっくり返したような形。


エイリアンのチェストバスターのような不気味な幹というかコブ。


これは両手をあげて踊っているのか苦悶しているのか。


シンゴジラのラストシーンに一瞬でてきた尻尾の先の怪物を連想させます。


あがりこ大王を後にしてコースに戻り、しばらく歩くと湧き水の源泉、「出つぼ」にきます。


鳥海山の地層をくぐり抜けて湧き出た水をプラティパスに汲みます。手をいれると凍り付きそうに冷たい。


何匹か芋虫がはい出ているような。。。


いかにも毒キノコです、と思いきや、調べてみると、「タマゴダケ」という種類。付け根がタマゴの殻に似ているからだそう。

なんと、これ、「皇帝キノコ」と言われるほどの食材で病みつきになる味だそう。


この先駐車場に戻り、無事湿原を後にしました。


にかほ市象潟郷土資料館に立ち寄って地元の神社を訪ねると、鳥海山と月山の石碑が。



象潟は「きさかた」と読みます。これは郷土資料館にあったジオラマですが、1804年の地震の際に陸地が隆起する前は、このような潟湖(せきこ)の地形でした。

潟湖になったのは紀元前466年の鳥海山噴火の際の山体崩壊で大量の瓦礫が海に流れ込んだせいですが、その結果、松が生える小さな島々が海に浮かび、「東の松島 西の象潟」と言われたとのこと。


鳥海山を見ながら本日の宿である大平(おおだいら)山荘へ向かいます。
鳥海山の山頂が何やら欠けているように見えますが、右が新山(2236m)で、左が七高山(2229m)です。


今回、森敦の「月山・鳥海山」を読みながらの旅でした。このあたりを吹浦(ふくら)といいますが、「農村とも漁村ともつかぬ田舎町」で「青田の果てもなく広がる庄内平野の、ほとんど最果」と言っています。

ただ、芥川賞を受賞した「月山」のほうが面白く、即身仏(ミイラ)の大日坊や注連寺の話も出ていて、2年前に六十里越街道を訪ねた際に読めばよかったかと思います。


面白かったのは、湯殿山など修験者達で大変にぎわった時代、皆が信心深いと思いきや、お参りのあとはお寺でバクチを打ち、寺は儲ける一方、田畑を賭けてスって首をくくる人もいたという話。

現実ってそんなもんですね。

さて、何度もカーブを越えて鳥海山の麓をレンタカーで30分くらい登ると大平山荘に到着します。

標高1000mにある山荘ですが、ちゃんとした和室の個室です。トイレは共同ですが、天然水の大浴場があります。


夕食はこんなところ。朝ごはんは登山者向けにお弁当を用意してもらえます。山荘の方はとても親切でした。


標高1000mだけあって、涼しくてよい。


何故か鹿を飼っています。一頭しかいないのか、寂しそうに鳴いていました。


山荘の展望台から見た日本海の景色。


飛島が見えます。


明日はこの道を少し行ったところが登山口だそうです。5時に登山開始予定なので、朝4:30にタイマーをセットして就寝。



(2日目)

鳥海山登山のパンフレットですが、このマップが一番見やすいです。この図は日本海から東向きに眺めた図で、いろいろなコースがありますが、もっとも古くからひらけた道とされる大平口(おおだいらぐち)コースを今回は歩くことにします。




ヤマレコの山と高原地図で示すとこのルートになります。この地図では大平口コースという代わりに吹浦口コースと書かれています。結果的に5時過ぎ出発で15時前着、約10時間の山行でした。ヤマレコの計算だと休憩20分入れて11時間弱でしたので標準よりやや速い速度です。


朝5時前の大平山荘の駐車場です。



2,3回カーブを超えると駐車場があります。すでに何台か停車しています。


駐車場の少し手前に登山口があります。さあ、いよいよ!


しばらくコンクリートでしっかり固めた歩きやすい道が続きます。


両側に樹々が茂り何も見えません。


少し登ると大平山荘が眼下に。


アザミ。


ツリガネソウの仲間のハクサンシャジン。


かわいいチョウカイフスマ。


見晴らし台での景色。酒田方面がよく見えます。


吹浦方面。大平山荘が小さくなりました。


見晴らし台から先は登りが緩やかになります。


1300m以上になると森林限界を超えるので視界が大きく広がります。


ヒメシャジン、かな?


清水大神。水場です。帰りは日照りでカラカラに乾いていました。


2年前のちょうど今頃、月山に登った時もニッコウキスゲがいっぱい咲いていました。夕方になるとしぼんでしまうそうです。


花が登山道を飾ってくれていて、とても楽しい気分になります。


「とよ」、1500m地点です。



河原宿の水場です。ここから先には水場がありません。この後、グングン気温があがり、水の消費が激しくなったにも関わらず2リットルしか持っておらず、この水場でしっかり補給しておかなかったことを後で大いに後悔しました。

登山の前に、鳥海山は水場が豊富で、「鳥海登山は水いらず」という言葉を聞いていたせいで、完全になめていました。真夏の鳥海山は最低3リットルは必要です。


ここで道が二手に分かれます。右は鳥海湖のそばを通るコース、左は御浜小屋を通るコースです。予定通り左コースを行きます。帰りは右コースです。


この二つのルートを立体地図で見ると、左コースが登ってから尾根沿いに進むことがわかります。右ルートは上り下りが少ないけれど鳥海湖を迂回するので距離がある。


尾根に向けてゆるやかな登りコースはニッコウキスゲがいっぱい咲いています。




尾根にたどり着くと、遠くに月山が雲海に浮かんでいるのが見えます。


御浜(おはま)小屋の手前で、鉾立(ほこたて)からの象潟(きさかた)口コースと合流します。


御浜小屋でトイレを借ります。鳥海湖と月山の組み合わせが見えます。


この写真が今回の旅のベストショットとなりました。鳥海山は海からの水蒸気が流れてくるのでガスが発生することが多いのですが、天気がよくてラッキーです。


 御浜小屋を過ぎると、いままで見えなかった頂上付近が見えてきます。



頂上から溶岩流で削れた谷沿いに水蒸気が流れています。この写真も素晴らしい。


さて登りの後半戦です。




七五三掛は「しめかけ」と読む。出羽三山の参道の一つが七五三掛口だが、それは月山近くの注連寺なので、こことは違う場所。


このあたりから岩場になってきて、いままでの楽しい登山とは毛色が違ってきます。


ここから200m先が次の分岐点です。


木のレールで道を踏み外さないようにされています。


ここは千蛇谷といって、溶岩流で斜めにえぐれた谷を境にした分岐となります。

左のルートはいったん下ってから頂上(新山)に向けて登り続けるコース、右のルートは一気に2000mまで登って、あとは尾根沿いに歩くルート。

景色がよい分右ルートのほうが比較的楽に感じますが、頂上(新山)だけで引き返すのであれば、断然左ルートのほうが距離が短い。

早く頂上をやっつけてしまいたいので左ルートを攻めます。


このあたりから暑さもあり、少々バテ気味に。水不足も不安要素です。


せっかく登ったのに、残雪の下まで急降下。そこから頂上への道がよく見えます。


残雪をかすめた冷気があると良いのですが、全く無し。


薄く積もっているだけなので滑ることもありません。



頂上が見えてきました。隠れて見えませんが、右の後ろに御室小屋があり、そこから左上に頂上を目指すことになります。


「頂上へ」と書いてありますが、まだまだです。⑤は五合目という意味。

後ろを振り返ると日本海が遠くまで見えます。


トウキ。漢方薬にもなります。


八合目まで来ました。かなり疲れてしまいました。高度の影響もあるかも知れません。





御室小屋に到着。神社横の売店で500円の水を入手。売店の中では、ご家族のような4人がスイカを食べながらくつろいでおられました。


ここから新山の溶岩ドームに向かいます。もう行くしかない、やるしかないんだ!


今まで安全を考えてよく整備されてきた登山道を歩いてきた後で、この溶岩の瓦礫を登ると、ちょっと信じられません。


2200mを超えました。あと30m!でもこのガレ場の30mはかなりコワい。


両手で岩の角をつかんで這い上がります。


頂上か!と思いきや、頂上は向こうの先っちょのようです。


なんと、この巨大な岩の隙間を降りて、また登るとは!


いよいよテッペン。


頂上は10人くらいが立てるスペースしかありません。風力発電のプロペラの列の向こうに鳥海山から吹き飛んだと言われる飛島がうっすらと見えます。


スマホで撮ってもらいました。


正直、このガレ場を下るコワさを考えると、頂上にいても達成感を感じません。何はともあれ、危険地帯を脱出します。


この白い印を目当てに岩石のホッピング。


新山から下ると、御室小屋に戻るルートもありますが、千蛇谷の底まで降りて、東鳥海の尾根まで登ります。鳥海山は浸食の進んだ西鳥海と、外輪を形成する東鳥海の二つの部位に分かれます。


GoogleEarthの高精細画像がすごい。これを見ると千蛇谷はただの縁だということがわかります。左側の北に向けて巨大にえぐれている部分を西鳥海馬蹄型カルデラといいます。


今度は北が上です。西鳥海馬蹄型カルデラが海側に分岐した跡がよくわかります。



千蛇谷の底には雪解け水があり、顔を洗うと気持ちよい。


東鳥海の尾根に向けての登り。これがキツイですが、さきほどのガレ場でないだけ安心感があります。


東鳥海は土も赤く、別の山のように感じます。ようやくホッと一息した気分。ここから背中の方向に歩けば七高山(2229m)にも行けますが、時間と体力の関係上パスします。


出前一丁に、餅と乾燥ネギをいれたお昼ご飯。御室小屋と新山頂上を見ながら、満足感に浸れたひととき。😆


海側ばかり見ていましたが、内陸側の景色もすばらしい。画面にゴミのように見えるのは無数のトンボです。アブ、ブヨよりは全然かわいいもんです。


帰りは2000m以上の尾根沿いルートを行きます。行きと帰りで全然違う登山を体験できる、鳥海山が名山と言われるはずです。


再び内陸側。鳥海山に比べてかなり標高は低そうです。


海からの大量の水蒸気がせまってきました。


こちらの尾根沿いのルートだと遠くからも頂上を見ることができます。



伏拝岳(ふしおがみだけ)。2130m。ここから雪渓を縦断すれば湯の台口に行けます。


暑い尾根道は続きます。


松の低木がうっそうと茂っています。




文殊岳。2005m。ここから急降下します。


長い尾根道を下ってようやく外輪、千蛇谷分岐点にきました。


七五三掛(しめかけ)。


さて帰りは鳥海湖の迂回ルートを歩きます。はるか彼方まで一本道が続きます。



よく整備された道。蒸し暑さもなく、疲れていなければとても楽しい道のはず。。。


鳥海湖に出てきました。湖水を頭からぶっかけたい気分なのですが、そこそこの下りで道もなく、湖を右手に見るだけで進みます。


ここは長坂道への分岐点。


「大平」の字が書いてあるのを見てホッとします。エアコンの聞いた車で冷たいジュースを飲むことを想像しながら歩きます。


ようやく第一の分岐点まで戻ってきました。この先に河原宿の水場がありゴクゴク飲みました。行きの時は冷たかったのに、暑さのせいでぬるくなっていました。


見晴らし台に戻ってきました。大平山荘が見える。


暑さのなか、ひたすら歩き、道路が見えた時は感慨ひとしお。
汗だくで、大平山荘では500mのコーラを一気飲みしました。

登山の前に最低500mくらいの水分を朝食とともに(できれば果物)摂取すること、また行動中は水よりもポカリのようなナトリウムを含んだ体に吸収されやすいドリンクがよいようです。今回の教訓です。


ほうほうの体で、鳥海山を後にし、酒田に向かいます。途中でコンビニに寄ってガリガリ君をかじりながら本日の宿であるルートイン酒田へ到着。

大浴場付きだったのですが、日焼けが痛くゆっくりと湯に浸かれませんでした。
一階に居酒屋があったので生ビールとつまみで夕食にし、森敦の月山の続きを読んでいると寝てしまいました。



3日目

山形空港から伊丹空港へのフライトが13:35だったので、それまでの間、羽黒山五重塔を訪ねることにしました。

出羽三山のうち、月山と鳥海山は踏破し、残るは羽黒山だけで標高414mなので登ろうと思えば登れたのですが、暑いし気力もなく、五重塔のみです。

車を走らせていると森敦が「臥した牛の背のよう」と表現する月山の姿が現れました。2年前は右手(南)の方から六十里越街道沿いに湯殿山から月山に登りました



出羽三山神社へ到着。


入り口にあった案内板。


江戸時代までは出羽三山は鳥海山がその一つだったのが、その後、湯殿山におき代わった。 月山が「死」を象徴し、鳥海山が「生」を象徴する対比だと、森敦の本には度々書いてある。


随神門。以前は仁王門だったのが神社となったので武官像に代わった。


聖域だけあって、伐採されずに古い大杉が並んでいる。




五重塔。内部を特別公開していた。芯柱は約600年前の杉の木だそうです。


巨杉の神木。



山形空港に至る112号線沿いにあった月山湖パーキングエリアの景色。



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