2018年6月23日土曜日

武佐宿~守山宿

前回2月に武佐宿を通り越してJR篠原駅で京都の自宅に帰ったので、再びJR篠原駅からスタートです。

竜王町を通って、西横関の交差点まで行きますが、これだけでなかなかの距離です。


西横関に到着。ここから中山道ですが、うらびれた道路沿いなのでワクワク感がほとんどありません。


それでもしばらく進むと古い町並みが現れてきます。


このあたりは、旅籠が集まっていました。武佐宿と守山宿の間が3里半もあるので、その間に鏡宿という名前がついていました。でも正式な宿ではないのですね。



鞍馬山を奥州の金売り吉次に連れられて脱出した牛若丸は、ここで元服し、名前を九郎義経に変える。






義経元服の地からしばらく歩くと、平宗盛が断首された場所が道路の裏の茂みにひっそりとある。なので、平家終焉の地は壇ノ浦ではなく、ここだと主張している。

ただ宗盛は清盛亡き後、平家の総大将であったにもかかわらず平家物語では、武士としてもリーダーとしても、うだつの上がらない人物として描かれているので全然人気がなく、このようなうらぶれたお墓になってしまっているのでしょう。

宗盛は清盛の三男で、本当は人望のあった長男の重盛が平家を引っ張ってくれていれば平家も滅びずに済んだのかも知れません。宗盛は壇ノ浦の場面ではそのあまりな優柔不断に母徳子から怒られるという情けない場面もありましたし、壇ノ浦では将士が次々と討ち死にして海の藻屑と化している中で、そもそも総大将が最後の合戦で敵に捕まってる時点でダメですよね。



蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)。宗盛の首を洗って以来蛙が鳴かなくなったという言い伝えのある場所です。この池と宗盛の首塚のあたりは、どこかの工場ができていて、そのうち史跡に消されてしまいそうな雰囲気です。



東池、西池と池が多い。このあたりは一面の野原で物騒な場所であったそうです。


新幹線の線路の向こうを見ると、前の会社のSK-IIの工場が見えます。懐かしい。野洲工場にはよく通いました。知ってる人はみんな辞めちゃってるんだろうな。


平安時代末期に建てられた子安地蔵堂。今でもきれいに手入れされています。


ちょっと丘陵地になっているのは甲山古墳。
この辺りで雨がきつくなってきたので、10キロも歩いていないのですが、本日は打ち止めで、JR野洲駅から帰ります。


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