前回の終点であったJR美濃赤坂駅に舞い戻りです。大垣駅からの乗り換えで、相変わらずガラガラの車内。
駅の外観はこんな感じ。小雨の天気もあって物寂しい空気がただよっています。
美濃赤坂駅から中山道へ向かう道です。電信柱がなければ江戸時代に見えます。
「昼飯町」変わった名前です。その昔、善光寺如来像が大阪の海で拾われ、長野の善光寺に返してあげようと如来像を運ぶ一行が、ここを通りがかると、つづじが咲いて気持ち良いので、お昼ご飯を食べたということに由来しているそうです。
「ひるい」と読むそうです。
大きな柿の木がいっぱい実をつけています。秋も深まってきました。
これはケイトウと言われる草のようですが、今回の街道歩きでは、道端のそこここに真っ赤な毛糸のような房を咲かしていました。
古びた大衆食堂という名の大衆食堂。
垂井宿ですが、とくにはっきりとした史跡があるわけでもなさそうです。そのなかで、この家は立派な造りで、今もちゃんとメンテされています。油屋宇吉家の跡ということです。
安藤広重の垂井宿です。アルミのエッチングのような加工です。ちょうど雨が降っているのでこの絵の通りです。
こちらがオリジナルの版画。大名行列らしき偉い方々を、宿やお茶屋の人々がうやうやしくお出迎えしている様子がわかります。
こういう山の景色だけは、昔と同じなんだなぁ、といつも思います。
中山道マップの本が雨でやられてきたので雨宿りに屋根の下に入ると、また昭和な雰囲気の看板が。もう営業はされていないのかな?
一里塚。ちゃんと小山の状態で残っている。頂上に何かの木が立っている。本当は榎や松が立っているはず。
関ヶ原宿が近づくと、街道沿いに戦国武将の家紋を記したのぼりがあちこちに立っています。
小雨の中、雲をまとった山々は神秘的です。
ここ関ヶ原は、北と南に山々に挟まれた地形になっています。まさに決戦の地にふさわしい。北には人気の伊吹山。登るのは来年かな。
井戸があった。ちゃんと地下水もあるし、実際水を汲んでもよいと書いてあるのでやってみた。
思ったより、桶は重く、水の位置が深いので、縄の重さも加わってくる。4メートルほど桶を降ろすとようやく水音がしたので引き上げて見ると、桶の底が濡れていただけだった。もっと勢いよく水に桶を突っ込まないと汲めないのね。
こういう体験をすると、蛇口をひねると飲み水が出てくるありがたさが実感できる。便利さも慣れてしまうと当たり前になる。
関ケ原宿に続く道は松の並木道で、歩くのに気持ちが良い。
休憩所。地図によると関ケ原宿はJR駅のそばのはずだからここではないと思うのだが...
家康が最初に陣を構えた桃配山。
関ヶ原駅の前には戦場マップがあります。おもしろいのは、武将毎にコースがあること。これは石田光成のコースです。
これが関ヶ原駅。
数万人の戦死者を出した戦いの死者たちを弔うための首塚。東西にあったらしいが、これは西の首塚。やはり敵と同じ塚なのはいやなのでしょう。
小早川秀秋は西軍を裏切ったことで有名ですが、裏切りを決意して松尾山に登ります。
左に折れると中山道です。普通は、中山道の宿場には中山道情報があるのですが、関ヶ原宿は、光成vs家康の戦いの情報ばかりで、宿場がどんなだったかとか、歩いた限りどこにもありませんでした。
関ヶ原宿から、ずっと西へ歩いていくと、大きな車道もなく、ようやく落ち着いた街道らしさがでてきます。
ここは不破の関(ふわのせき)。三関の一つと言われ、東国と畿内の人と物資の出入りをコントロールしていたところです。関所には「三輪」という表札のある大きな家が建っていますが、三輪一族はこのあたりでは名家だそう。
熟れ切った柿の実。カラスとかにやられないのだろうか。
藤古川(ふじこがわ)。672年に壬申の乱(じんしんのらん)で、この川を挟んで、大海人皇子(おおあまのおうじ)と大友皇子(おおとものおうじ)の軍が戦った。
壬申の乱については黒岩重吾さんの「天の川の太陽」をオススメします。
大友皇子は、大化の改新の中大兄皇子(天智天皇)の息子で、白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で、朝鮮に大敗し、復讐を恐れて都を近江に遷すのですが、自分の死後、天皇の座を息子の大友皇子に移します。それに我慢ができなかったのが天智天皇の弟であ大海人皇子で、壬申の乱で、大友皇子を破って、天武天皇となるわけです。
この戦いは、奇しくも関ケ原の戦いと似ているような気がします。将軍の座を息子の秀頼に譲り、秀頼を支えよと家康に命じて死んだ秀吉。その命を忠実に守っているかのように表面は見せかけながら東国で徐々に力を蓄えて最後に天下を取った家康。
大海人皇子も、天皇の座を奪おうなど表にはみじんも見せないまま東国の豪族たちの力を得て、最後にこの関ケ原での決戦となるわけです。
先日醍醐山で見かけた女郎蜘蛛が、今回至る処に見かけました。写真を撮ろうと何度も見ているうちだんだんと気持ち悪くなってきます。
壬申の乱の際に斬られて死んだ兵士の地で黒く染まったという黒血川。すごい名前。
シュウメイギク(秋明菊)。キンポウゲの一種だそう。
常盤の墓。千人に一人と言われた美人で、牛若こと源義経の母。鞍馬から東国へ脱出した牛若を心配して都から旅してきた常盤が賊に襲われて亡くなったという。
今ちょうど新平家物語の6巻を読んでいるのですが、九郎義経は、天下奪回を心に秘めながら都の母に会いたいと願っているところです。
昔の面影を残した一里塚。
今須宿。ここも当時の旅籠の面影はあまりありません。
ちゃんと灯がともっている常夜燈。
ここが美濃と近江、今でいう岐阜と滋賀の境。
二つの国から来た旅人たちが、壁一枚隔てた部屋で寝入り話を楽しんだという寝物語の里。
織田信長と戦った浅井氏の城跡へ続く道。きれいに舗装されている。行かなかったけど。
柏原宿は昔の面影を残した味のある町でした。近江の国にきてなんとなく東国とは違った、都の文化に影響を受けた品のようなものを感じます。
柏原駅です。
駅員さんは一人でした。両替がないので、キップを買わないまま乗車。JRはまだまだこういう駅が多いのだなぁというのを最近中山道を歩いて実感します。
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