一か月半ぶりの中山道です。前回は猛暑で汗ダクになりながら歩きましたが、本日は秋の気配がただよう気持ちの良い青空です。JR岐阜駅からスタートです。
駅から南に少し歩くと旧中山道にでます。お馴染みの秋葉神社。
鏡島追分(かがしまおいわけ)。
ここは中山道と岐阜街道の分岐点です。岐阜街道は今の名古屋方面へ向かうルートです。
鏡島湊(かがしまみなと)。岐阜城の城下町がこの辺りにあり、伊勢湾から運搬される船荷はここでしか荷揚げしてはならないことになっていたそうです。
長良川の土手に上がります。向こうに見えている三角形の山が金華山で、頂上に岐阜城があります。
長良川は水幅は木曽川に比べればずっと狭いけれど土の部分が広く、橋はかなり長い。
長良川の水面です。下の草むらの端に鳥がいます。
アップしてみました。サギがな?こういう生き物が住んでいるというのも歩かないと気がつかないのです。
北方向を見ると右手に金華山。ずっと奥には御嶽山があるはずですが、わかりませんね。
長良川をこえてすぐに左に折れ、堤防沿いを歩きます。
この先が河渡(かわど)の渡しの船着き場だったそうです。
馬頭観音堂。
河渡宿(こうどじゅく)。これ以外なにも残っていない寂しい宿です。
本田代官所跡。
代官所はいまでいうお役所のようなものでしょうか。悪代官とかよく時代劇で出てきますが、権力は今のお役所よりもあったのでしょう。
オーソニガラム。これも9月の花です。
五六川(ごろくがわ)。美江寺(みえじ)宿が江戸から56番目の宿場だったからです。でもなんでここだけそんな名前を付けるのか。
美江神社(みえじんじゃ)。
ここの宿場跡も何もなく寂しい。
彼岸花(ヒガンバナ)。9月中旬に花をつけるということで、今回道中の道すがら頻繁に楽しませていただきました。
このように田んぼの端々に彼岸花を植えるのには意味があり、球根が毒性を持つため、モグラやネズミが近づくのを防ぐのと、根が強く張るために土手を強化する二つの意味があるそうです。自然の力でお米が元気に育つし、目にも麗しいし、こういうコラボレーションをどんどん増やしてもらいたいです。
柿です。まだ熟していませんが、秋の訪れを感じさせますねー。
揖斐川(いびがわ)を渡ります。
旧揖斐川と書いてありますが、今が揖斐川で、昔の呼び名が呂久川。ここも渡しがあったとのこと。
小簾紅園(おずこうえん)。ここで彼岸花をみながらちょっと一息。
歩き出すと再び彼岸花。
進んでいくと何やらピラミッドのような山が見えてきました。あれはいったい何?
GoogleMapの画像です。この山は金生山(きんしょうざん)という名前で、石灰と大理石がとれるので、江戸時代どんどん採掘されてこんな無残な姿になってしまったようです。上に明星輪寺(みょうじょうりんじ)というお寺があるのですが、すぐそばまで削られてしまっています。石灰はコンクリートの原料になるので削られた山はビルに変わっていくのですね。
白山神社。
大垣道と中山道の分岐地点。
この杭瀬川では我が国最大のゲンジボタルがいるそうです。大垣市の天然記念物。でもこのオブジェはちょっとゴ◎△リのように見えます。
赤坂宿に到着。
広重の浮世絵「赤坂」
今回の中山道の旅は全部が舗装道路で、見どころも少なく正直あまり面白くありませんでした。そばにあったJRの駅、美濃赤坂駅で電車を待ちます。
東海道本線の支線ということですが、無人で、キップ売り場もICOCAの装置もありません。
乗客は10人程度。あきらかに不採算路線です。ここから大垣駅までたったの二駅。結局京都までキップは買えず、京都駅で自己申告で精算しました。
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