東林院は、その庭にある数十本の沙羅双樹が有名で、ちょうど今の時季、沙羅の花が咲く時季なのでそれにあわせて公開しているのです。
正確には東林院にあるのは沙羅の木であり、沙羅双樹ではないのですが、それは後で説明します。
美しいものを皆で鑑賞しようというのはよい心がけですね。ただ入場料が、抹茶とお菓子が付いているとはいえ、1500円と、かなりの破格値でしたが。
これは院の入口の手前に咲いていた銀盃草(ギンパイソウ)です。アルゼンチン原産だそうです。初夏の花なので、ちょうど沙羅双樹の時期に合わせて植えられたのでしょう。
中に入るとすぐに名前を呼ばれ、抹茶とお茶菓子がでてきました。沙羅の花をイメージしたお菓子だそうです。
お庭には何本かの沙羅の木々がありました。沙羅双樹ですが、仏陀が入滅した際に周りの沙羅双樹に一斉に花を咲かせ、そしてすぐに落ちたというお話です。
ちょうどその場面を長谷川等伯が描いた作品、大涅槃図を見た本法寺の記事をご覧ください。インドの沙羅双樹とは種類が違うということですが、絵に描かれている沙羅双樹はもっと大木のようです。
朝に開花し、夕方には落ちてしまうので、一日花というようです。アサガオなんかもそうですね。
花が大きいので、一日だけで落ちるのがもったいないです。この沙羅という木、ナツツバキとも言われ、椿の種類です。椿は花が落ちると斬られた武士の首のように見えるので武士からは嫌われたといいいます。
これらはまだ落ちていない花です。
確かに椿っぽい。
さて、仏陀入滅の際に咲き誇って一気に落ちたという沙羅双樹という木は、このナツツバキと言われる沙羅という木とは異なる種類なのです。
長谷川等伯の絵は正しくて、沙羅双樹の木は30mにもなる大木なのです。
沙羅双樹は耐寒性が弱いので、日本では普通に育たない、だから沙羅双樹の花ににているナツツバキを沙羅と呼んだのでしょう。
ちなみにこれが沙羅双樹の花。さすが亜熱帯の北インドだけありますね。日本人がイメージする仏陀の入滅シーンとはずいぶん違いますが、これが仏教の本場の姿なんですね。
沙羅の木を後にすると蓮の花がきれいに咲いていました。
最近は週に一度はどこかの山に登らないと気がすまないので、山とは言えないのだけれど、雙ヶ岡(ならびがおか)にのぼりました。
嵐電の御室仁和寺駅の南すぐ、住宅が立ち並ぶところに路があり、登るとそれなりに登山道のように見える。ちなみに一の丘、二の丘、三の丘とあり、登ったのは一の丘。二と三は、頂上から何も見えないらしい。一の丘が一番標高が高くて、それでも116mです。
すぐに頂上に着いてしまいますが、登ってみると仁和寺が一望できます。頂上の盛り土が古墳ということですが、どこからか古墳なのかわかりませんでした。秦氏の首長のものだと言われているようです。
こちらは南側の景気。
一の丘を降りて住宅沿いの道にあった小さな祠。ここに咲く紫陽花の紫が深くて素晴らしいので撮りました。
ここ御室は、オムロン発祥の地ということです。
帰りに下立売通(しもたちうりどおり)を走っていると古くから営業を続けておられる山中油店があった。そこの石標を見ると「左 妙心寺」とある。ずいぶん距離があるのだけれど、それだけ妙心寺は有名だったのですね。
山中油店にもきれいな蓮の花が。
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