2024年10月26日土曜日

【滋賀】武奈ヶ岳(坊村より往復)

 武奈ヶ岳は何度か登っていますが、今回は最もスタンダードな坊村からの往復コースでいってみます。

武奈ヶ岳は比良山系の最高峰(1214m)ですが、比良山系のなかでは京都よりの奥まっているので、琵琶湖の湖西から眺めることができません。



これが今回の登山ルートです。坊村駐車場に車を停めて御殿山、ワサビ峠を経由して武奈ヶ岳山頂に至ります。登山口から尾根にとりつくまでの1時間半ほど約400mの連続の登りがキツイですが、御殿山から先は頂上までの広大な視界が広がり大変気持ちよく登れます。

でも、最初の連続の登りはジャリ道で滑りやすいのもあり下山の際においても疲れた脚にひびきます。ただクサリや虎ロープといった難所はありません。

合計距離7.4km、累積標高970m、行動時間約6時間の手ごたえのある登山でした。


今回は4人のパーティーの登山でした。坊村からの往復は帰りのバスがないので必然的に車で行くしかありません。駐車場は葛川市民センター駐車場がとても広くてよっぽどのことがない限り満車にはならないはずですが、今日は何かの理由で半分のスペースが閉鎖されており、9時半ですでに満車になっていました。ですが、登山口に近い坊村駐車場(20台弱)が奇跡的に空きスペースがあったので停められましたので助かりました。坊村駐車場のそばにはトイレも設置されています。

坊村駐車場から登山口までの道を歩きます。これは比良山荘で宿泊はやっていませんが、以前ランチに行った時には本格的な料理を食べさせてくれました。



明王院を通り過ぎると登山口です。



登り始めてから標高約400mの坂道はひたすら続くツズラ折りの登り道で1時間半ほどかかりますが、かなり厳しいです。この道はジャリが多いので下山時には滑りやすくて疲れた脚にキツイものがあります。

写真はブナの木です。武奈ヶ岳の名前はブナから来ていて確かにブナの木やミズナラなどの広葉樹も多く見られましたが、あまり立派な大木は見かけなかったように思います。



雪山ルートと夏山ルートの分岐点あたりで連続の登りでなくなります。



イロハモミジの谷道です。さすがに標高1000メートル近いので紅葉が始まろうとしているのがわかります。下界では紅葉の片鱗もありませんが。



きれいに紅色に染まったイロハモミジ。



登山道沿いに何やら黄色いキノコの群生が。



調べるとコガネダケという名前らしい。手に持つと大量の黄色い粉が指につきます。別名キナコダケというのも成程です。

周りからは毒キノコちゃう?と言われましたが、煮ても焼いても食べられる食用キノコだそうです。



尾根道になって登りが楽になってきました。ブナの群生ですが若木ばかりなのはブナの生育に適した高度が1000メートルあたりが限界だからでしょうか。



ブナ以外に松の木も多く見られました。自然の松で大蛇のようにとぐろを巻いた松も珍しいです。



登山口から2時間過ぎでようやく御殿山に到着しました。



御殿山からは武奈ヶ岳の頂上がはっきりと見えます。気持ち的には頂上は左の山であって欲しいですが、どうみても右の山の方が標高が高い。



南方向を見ると蓬莱さんと打見山をつなぐロープウェイが見えます。



御殿山から50メートルほど下るとワサビ峠。ここから武奈ヶ岳山頂へと登りです。ここから西南方向に行くと金糞峠。金糞峠は青ガレルートなど色々歩きました。東北方向は三舞谷(さんまいだに)と言われるルートで歩いたことはありませんが、どうやら上級レベルの沢コースのようです。

昔は葛川から近江舞子までの横断ルートとして村の往来に使われたはずなのでもう少しは歩きやすい道だったのではないでしょうか。三舞谷に流れる沢では道中でワサビが採れたのかもしれません。



ワサビ峠から武奈ヶ岳までの道中ではあちらこちらでリンドウの青い花が咲いています。



後ろを振り返って御殿山。黄色く染まった山肌が美しい。



琵琶湖が見えてきました。向こうに見えているのは堂満岳(1057m)。堂満岳はしんどい山だった記憶があります。



いよいよ次の頂が武奈ヶ岳頂上です。




山頂に到着。登山口から3時間20分かかりました。



 頂上は広くて休む場所には困りません。正面には近江八幡と沖島がよく見えます。



北北西には蛇谷ヶ峰(902m)が見えます。くつき温泉から登ることができます。ブナの自然林と景色が素晴らしい山です。



下山は最後の急坂がジャリ道で滑りやすくて疲れた脚にキツかったですが頂上から2時間半ほどで無事登山口に戻ることができました。時間は午後4時で明王院では明るく写っていますが、登山道では薄暗くなっていました。

この後、ピエリ守山の水春で汗を流した後、堅田で乾杯をして帰路につきました。



2024年10月21日月曜日

【滋賀】飯道山

 10月も後半になり涼しくはなったというもののまだ半袖でちょうどいい気候です。

今回も滋賀の歴史探訪登山で甲賀の飯道山(はんどうさん)(664m)に登ります。

飯道山は、琵琶湖の湖南地方で以前に登った金勝(こんぜ)山や先日登った太神(たなかみ)山と同様に巨大カルデラによって形成された花崗岩質の山で、そのむき出しの巨岩群が修験者を惹きつけてきました


こちらが全体のルートです。往復で9km、累積標高400m、行動時間4時間少しといった軽登山でした。


駐車場ですが、飯道山に一番近いのは飯道神社の駐車場で10台くらいのスペースがあります。ですが、今回は付近の散策もかねて隼人川みずべ公園駐車場に停めました。新名神の信楽ICを出たすぐのところにあり、無料でとても広い駐車場です。

登山口まで0.6kmの気持ちの良い集落の道を歩きます。



ちょうど馬門川(うまかどがわ)沿いの地区が、かつての紫香楽宮(しがらきのみや)があったところです。といっても私も知らなかったのですが、奈良時代に大仏を建立した聖武天皇が造営した宮殿でした。

仏教に帰依していた聖武天皇は唐の洛陽をまねて龍門石窟の大仏を造るためにこの地に遷都したと言いますが、周りの反対やら天災やらで、一年弱でやむなく中止して平城京へと戻りました。

つまり、本当は奈良の大仏はこの地に出来るはずだったというわけです。しかも、ここでも花崗岩がキーになっていたのですね。

(飯道神社駐車場にあった案内版の拡大図)


これが聖武天皇が真似したかったという洛陽に作られた大仏。高さ17メートルで奈良の大仏の18メートルとほぼ同じ。どちらも毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。

(Wikipediaより)


この機会に明治維新までの遷都の地を調べて地図にプロットしてみました。こうしてみると飛鳥時代と奈良時代の遷都が忙しいのがわかります。

特に聖武天皇の時代(724年-749年)は、平城京➡恭仁(くに)京➡紫香楽宮難波京➡平城京と、4回も引っ越しをしていることになります

今ちょうど高橋克彦さんの「風の陣」を読んでいますが、琵琶湖北に保良宮(ほらのみや)というのが出てきました。でも保良宮は遷都したわけではないので下図には出ていません。こういう宮は他にもありそうです。

おそらく各地とも最初から朝廷の拠点となっていて天皇が行幸して過ごしたがどうかだけの違いだったような気がします。紫香楽宮について言えば、奈良時代にこのあたりから大量の木材を伐採して平城京へと運んで行ったので交通ルートを含めたインフラは敷かれていたんじゃないかと思います。

ちなみに「~宮」と「~京」の違いは単純に天皇がいた本拠地(~宮)か、都市としての機能も併せ持っていた(~京)かどうかで変わるそうです。



駐車場から15分ほど歩くと飯道神社の鳥居にでてくるので参道に入ります。



ゴルフ場の横の参道を歩いていると飯道山の山頂が見えました。頂上に切れ込みがあるのでわかりやすい。



参道横のゴルフ場(オレンジシガカントリーコース)。



飯道神社の駐車場に出てきました。鳥居の周りだけ少し紅葉が始まっています。まだまだ、全く秋らしくないのですが。



駐車場は10台くらいは停められそうです。奥にあるのはトイレではありませんでした。



はじめに掲載した紫香楽宮の案内版です。



駐車場から先が山道になっています。今回も歴史ガイドの奥さんと一緒です。



道中のお地蔵さん。「地蔵宿」と書いてあります。一休みして一礼しましょうということでしょうか。



杉の説明版に描いてある修験者の少年が凛々しい。



飯道神社の鳥居が出てきましたが、右手の石垣より上の一帯がかつて飯道寺があったところです。修験道の拠点らしく、奈良時代の役行者の開山とされていますが、明治4年の廃仏毀釈の際に廃絶されてしまいました

廃仏毀釈とは言え完全に姿を消してしまう寺は少ないように思えます。明治政府は特に修験道には厳しかった(修験道禁止令)からかも知れません。

それにしては修験道の総本山の金峯山寺が残ったのは何故か?それは金峯山寺はいったん神社へと転身したからで、こちらの飯道寺はすでに隣に神社があったので転身できなかったのでしょうか?



神社へ向かう道には最近作られたように見えるトイレもあります。



トイレの先にあった飯道山の惣絵図(全体図)。江戸時代以前のものでしょうか、左上が飯道神社で、左下が飯道寺のエリアになっていて数多くの坊院が描かれているのがわかります。明らかに寺院のほうが神社よりも大きかったのですね。



本殿手前に行場ルートの分岐があります。7箇所ほどの難所があるようで、巨岩や奇岩に登ったり、隙間を抜けたりするようになっています。

修験者だけでなく、戦国時代には甲賀忍者もここで修行したとか。



飯道神社の本殿に出てきました。重要文化財に指定されています。



昭和51年に解体修理に行われた後、7年程前に檜皮葺屋根の葺き替えや外部塗装の塗りなおしが行われたようで、輝くばかりの朱色が美しい。



葺き替えされた檜皮葺の屋根も見事です。これだけきちんと仕事ができる腕のいい職人さんがまだおられるのは貴重かと思います。



本殿裏から行場の一つである東の覗きに出てきました。大峰山のように足を掴まれたまま逆さにぶら下がる修行でしょうか。



東の覗きからの景色。



巨岩を下から見る。いつかは転がり落ちるのでしょうね。



飯道神社を後にして飯道山の頂上へと向かいます。



山頂に到着。隼人川みずべ公園駐車場から2時間弱ほどです。飯道神社の駐車場からだと1時間半くらいでした。



頂上からの景色はとても良く、三上山が一望できます。



飯道山頂上から北西の阿星山(あぼしやま)と進む尾根道を鹿深(かふか)奥駈道と言うようです。15kmくらいなので大峰奥駈道と比べれば随分と短い奥駈道です。



木食上人のお墓(五輪塔)。木食応其(もくじきおうご)と言われる安土桃山時代の僧でこの地で亡くなったそうです。



今回の登山ルートのそこかしこに置かれていた還暦初老記念の石碑。これは平成11年ですが、昭和末から平成末までいくつかの石碑を見ました。平成11年に還暦と言えば現在85歳。まだ元気でおられるのでしょうか?

ちなみに記念碑の名前に黄瀬さんがとても多いのに気づきました。あまり聞かない名前なので調べると全国に1200人しかいない苗字で甲賀郡黄瀬村がルーツだそうです。

隼人川みずべ公園駐車場の交差点の名前が黄瀬だったので、ちょうどそのあたりが黄瀬村だったのでしょう。



再び飯道神社駐車場の紅葉を眺めて、隼人川みずべ公園駐車場に戻りました。