(竹田城天守址を中心に)
いよいよ梅雨入りです。我が丹波篠山の菜園では夏野菜がすくすくと育っていますが、なかでもトウモロコシの成長速度には驚かされます。2カ月半で種から2メートル近く成長する野菜は他には知りません。
トウモロコシは一株に一つの実を充実させるために、他の実は間引きしてしまいますが、その間引きした実がいわゆる「ヤングコーン」です。小さいときに食べると美味しく食べられます。この髪の毛みたいなのがメシベになっていて、2m上空のオシベからの花粉で受粉しますが、トウモロコシの粒一つ一つに毛がつながっているのが驚きです。
さて、竹田城ですが兵庫県朝来市(あさごし)にあります。昔でいうところの但馬國です。丹波國だと思っていました。丹波篠山から舞鶴自動車道で春日ICで北近畿豊岡道に乗り換えて和田山ICで下りてすぐのところです。
雲海に浮かぶ竹田城の写真が有名ですが、丹波篠山と同様、朝に霧が出るのは秋になります。あの景色を見るには竹田城から南へ2kmほどのところにある立雲峡(りつうんきょう)から眺めることになりますが、良い写真を撮るには望遠レンズがいるでしょう。
(Google Earthで立雲峡から見た竹田城址)
今日は観光駐車に車を停めて、情報館「天空の城」で竹田城のジオラマを見ます。
この地に城を建てたのは山名氏が最初になりますが、その後、太田垣氏7代が城主となります。そして、戦国時代となり1577年に織田信長の命を受けた豊臣(羽柴)秀吉が攻め落とし、新たに再設計をしました。ちなみに城の設計をすることを「縄張り」と言います。
竹田城は南北400m、東西100mで最高地点は天守台のある353mです。北千畳、南千畳、花屋敷と三つの曲輪(くるわ)から構成されています。曲輪とは石垣で囲んだ砦状の構造物です。
「日本のマチュピチュ」とも呼ばれますが、石垣の残り具合、山の頂上にあってかなり広いこと、近くに山が見えることから確かに似ているなと思いました。広さはマチュピチュのほうが断然広いですが。
登りは最も一般的な駅裏登山道を使い、帰りは表米(ひょうまい)神社登山道で下ります。表米神社登山道は登りに比べると段差が高いので若干注意が必要です。ゆっくり歩いて登り時間約30分くらいです。
JR播但線の線路。
お寺が立ち並ぶ寺町通り。前には水路が流れ、大きな鯉が泳いでいます。
15分ほどで駅裏登山道の入り口に入ります。
最初は非常によく整備された階段道。
すぐに階段がなくなり一般的な登山道になります。歩きにくくはないですが、しっかりめの靴がよいでしょう。
30分ほどで竹田城入り口前のチケット売り場に出てきました。今日は蒸し暑いのでかなり汗をかきました。
竹田城の石垣は、豊臣秀吉が大津市坂本から呼び寄せた穴太(あのう)衆によって建設されました。このような長方形の石の長辺と短辺を組み合わせながら石垣の角を積んでいく技法を算木積みといいます。
こちらが北千畳に通じる正面玄関である大手門。
城址には桜の木が多く植えられています。一本一本がかなり大きい。
城下町を見下ろす。
天守台を見上げる。
天守台から北千畳を見下ろす。
天守台を下りて南千畳へ向かいます。
南千畳から天守台を振り返る。
南西の方角、円山川沿いに播但の鉄道と高速道路が走る。
下りは20分ほどで表米(ひょうまい)神社裏に下りてきました。
土俵があって、歌舞伎の舞台もあります。周りには石積みの観覧席が段になっています。かなり本格的なエンターテイメントシアターだったのでしょう。
水路を泳ぐ大きな鯉を見て駐車場へ戻りました。ちなみにお昼を食べた「そば処伊とう」は大変おススメです。
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