2020年6月19日金曜日

智積院【アジサイ】

智積院(ちしゃくいん)は、東山七条にあります。京阪電車七条駅から三十三間堂を通り過ぎてしばらく歩いたところにあります。

この智積院の前の道は、私が毎週日曜日の朝、東山テニススクールに行くときに車で通っているのですが、今回、ちょうどアジサイの季節ということで、初めてじっくりとお参りします。


こちらが境内図。けっこう広いお寺です。

智積院の歴史は複雑です。元々は和歌山にあった根来山(ねごろさん)にあった大伝法院の塔頭として根来山内に建立されたのが発祥です。

ところが豊臣秀吉と対立したため、焼き討ちに遭い、焼失してしまいます。

その後、豊臣氏が滅亡した際、秀吉が第一子の鶴松のためてに建てた祥雲寺の土地を家康から与えられて、智積院は、その地に復興したのです。

いわば、秀吉に対するリベンジ寺、ということが言えるのではないでしょうか?


入り口を通ってすぐ、両側に桔梗の花が咲いています。雨露をまとって生き生きとしていますが、絶滅危惧種だそう。雌雄同花で、最初にオシベが成熟して花粉を散らし、その後、メシベが成熟して花粉を受け取る仕組み。

時期をずらすことで、自分で自分の花粉を受粉しないようになっている。ただ、周りの花もタイミングが合ってしまうと、受粉できなくなってしまうから、花によって微妙なズレが必要になります。


こちらが本尊のおわします金堂です。昭和に再建された鉄筋コンクリート造なのであまり風情は感じません。


本当はよくないのですが、外から本尊を撮りました。


金剛界大日如来像も昭和の作です(ネットから拝借)


金堂をお参りしたあとは、金堂の後ろに広がる、お目当てのアジサイを鑑賞します。


赤、青、黄色と色とりどりの花が混ざっているのが目に麗しい。


アジサイの原種がガクアジサイで、ガクアジサイの中央の花の集まりを手毬のように発展させた種類がアジサイです。
やはり、よりインパクトの強い花が好まれるのでしょう。花序と呼ばれる花の集まりが特徴ですが、そのほとんどが装飾花といわれるもので、生殖能力はないそうです。


墓所がありますが、そんなに大きくありません。学業の途中で亡くなった人たちの墓、といったような説明がありました。





ハンドボールくらいの大きさのアジサイもあります。







アジサイに堪能したあとは、ぐるりと左に境内を周ります。これは蜜厳堂。修行中ということでこれより中には入れません。


こちらは大師道。弘法大師像があります。



智積院の向かって左側は有料で、すぐ先に長谷川等伯の宝物館があります。

これらの障壁画は、元々、秀吉が鶴松のために建てた祥雲寺の客殿を飾っていたものですが、祥雲寺が智積院となった江戸時代の天和の火災の際に大急ぎで客殿から持ち出され、さらに近年昭和22年の火災で、障壁画のうち16面が焼失してしまっている。

長谷川等伯は、織田信長が覇権を握った安土桃山時代の初めに石川県から上洛し狩野派に入門するがすぐに辞めてしまい、千利休と交流を結び中国の画風などを取り入れて独自色を生み出した。上洛したのは40代前後のようで、遅咲きの大器と言えるでしょうか。


これは等伯の息子、久蔵の作品(智積院ホームページ)。

金色の雲が、桜の花をうまく見せたり隠したりして、品のある絢爛豪華さを演出しています。
これが25歳の作品というのが驚かされます。すでに等伯の技術を自分のものにしているだけでなく、真っ直ぐな若さが、画面全体を輝かせています。

等伯も、自分を継ぐものとしてどれだけ誇らしく思ったことかと思いますが、残念ながら久蔵は、この作品に命を捧げたかのように翌年亡くなってしまいます


久蔵の死のあとに等伯が55歳で描いた楓。

息子の死を乗り越えたというよりは、楓の幹が、泣きながら去っていく男の後ろ姿のように見えてなりませんが、60代に大涅槃図を描くなど作家活動を続け、71歳で亡くなった。



等伯の絵を鑑賞したあとは、講堂を訪れます。こちらの入場料も宝物館と合わせて500円なので、智積院はとても良心的です。ちなみにアジサイ園は無料です!

こちらの講堂は、昭和の火災の際に焼失したものを1995年に再建したものです。
再建の前に、発掘調査が行われ、以前は秀吉の祥雲寺客殿があったことがわかりました。


名勝庭園。秀吉の祥雲寺時代に原型が作られたとのことで、千利休好みの庭園だそうです。池だけでなく人工的な土盛りをしている「築山泉水式」庭園。

等伯の障壁画も以前はこの池に面した大書院に置かれていたとのことです。


平たい石で作られた橋の上に、鴨が二羽。


ぐるりと回ってみても、佇んだまま動きません。


この庭園が変わっているところは、縁側の下まで池になっているところです。なので、若干ですがスリルが味わえます。


庭には出られないのですが、築山の周りに道や橋が作られていて、こちらを歩くのはかなりスリリングではないかと思われます。


池の色は濁っていますが、そのせいで深さを感じさせ、より自然な風景のように見えます。


雨に濡れた松の木肌が何とも言えない味わいがある。




講堂を出たあたりに、クチナシの花が咲いていました。渡哲也の歌がありましたが、香りを嗅ぐのは今日が初めてです。カカオのような熱帯の花に近いとてもよい匂いなので、なんどもクンクン嗅いでしまいました。


Wikiで調べてみると、台湾やインドシナ半島に広く分布しているとのことで、亜熱帯系の植物でした。山梔子(さんしし)という漢方薬として使われたり、十二単の染料として使われたり、非常に有益な植物のようです。

おまえのような、花だった~」とは、どういう意味なのかなと考えました。

「花のかおりが旅路の果てまでついてくる」というのは、その香りの濃厚さがわかれば納得するのですが、そんな濃厚な香りを漂わすほどの、女ざかりを誇った彼女が、「いまでは指輪もまわるほど、やせてやつれた」、という哀愁を歌っているのでしょうか。


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