2020年5月23日土曜日

清滝川と空也の滝

関西圏においては、新型コロナウィルスの緊急事態宣言が解除された5月23日、清滝川沿いを歩いてみます。

太秦天神川駅からバスで、高雄まで行き、近くの高山寺を見てから清滝川沿いを歩き、途中で愛宕山ふもとの空也の滝に立ち寄ってから清滝のバス停で帰るという4時間程度のルートです。


太秦天神川駅からバスに乗り、高雄バスで下車、そこから国道162号線沿いに高山寺まで歩きますが、車道の脇道でちょっと危ない気がします。

国道162号線は周山街道だった道で、鯖街道の1ルートです。なので今でもそこそこ交通量が多い。

しばらく歩くと参道への階段がでてきます。


高山寺の山号は高雄山ではなく、栂尾山(とがおさん/つがおさん)。栂尾山は高雄山より少し奥に位置するとのことですが、正確な位置はわかりません。

栂(ツガ)はマツ科の植物で、昔は罪人をはりつけにした木だそうです。



本尊を祀る金堂。


こちらが開基の明恵上人の御廟(お墓)。


明恵上人は、鎌倉時代の僧で、華厳宗と密教を融合し、戒律に厳しい一方、わかりやすく説くことを力を入れられたので、名前が知られるようになったのかもしれません。




日本最古の茶園。お茶は栄西が宋から持ち帰ったものを明恵が育てて広めたそうです。カテキン効果で、修行中眠くなるのを防ぐ効果がありがたがられたとのこと。

中世は栂尾のお茶を本茶、それ以外を非茶と呼んだそうですが、すこし差別感ありすぎのような気が。


石水院。明恵上人の庵室として使われていたとのこと。こちらは有料で、今回は時間の関係上スキップ。


石水院収蔵の明恵上人の樹上座禅像。明恵上人が縄床樹と名付けた松の上で座禅されていますが、かなり座りにくそう。


石水院といえば、やはり鳥獣戯画。石水院にあるのは模写で、本物は4巻あり、東京と京都の国立博物館に2巻ずつ保管されているそう。作者はよくわかっておらず、平安末期から鎌倉初期の間の長期間にわたることから、無名の僧侶が世の中を風刺して描いたものと考えられている。


高山寺をあとにして周山街道から清滝川沿いの道(白い道)を歩きます。


途中の西明寺に続く指月橋の手前にあるお茶屋さん、指月亭であまざけをいただきました。


指月橋です。


道沿いに、ユキノシタの群生がありました。


神護寺への参道と清滝川の分岐にある高雄観光ホテル。ここから清滝川沿いの自然歩道を歩きます。


清滝川の向こうにみえるのは、もみぢ家別館。料理旅館のようです。


清滝川が随分下に見えます。とても気持ちの良い自然歩道です。



アップダウンもほとんどなく、スニーカーでも十分歩けます。


一瞬踏みそうになったヘビ。体に4本の線があるのはシマヘビ。昼行性で無毒です。


地図上の「東海自然歩道分岐」地点を、空也の滝に向けて北へ歩きます。このルートは愛宕山の月輪寺ルートの登山口に続く林道です。あまり歩いて面白い道ではないです。



わかりにくいですが、右が愛宕山の月輪寺ルートの登山口で、左に見える階段が空也の滝のためだけのルートです。



思った以上に登らなければなりませんが、そんなに大変なわけではないです。


途中で社務所兼民家のような家があります。


ここを登ると滝です。


空也の滝に出てきました。険しい岩場に滝のしぶきが散る様子が修験道を彷彿させる一方で、日当たりがよく爽やかな空気があります。



役行者。


細かい水しぶきがシャワーのようで、神域でなければ、夏は水浴びをしたくなりそうな滝です。


空也は生涯、民の救済のために各地を歩き、六波羅蜜寺で生涯を閉じたとされています。念仏を唱えることを民に教え、南無阿弥陀仏の一文字一文字が仏となったそうです。これは六波羅蜜寺の空也上人立像。





空也の滝の後は、清滝のバス停に向かって林道沿いを歩きました。


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