2020年1月11日土曜日

朝鮮人街道 安土~野洲

朝鮮人街道シリーズの第三弾です。最初は鳥居本~能登川、次に能登川~安土を登山ルートで、そして今回の安土~野洲です。

結論を言えば、このルート、特に近江八幡のあたりが一番旧街道の趣が深く、面白かったです。


こちらが拡大図。全体で約16Km。途中に駅がありませんが、日帰り歩きにはちょうどよい距離かなと思います。


今日はお天気の土曜日。安土駅を出ると、さっそくこの方がおられました。これは「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」と敦盛を舞っておられる姿でしょうか。


駅を振り返ると先日登った繖山(きぬがさやま)が見えます。見守ってくれているような存在です。


朝鮮人街道の代わりに下街道ともいわれます。中山道は上街道。


この高木神社の角を北に曲がります。



かなり立派な常夜灯。後ろはクスノキでしょうか。


鶴翼山(278m)、通称、八幡山が見えてきました。縦の筋はロープウェイです。ここから八幡山に近づいていきます。


八風街道をこの標識で初めて知りましたが、伊勢と近江をつなぐ街道で、中山道や朝鮮人街道にクロスする道で、鈴鹿山脈の八風峠を越えていくルートのようです。多くは国道421号線になっているので歩いて面白いかどうか微妙ですが、部分的にでも歩いてみたい。


ちょうどこの黒橋あたりから古道の趣を味わえる場所になってきます。個人名が記載されている地図が堂々と掲げられているところが、昭和の平和さを今に保っていることを示しています。地域のまとまりが強いからこそ保てる日常の安心感がよい空気を醸成しているように感じます。


ここから、小さな神社があちこち出てきます。


黒橋。


うなぎとひつまぶしで有名なお店らしい。浜名湖なら知っていますが、琵琶湖でうなぎとは初めて聞きました。


ここにも常夜灯が。


八幡山城の東入り口に位置した縄手町。縄手とは田んぼのあぜ道のこと。
八幡山城は、豊臣秀次が建てた城で、秀吉は信長の安土城に替わる城にしようとしたとのこと。


小さな神社があちこちにあります。このあたりは、鍵之手町。ジグザグになっていたからその名がついたようです。朝鮮人街道の旅籠があったそう。


きれいな看板。そこそこ儲かってるのかな。なんとなく讃岐うどん屋のように見えます。


アートミュージアムNO-MA。障がい者のアート作品をテーマにしているようです。
古民家をおしゃれに活用しているところは京都っぽい。


「あきんど道」?


こちらはゲストハウスかな?


レトロ感のある旧八幡郵便局の建物。小物を売っていたような。



京街道は、大坂~京都間の街道だと思っていましたが、江戸時代の初めに大津まで延伸されたようです。ルートは朝鮮人街道と同じです。
右は、新町通りと書いてあります。


こちら新町通り。昔の情緒が残っています。一筋ごとに通りの名前があるのも京都そっくり。新町通りは京都にもあります。

この先を歩けば、八幡山ですが、今回は登山はせず、朝鮮人街道を行きます。


すぐそばにある郷土資料館。


いきなり、ものすごい古い錆びだらけのブリキの看板が。オロナイン軟膏。


1950年代の看板で、下がネットで見つけたきれいに保存されたもの。
浪花千栄子という河内出身の女優さんで、大阪のお母さんという愛称。


近江八幡の城下町の地図の絵が呉服店にかけられています。上が東ですが、こうして見ると洛中のようです。


願成就寺(がんじょうじゅうじ)。小山のようになっています。登りたい気持ちになりますが、ここは通り過ぎる。


村社諏訪神社。


本当はここは朝鮮人街道ではないのですが、ランチのカップヌードルを食べるために公園に立ち寄りました。


ここから県道2号、大津能登川長浜線沿いに歩きます。旧街道の情緒はもうありません。


巨大なスーパーセンターが。トライアルとは妙な名前ですね。「ものはためし」みたいな。


広大な田畑のはるか向こうに比良山系が見えます。なんとなく頂上は雪を冠っているような。今年は暖冬で今のところ雪にはお目にかかっておりません。


退屈な県道沿いの道。


住宅街は人間観察にもなるので県道よりは面白い。このあたりは十王町といいます。朝鮮人街道歩きを始めた彦根のあたりに十王の水という名水がありましたが関係しているのかな。


ちなみに十王とは、地獄に行った者を裁く10人の裁判官のことらしい。
閻魔大王が一人で裁くと思っていたが、実は閻魔大王は十王のうちの一人で、死んでから35日目に現れる裁判官。
10人目の裁判官の名前は、五道転輪王(ごどうてんりんおう)で、三回忌(死んでから三年後)に登場する。
時系列的にバラバラに出てきてどうやって裁くのでしょうか?どんどん罰が積み重なっていくのでしょうか?


正林寺。拳法は少林寺。


日野川にかかる橋をわたります。


琵琶湖の右下あたりを朝鮮通信使が歩いています。


拡大です。なんとなく楽しそうに見えます。


小さな集落を通り抜けます。


祇王は、平家物語に登場する平清盛に愛された白拍子の物語で、京都の祇王寺は以前訪ねましたが、この川はその祇王が清盛に願って野洲川から引かれた川とのこと。

祇王の出身は野洲らしく、このあたりは以前、祇王村という名前だったのですが、その名前は、義王が変わったものなので、本当に祇王と関係しているのか怪しいです。


遠くに近江富士の愛称の三上山が見える。その前にあるのが妙光寺山。この二山も以前登りました


ここから野洲駅までの長い道は桜並木になっています。1月なのでこんな感じですが。


これだけの巨石が庭にある家も珍しい。


屋棟(ヤムネ)神社。祇王井側と同じ野洲川の支流の屋棟川を守る神様。昔は河川の増水、氾濫があったので、神様に守ってもらう必要があったのですね。

ここからすぐの野洲駅に到着し、3回に分けた朝鮮人街道の旅もこれで終わりです。


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