全体図は下記になります。どっちから回ってもかまいませんが、今回は、南から反時計回りのルートを取ります。
拡大図です。まずは春日大社を目指して歩きます。
いたいた、鹿さんたち。最近はどこでも害獣扱いされていますが、ここではのんびり放し飼いにされています。角もそのままだし、事故はあまりないのかな?
境内は撮影しなかったのですが、春日大社です。パワーストーンがあり、手をかざしてみると、気のせいか、ジーンとしたエネルギーを感じました。
若宮神社へ向かう道。多くの石籠が並んでいますが、ここの特徴は明かりを照らす部分が木造になっているところ。
全体の案内図です。現在地は春日山遊歩道の入り口で、首切り地蔵まではこのルートと柳生街道のルートがあります。柳生街道は歩かなかったのですが、沢沿いのルートでそっちの方を歩いたほうが面白かったのかもしれません。実際多くの団体ハイカーたち(おじいちゃん、おばあちゃん)は柳生街道のほうを歩いていました。
ちなみに、柳生街道は、さらに奥に位置する柳生村と奈良を結ぶ道でした。柳生一族の陰謀で知られる柳生氏がいたところです。柳生氏は古くは南朝にまで遡る由緒ある家系。
さて、この道、遊歩道にしては幅が広い!なぜかというと、昭和のはじめに周遊道路として開発されたからです。文部省の反対があったようですが、奈良県が造ってしまったようです。
そもそもこの「原始林」もともとは春日大社の神山として人の手を入れることを禁じてい何もかかわらず台風の被害等々で植樹が行われ、厳密な意味では原始林ではないです。
もし本当にそうなら車道を造ろうなどという発想そのものがおきませんよね。
せっかくの森林浴ハイキングなのに、こんなに道幅が広いと自然の中にいる感じが薄れてしまいます。
近鉄奈良駅のそばにある蓮長寺の修行所と書いてあります。
滝があったり参篭所があったり修行センターといったところ。
奥まったところに首切り地蔵があります。鎌倉時代の作ですが、江戸時代に剣豪の荒木又右衛門に試し斬りされたという伝説がのこります。なんて罰当たりなことをするのでしょうか?
実際は単に割れただけなんでしょうね。
首切り地蔵からすぐ上に登ると地獄谷新池と名のついた池があります。割と大きい。なんで地獄谷なのかはわかりません。
本当はここから地獄谷石仏を見るはずが、ルートが閉鎖されていて行けません。仕方がないので春日奥山道路沿いに歩いていきます。
春日奥山道路といっても同じような自然歩道で、車は何台が走っていましたが、歩いたほうが断然楽しいです。
これは春日山最大のヤマザクラです。
鎌研(かまとぎ)交番所から、春日山遊歩道へ行くルートもあるのですが、天気もいいので、若草山に向かいます。
少し坂道を登ると、パァーっと視界が開くので驚きです。
西方向を望みます。大阪と奈良を区切っているのがこれらの山々です。北から生駒山、信貴山、大和側を挟んで葛城山、金剛山と続きます。葛城山、金剛山は去年登りました。
葛城山、金剛山です。
GoogleMapで見ると面白いですが、大阪と奈良を区切る葛城山、金剛山は南へ行くとL(エル)字型に曲がって阪南市まで伸びています。その南は和歌山県です。
このL字の部分を走破するのが人気のダイヤモンドトレイル、通称ダイトレですね。
葛城山、大木と外国人の美女(らしき)の後ろ姿の構図がよい。本日のベストショット。
真下に見えるのが大仏殿です。
二月堂のそばの休憩所にあった789年ごろの再現図です。平城京があって朱雀大路が南北に通っています。平安京と同じですね。
北ゲートまで下りてきました。振り返ると広大な広場が。でも坂になっているからいまいち楽しめそうになさそうです。
鹿のお出迎え。
さて、ここから二月堂に行きました。
ここは、閼伽井屋(あかいや)と言われる場所で、この中に神聖な井戸があり、お水取りの際には、この井戸の水を十一面観音にお供えします。
お水取りというのは俗称で正式には修二会(しゅにえ)といい、一年の終わりに犯した罪などを懺悔し十一面観音様に赦しを乞うというのが本来の目的なのです。
二月堂の全景。この舞台から火の粉が飛び散るわけです。
大仏殿は門の隙間から撮影。以前は奈良はあまり外国人はいなかったのですが、最近は京都なみになってきました。正直人が多すぎて近づきたくないです。
東大寺の仁王像。日本最大の木彫像。口をあけているのが、阿行(あぎょう)像、閉じているのが吽行(うんぎょう)像。写真は、吽行像です。作者なのか指揮者なのか運慶、快慶が関わっていると言われている鎌倉時代の作品です。
足の指から手の先まで力がみなぎっており、筋肉のつき方もきちんと研究されているように思えます。他のお寺の仁王像もいろいろ見てきましたが、やはり東大寺の仁王像は別格ですね。
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