中山道を案内する前に、まずは前日に訪れた”今の”東京を紹介。コースは、東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、表参道ヒルズの、おしゃれ系三本立てです。当然全部歩いて回ります。
まずは、東京ミッドタウンの森美術館。レアンドロエルリッヒの展示をやっており、日常の当たり前な感覚を錯覚させる面白い作品達を楽しみました。
そのあと展望フロアーへ。天気が素晴らしく、東京タワーがきれいに撮れました。東京スカイツリーも写真には写ってはいませんが東京タワーと一緒に見れましたが、やはり東京タワーの赤が目立ちますね。
次に六本木ヒルズへ。21_21DESIGN SITEで写真都市展をテーマに気鋭の写真家たちの作品を楽しむ。
六本木交差点を通って青山墓地を過ぎると表参道。落ち着いた品の良さがある街です。
同潤会アパートを復興させたようなデザインのギャラリーとショッピングセンターの二つで構成されている表参道ヒルズです。
ショッピングエリアは、巨大な螺旋階段沿いにショップが並ぶデザインになっています。上からグルグルと下りながらお店をひやかせるというデートコースに最適ですな。
泊まったのは神田のニューセントラルホテル。朝食付き。
神田から東京駅方面へ歩きますが、この辺りのビルが威厳があります。権力欲がかきたてられるのでしょうか。
さて、21世紀のTOKYOを見学したあとは、いよいよ、江戸への旅。中山道の出発地点の日本橋です。
大阪もそうですが、川の上に高速道路を建てたものだからせっかくのゴシック調の橋もだいなしです。
「ちゃんと歩ける中山道」には刑場跡と書いてありましたがそれらしき場所は見つかりません。
ライオンは東京の守護、麒麟は東京の繁栄を願う意味がある。
東野圭吾の小説「麒麟の翼」を思い出します。
昔はここが魚河岸で、関東大震災で壊滅してしまったのをきっかけに、築地に移ったとのこと。その築地も土壌汚染のゴタゴタ問題のあと、今年2018年10月に豊洲市場に移転します。
ホテルのあった神田方面に戻り、藪そば周辺に江戸時代を偲ばせるお店が何件かありました。こちらは、アンコウ鍋の名店いせ源さん。
和菓子の竹邑。
一番有名な藪そばは、客の数が多すぎるのか、新しい建物に変わっていて昔の面影はあまり感じません。
甘酒を昔から名物にしているというお茶屋。
神田明神です。
祭神は平将門とのこと。
江戸三大祭りの一つがここで、絵にある神輿は江戸城内にも入った。
「本郷も かねやすまでは江戸のうち」といわれたかねやすがまだ残っています。歯磨き粉で財をなしたらしいですが、いまはテナント募集中のようです。
確かに、ここから先は、なんとなく大都会から普通の街並みに変わっていく気がします。
東京大学の赤門。ここはもともと加賀藩の領地であり、十一代将軍家斉の娘である溶(やす)姫が加賀藩前田家に嫁いだ際に建てられた御守殿門。御守殿とは、将軍から嫁いだ娘のことをいう。
安田講堂。1960年代の学生闘争の白黒の写真で見たけど、実物は初めて見た。
東大を過ぎて進むと、江戸日本橋から最初の一里塚跡。といっても、この看板だけがわかりにくい場所に立っているだけ。
大円寺にある八百屋お七を供養する、ほうろく地蔵。
絵はネットの拾い物ですが、お七は、火事で避難していたときに知り合った男のことが忘れられず、再び会いたいがために放火をした罪で火あぶりの刑にあってしまった。いくらなんでもそこまでするか!と思いますが、女の情の深さを表す話として人気があったようです。
徳川家最後の将軍であった慶喜の晩年の屋敷跡。江戸城にいた天下の将軍が、こんなに離れた場所に住まわされてちょっと可哀想な気がします。
1868年に鳥羽伏見の戦いで幕府の敗戦が決定的となり江戸城を追われてからは、1897年までの29年間静岡に住み続け、61歳に、ここ巣鴨に移り住んで1913年77歳で亡くなった。静岡に移住したことから権力への執着はすてて趣味を楽しんでいたという。
ちなみにこの屋敷も、すぐ近くに鉄道ができてから、引き払われたということです。
さて、巣鴨の商店街を抜けると、なにやらものすごい人の数です。
こちらは真性寺。起立年代不明ですが行基菩薩が開いたと言われています。江戸六地蔵の家の一つです。梅が咲いています。
さて、この人混みは何なのか?と思いましたが、有名な「おばあちゃんの原宿」と言われる地蔵通り商店街でした。愛称の通り、売っているものが、せんべいやら何やら年寄りくさいものだらけ。でもとにかくすごい人の数でした。本当の原宿はこれよりもっと凄かったけど。
朝日屋というお店で親子丼を食べてお昼にします。さすが江戸の街道沿いにあるだけあって、京都人の私からすると濃いめの味付けです。
とげぬき地蔵では写真を撮るのを忘れてしまいましたが、「とげを抜いたように」傷みがなくなるという御利益で大人気でした。
商店街を抜けてしばらく歩き続けると、板橋宿に到着しました。
こちらは、あまり賑わってはいません。
縁切榎(えのき)。悪縁を切りたい人たちにはありがたい場所なのでしょうね。京都にもありますが(安井金比羅宮)
この途中で、突然腹痛におそわれ、トイレに行きたくなり、幸い近くにあった喫茶店に飛び込みトイレを借りる。当然コーヒーも注文しましたが。
こちら志村の一里塚。驚いたことに一里塚の姿をそのまま維持してある。これだけきっちりと維持しているところは中山道でもないのではなかろうか?少なくともいままで見たことがない。
しかもこの一里塚、道の両側に二つある。これが本来の姿。植えられている榎も一里塚では一番多く用いられた木です。
ずうっと行って、新河岸川(しんがしがわ)を渡ります。この川は松平信綱が河川改修を行い、川越から江戸の舟運が開いた。
川を渡ったところにあった町名。ちょうどこのあたりに渡し舟があったのでしょうね。
とても小さいけれど十基の板碑。親や自分の後生供養のために建てられた。
こんどは荒川を渡ります。ここから先は埼玉県。
いよいよ蕨宿に到着です。
16時の帰りの新幹線に乗らねばならないので、蕨宿を越えたところで今回は終了。
蕨駅前商店街。 すっかり地方のさびしい商店街になりました。
JR蕨駅から電車にのって、東京へ。今回は朝9時出発で蕨宿まで約20キロを6時間以上もかかりました。寄り道が多すぎたようです。しかし東京出発で一日歩いたのに、結局東京に戻らなければならないのは、少しくやしい。
帰りの新幹線から撮影。富士山の前の、白い物体は対向車線を走る新幹線の鼻です。ものすごい偶然。
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