街道歩きを趣味にしていると言っておきながら現金を十分持たずに来てしまう自分に後悔。
さて、宿を出ると雲がかかっているとはいえ、湯殿山と月山が遠くに見えます。はるか遠くに見える目的地に歩いていくっていいです。ロード・オブ・ザ・リングのよう。
マップにそって行きます。田麦荘は柳清水から国道を越えたところにありますので、南に進みます。
月山湖に流れる田麦川を渡ります。思いのほか深い。
多層民家。三階建てです。「かやぶき屋」という名前で旅館として営業されているようです。
普通の農家の家々を通り過ぎて歩いていくと、舗装された道路から突然山道への入口があります。昔、多くの人々が列をなして登っていったところから、蟻腰坂という名前がついています。
坂を登りきるといい感じの道。
弘法茶屋跡。
ちょっと入ったところに弘法清水があります。この街道は美味しい水の補給には苦労しない。
ここで国道112号の上を通過します。
「ラブラブナ」という今風の名前のついた、手をつないでダンスをするカップルのようなブナ。
これは独鈷清水です。弘法大師が独鈷を地面に突き刺したら湧き出た水ということです。なんども清水を撮っているので撮影技術も上がってきたかな。
ちなみに独鈷は密教の法具です。
千手観音のようなブナということで名前がついた千手ブナ。これは見応えがありますね。今回の街道歩きで一番のみどころといってもよい。
たんに枝がいっぱいあるだけでなく、千手観音の手に法具があるように見えます。このコブのようなものは何らかの原因で傷がついた部分を修復しようとして出来たものだそう。
これは名前が付いていなかったけれど、不気味な横顔のように見える。夜に見ると怖いだろう。ブレア・ウィッチ・プロジェクトを思い出す。
ここから先の地図です。
ちょっと上がると月山遥拝所があり、山々が一望できる...はず、なんだけどあいにくの雲。
本当はこのように見えるはず。
小堀抜(こほのぎ)。山を切り通してある。地中の冷たさが伝わり快適。
つぎは大堀抜(おほのぎ)。より深く切り通している。この二か所だけ掘り抜いたのは、よほど歩きにくかったのか、理由は諸説あるそうな。この緑のトンネルも今回の街道歩きのメインです。六十里越街道のパンフレットの表紙の写真もここでした。
細越峠です。こちらは茶屋があっただけあって、平地なので、ベンチと、丸太の椅子がおいてありました。
こちら田麦荘で作ってくれたおにぎり弁当。コロッケ付きでうれしい。カップヌードルもよいが、やはりおにぎりのほうが人のやさしさが感じられて美味しいわ。
すこし歩くと木々の切れ目から大きな赤い鳥居が見えた。あれが今日の目的にの湯殿山神社の入口だ。
樹木に落書きは絶対よくないが、この昭和6年のメッセージは、「雪三尺、馬コナイ」と書いてあり、堀口寅治さん、無事だったのだろうか。でもこんなところに馬で迎えにくるはずだったのか?
さらに遡って戦国時代では、上杉景勝とその配下の直江兼続(なおえかねつぐ)に対して、徳川家康が、このあたり出羽地方を領土にしていた最上義光(もがみよしあき)と伊達政宗に「会津征伐」の命を下した、もうひとつの関ケ原の戦いが行われました。
さて、六十里越街道を外れて湯殿山神社に向かうが、これは一番近道の「とうふ道」。遠藤繁蔵という人がこのあたりに笹小屋を立て、生活の足しに豆腐作りを始めて、湯殿山参籠所に届けるためのショートカットを自ら切り開いた道なのです。
ちなみに遠藤さんは、庄内出身で、一時期東京で巡査をしていたけれど、大都会の仕事でノイローゼになりかけて、ここに戻ってきたそうです。なんとなくわかる気がする。
六十里越街道のメインルートから外れるとはいえ、歩きやすい道だなと思ってずんずん進んでいきます。
ガイドマップに「徒渉有」と書いてありましたが、最後のまさに参籠所のすぐ下に流れる仙人川。昨日夕方に少し雨が降ったくらいなので大丈夫だと思っていましたが、普通には渡れないので、近くにあった太くて長い木の枝で、棒高跳びを決めました。
よし!と喜んだのもつかの間、
道がない...
川の周辺を調べてみましたがどうしても登る道が見つかりません。ウロウロしているうちに、ついに
スベりました。
ふくらはぎあたりまで水につかったのは良いのですが、顔を少し岩にぶつけ、しかも高価なRX1Rのレンズキャップが流されてしましました。大ショック。
さらに追い打ちをかけるように、RX1Rのオートフォーカスが動かず、画面にエラーコードが表示されました。これは修理すると数万円かかるかも。
結局無理してすこし登ってみたりしましたが、どうしても見つからず、参籠所に電話しようにも電波が入らず、当然ネットも見れないので、もはやここまで。
赤い鳥居が上に見えるのに、リスクを考えて悔しいけれど引き返すことに決定。
真夏は草の繁殖がすさまじく、このように道を消してしまうのですね。
あと、やはりストックは買おうと思いました。時には四本足になる必要があると。
これはヤマレコにあったとうふ道、仙人川の写真です。これを見ると道がありそうですが。いったい何処に隠れていたのでしょうか。
いろいろなことにショックに打ちひしがれながら歩くとすぐに六十里越街道のルートに戻り、先に行きます。ここからはExperiaの写真に切り替えです。
橋、というか、鉄骨が渡っています。先ほどの徒渉の失敗で、橋のありがたみを感じます。
この湯殿山碑の先に小さな川があり、それを渡った先に道があるはずなのですが、これもナイ!川沿いに靴跡があったのでそれを進んでも草をかきわけるようになってしまい、明らかに道ではない。
さきほどのショックもあり、もはやこの旅もここまでか...
とあきらめかけて再度ガイドマップのイラストを見ると「急坂」と書いてあり、遠くからよく見ると、上に登る坂道を見つけました。やはり夏草に覆われてほとんどわからないのですが、確かに道を発見。
あの靴跡をつけた人はちゃんと行けたのだろうか。
湯殿山参道への分岐点を左に折れ、再び六十里越街道のメインルートから外れます。しばらく行くと、ザンゲ坂と言われる登りです。登っていく人たちがまるで懺悔をしているように見えたからだそうですが、ここまでくるとみんな疲れていて首を垂れていたのかも。
しかも試しにRX1Rを使ってみると、オートフォーカスが動作しました。自己修復機能でもあるのでしょうか。とにかく修理に大出費をせずに済んだようで、二重にうれしい。
思わず拍手喝采をしてしまいました。
到着してみると、駐車場があり多くの観光客が。
昔は「語るなかれ、聞くなかれ」と秘密にされてきた場所です。やはり苦労してちゃんと歩いてきてこそ味わえる達成感というものがあります。
こちら、パノラマモードです。左に見えるのが湯殿山参籠所です。左手の下には売店があります。
ようやく宿にありつけてうれしい。
二階の部屋は大部屋をふすまで区切ってあるだけです。エアコンはないですが、涼しいので問題なし。ただ部屋に鍵がないのが若干ですが不安です。窓の外に大鳥居が見えます。
一階の奥の大広間のような場所は5時(だったかな?)に参拝のようなものが行われてました。食事は6時スタート。
お風呂は普通の浴場と、神湯風呂がありました。神湯風呂のお湯は恐らく湯殿山の湯だと思いますが舐めてみるとあまり硫黄臭はなく、鉄分が多い味わいです。写真はホームページより。
朝食は7時なのですが、7時に出発したかったので早めに食べれないかリクエストしましたが却下されてしまいました。登山客も多いだろうにもうちょっとフレキシブルであってほしい。
これで二日目は終わりです。
⇒続き 「湯殿山~月山」へ
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