【光善寺近くの街道沿いの古民家】
前回京街道を歩くぞ、とやりはじめてからはや1か月。風邪を引いたりしてなかなか再開できなかった。今回は堀江のヘアサロンに行ってから京阪で守口までいってスタートだったので、スタート時間がすでに2時頃でした。
守口からは淀川沿いに向けての道が続くが、京街道は洪水になっても大丈夫なように堤防がつくられてある。
このあたりの堤防を文禄堤(つつみ)と言うそうです。どんどん淀川に向けて歩くのですが、正直面白い道ではありません。
守口水道局の手前に謎のベンチ?を発見。旧街道をあるくと時々、昔の石を再利用したものがありますが、これはそもそもベンチとして作ったのか用途が分からない上、一番謎なのはこの石材が元々何に使われていたかということです。中央に空いた穴は明らかに何かを通していたようにも見える。誰かこのブログを見た人教えてください。
いよいよ淀川沿いを歩く。粉雪が舞ってめちゃくちゃ寒い。ダウンコートのフードを被りながら歩く。
この辺は高速道路や国道やらで、わびもさびも何もない悲しい場所、だと思いきや、堤防の下と道路とモノレールの下に大きな日本家屋があった。しかも横には立派な木々が茂るお庭が。
これだけの家に住むのだからそれなりの家柄なのだろうが、場所的に決してうらやましいとは思えない。調べるとこの辺は大庭という集落だったらしい。
あまりの寒さと集落見たさに下に降りるとお寺発見。
本性寺(ほんしょうじ)というお寺。調べるとなにやらクリスタル墓などと商売熱心さが見受けられます。
ようやく歴史を感じさせるものに出会う。加納藩があって、昔は提灯や傘を作っていたようですね。
来迎寺の松です。これには驚いた。もう幹の真ん中がなくなって表皮だけになった枝が四方に伸びて、それを石柱で支えている。さきっちょは今でも元気に葉を茂らせている。まるで龍のようです。樹木というものは表皮を伝って養分を流していることに改めて納得。この松は今まで見たどんな松よりもすごいと思う。
このあたりの大庭地区でいちばん中心となる神社が佐太天神宮ということ。菅原道真が大宰府に流される途中に滞在したそうです。菅原道真とはいうものの罪人の扱いなのに途中で立ち寄ってのんびりと木彫りとか絵を描いたりしたというのがちょっとおかしい気もしますね。どんな罪人やねん!
こちら佐太天神宮の境内の緑は大阪緑の百選に選ばれているといいますが、ちっちゃい場所だし、これで百選って大阪どんだけ緑少ないねん!と思いました。
寒いけどどんどん淀川堤防を歩いていくと徐々にひが暮れてきます。そうすると光線が低くなって東の山がくっきりと見えてきます。枚方の方の山なのかな?
なにやら巨大な石碑発見。まるでモノリスのよう。これは赤井堤記念碑ということで、昔は赤井川というのが枚方市と寝屋川市の境にあってその堤防の残骸のようです。
このあたりから街道が二手に分かれる。淀川は飽きてきたので当然集落の方へ。古民家があってうれしい。二階はサッシがあるわけでもなく古いままの明り取り。これは寒そう。人は住んでいないようだ。
こちらは住んでいるのかいないのか微妙な感じ。
こちらは住んでいるのかいないのか微妙な感じ。
でもこの辺は古い町並みを残しながらも新しい家も多く、なかなか立派で、夕食のいい匂いやピアノのレッスンの音が聞こえてきたり家族の幸せが感じられてとてもよい空気が流れていました。
ということで、日も暮れてきたし京阪の駅が近かったので光善寺駅まで行って本日は終了。朝の散歩もいれて25000歩でした。
まだ大阪-京都の半分も歩けていないなぁ。
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