開聞岳登山を中心に2泊3日で鹿児島へ一人旅です。ただ、開聞岳の方は、雨のせいで残念ながら7合目までで引き返す結果となりました。
新大阪駅から「さくら」号で鹿児島中央駅まで乗り換えなしで4時間で行けてしまいます。料金も飛行機より5千円ほど安いです。しかも「さくら」号は「のぞみ」号と違って4列シートなので非常に快適に過ごせました。
鹿児島中央駅から指宿枕崎線に乗り換えて1時間15分で指宿駅に到着。指宿駅からホテルまでは歩いて約30分の距離です。開聞岳は明朝に登る予定です。今日は登山向きのとても良い天気なのですが、明日は雨予報。梅雨の前線がもう少し遅ければ良かったのですが...
指宿の鹿児島湾沿いを歩き、摺ヶ浜(すりがはま)の砂むし温泉「砂楽」で砂風呂に入りました。別の砂風呂だったか15年ほど前にも来ましたが今は写真撮影禁止。地元の住民には市が優待券を配ってくれるそうです。
42度の砂をかけてもらうと割と重量を感じるのと、自分の心臓の動悸を感じます。10分間入りましたが、眼球しか動かせないままじっとするのは中々の体験です。
案内版によると地下の温泉が海水とぶつかると海水と混ざらずに上に吹き上がってきて砂浜を温めるそうです。塩水クサビという原理で海水が真水(温泉)より比重が高いことが原因になっているとのこと。
ハマユウ。彼岸花の仲間だそうですが、こういう花が自然に咲いているのが亜熱帯だなと感じます。
さつまいも畑。色々野菜を育てましたが、さつまいも程簡単で大量に収穫できる野菜はないと思います。ほぼ肥料は不要で雑草に負けないくらい強い。どこの畑にも植えられていました。さすが鹿児島。
今回の旅ではきれいなアジサイに沢山出会えました。
指宿駅から約30分歩きましたが指宿ロイヤルホテルに到着。ネパール人の従業員が何人かいましたが、がんばって日本人的な振る舞いをされているのに感心します。
鹿児島湾の景色が素晴らしい露天風呂にはいってからロビーで景色を見ながら読書。山本一力さんの「あかね空」がなかなか面白い。
真ん中右にちょこっと見えているのが長崎鼻です。
これが薩摩富士といわれる開聞岳。翌日は天気が悪かったので、頂上まですっきりと見えたのはこの時だけだったのです。
夕食のあとでホテル下の海岸へ下りていきます。日暮れ時の光線が最も美しい時間です。
マジックアワー。この気分を味わっただけでも鹿児島まで来た甲斐があります。
今日は新月なので引き潮です。指宿は護岸工事ラッシュでしたが、自然の浜辺の美しさは格別です。
しばらく岩の上に腰かけて海を眺めていましたが、岩が暖かいのに驚きました。満潮のほうが塩水クサビの吹き上げが強くなるらしいので、まだ温度は低いくらいなのでしょう。
<登山編(2日目)>
鹿児島湾の地形は沈み込んできたフィリピン海プレートのせいで南東へ引っ張られて、その裂け目にマグマが貫入してカルデラ噴火が起きたのが原因です。
指宿はそのなかでも24万年前の阿多(あた)南部カルデラの影響で地形が形づくられました。開聞岳もその噴火口の一つで現在も活火山ですが、ランクCなので頂上まで登ることができます。ちなみに桜島はランクA。
最も最近噴火したのが874年と885年となっています。平安時代、菅原道真の頃ですね。ちょうど噴火の約20年後に九州大宰府に左遷されています。
火山なので地質は火山岩の玄武岩と安山岩が主体になっていて、溶岩ドームが堅い安山岩なのできれいな山容が形づくられているのでしょう。
これが登山ルートです。ルートは一本だけで螺旋形のトラバースです。
かいもん山麓ふれあい公園の駐車場に車を置いて、しばらくキャンプ場の芝の上を歩くと2合目から登山口になっています。
雨が5合目から本降りになってきて、7合目を過ぎたあたりから岩場が増えて滑り始めたので涙をのんで引き返しました。
7合目までで3時間弱、距離6km、累積標高587mでした。
翌朝、ホテルで7時に朝食を採り、タクシーで指宿駅まで戻ってからレンタカーを借りて開聞岳に向かいます。
天気予報は12時まで1ミリの雨なので本降りになる前に頂上に登ってしまいたい。
頂上付近はすでに雲に覆われています。
かいもん山麓ふれあい公園の駐車場にヤリスを停めます。8:45分でしたが、すでに下山したらしき人がいました。
登山届を出してしばらくキャンプ場の敷地内を歩きます。アジサイが旬で大変美しい。
頂上付近には厚い雲がかかっていて気になりますがまだ雨は降っていません。おじいちゃん達がゲートボールを楽しんでいました。
登山口は2合目に位置しています。
登山道は狭くて二人並んでは歩けません。頂上までのスパイラルを人工的に切り通したので広い道には出来なかったのでしょう。
土は黒くてザレ場が多いです。
2.5合目です。小雨が降ってきましたがこれくらいなら全く問題なし。
5合目まできました。2合目の登山口から約40分。まだ小雨なので比較的景色が良く見えます。
真ん中あたりの海岸線が砂むし風呂のある摺ヶ浜です。残念ながらこれが開聞岳から見えた唯一の景色となってしまいました。
登山道開整記念碑。大正15年と書いてあります。開鑿ではなく開整なので、大正十五年以前も道はあったのでしょうけれど険しい道だったのではと想像されます。
本降りになってきました。登山口から70分で、ここが7合目。ここから少し行ったところが岩場になっていて、ツルっと滑ってしまい膝を打ちました。おそらく頂上に向けてますます岩場が増えてくると思われるし、真っ白で景色は期待できないため、残念ながら引き返しました。
一般的な花崗岩よりも、火山岩は硬いので滑りやすいのではないかと思います。
天気予報だと12時までは1ミリの予想だったのですが、本降りになるのが少し早かったです。でも、考えてみれば頂上からの下山時に本降りになっていたことを思えばラッキーだったのかも。
筆者はマーフィーの法則に支配されているので、当然のことながら、下山すると小雨に変わりました。アジサイが咲き乱れています。
駐車場のヤリスに戻り、着替えていると猫ちゃんがいたので、おにぎりせんべいをやりました。
お昼に登山が終わってしまったので、予定になかった長崎鼻に行ってみます。長崎鼻パーキングガーデンとお土産屋を抜けると、指宿市の南端に出てきました。
海抜付近は小雨になっていますが、開聞岳頂上付近はまだ本降りかも知れません。
鹿児島湾側にチョコっと見える岩は俣川洲と書いてマタコシと読む。このように噴火後の火山岩が浸食された後に残ったものを火山岩頸(かざんがんけい)と言うらしい。隠岐島のローソク岩もそうだったけれど、安山岩はこういう面白い造形を残してくれます。
長崎鼻の後は、鰻温泉に行きます。以前「翔ぶが如く」を読んだときに、西郷さんが何度も出かけた場所として出てきました。案内版によるとここへは犬を13匹も連れてきたらしい。
征韓論が大久保利通らの反対に会って、下野した西郷さんが指宿で人目にふれずブラブラと時を過ごしたころの話です。
鰻温泉は鰻湖のそばにありますが、海岸の道からは車で10分以上奥の一本道を走ります。
鰻池もとなりの池田湖同様にカルデラ湖で、地表すぐ近くに煮えたぎったマグマが絶えず温泉を沸かしてくれています。
で、肝心の区営の鰻温泉ですが、13時~15時まではお昼休みらしく、おばちゃんがいたのに入れてもらえませんでした。来る前に電話したとき言って欲しかったなぁ。
鰻温泉の後は、1時間半ほど車で走り、鹿児島中央でレンタカーを返して、天文館にあるドーミーイン鹿児島に泊りました。夕食は近くの和食屋さん「おく屋」でいただきました。焼酎の「三岳」が美味しかった。
鰻温泉の後は、1時間半ほど車で走り、鹿児島中央でレンタカーを返して、天文館にあるドーミーイン鹿児島に泊りました。夕食は近くの和食屋さん「おく屋」でいただきました。焼酎の「三岳」が美味しかった。
<桜島、城山編(三日目)>
ドーミーイン鹿児島は屋上の露天風呂が良かったので三回も入ってしまいました。朝風呂に入ってから、バスでフェリー乗り場に行って8時20分の桜島フェリーに乗船しました。
15分ほどの船旅ですが、料金たったの200円!
桜島フェリー乗船場そばにある月読神社にちょっとお参りしてから登り始めます。江戸時代の安永年間に起きた噴火に驚いた住民が神の怒りを納めるために建立したけれど、大正時代の大噴火で御神宝は溶岩に埋もれてしまったそうです。
対岸の鹿児島市。
バスで下山して再びフェリーに乗って市内に戻ります。
本当は噴煙を上げる桜島が見えるはず。今回の旅行では結局一度も桜島は見ることはありませんでした。
桜島フェリー乗船場そばにある月読神社にちょっとお参りしてから登り始めます。江戸時代の安永年間に起きた噴火に驚いた住民が神の怒りを納めるために建立したけれど、大正時代の大噴火で御神宝は溶岩に埋もれてしまったそうです。
桜島は鹿児島湾の3つのカルデラの一つ、姶良(あいら)カルデラが出来たあとに、さらに噴火してできた火山です。(湯之平展望台の案内版より)
桜島の最高峰は北岳(1117m)ですが、現時点でも噴火を続けているのは南岳(1040m)です。一般人が登れるのは標高373mの湯之平展望所までなので3合目くらいですね。
車道を歩いて登りましたが、約1時間半、6km、累積標高400mでした。
30分おきにバスが巡回しているので帰りはバスで降りました。
Google Earth で立体的に見るとやはり噴煙を吹き出しているのは南岳です。1970年代から南岳の噴火が活発になり多い年は年間数百回も噴火するというから堂々たる活火山です。
桜島では小学生は通学時にはヘルメットを着用しているそうです。
写真に撮らなかったのですが、月読神社の後は集落を抜けていきます。現在の桜島の人口は3600人ですが、大正大噴火の前までは2万人もの人々が住んでいたらしい。集落ではみかん畑はありましたが主食としての米は採れなさそうなのでやはりサツマイモを主食にされていたのでしょうか。桜島大根も有名です。
道の脇に咲いているのはデイゴの花。亜熱帯地方だけあって、蒸し暑くて汗をかきかき登ります。
集落を抜けると湯之平展望所に続く車道をひたすら登って行きます。
展望所に来ましたが、残念ながら頂上付近は雲に覆われて見ることができません。左に北岳、右に南岳の姿を想像するしかありません。
対岸の鹿児島市。
バスで下山して再びフェリーに乗って市内に戻ります。
まだ昼前で14:45分の新幹線の時間まで間があるので、西南戦争最後の激戦地である城山に登ってみることにします。城山の手前で見かけた明治時代の建物は旧鹿児島県立博物館。
ホテル吹上荘の先から城山に登る階段があるので登りますが、これがそこそこ大変です。城山は標高が107mあり、登ってみると確かに薩摩軍が最後の砦にしたことが納得できます。
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」では、薩摩軍が熊本城、田原坂の敗戦後、宮崎県の山中にまで転進して最後に城山での激闘が描かれていました。小説では西郷隆盛は寡黙で桐野利秋たちに引っ張られていたような存在でしたが、果たして西郷はどこまで口を出したのかと思います。
城山公園展望台にて。
本当は噴煙を上げる桜島が見えるはず。今回の旅行では結局一度も桜島は見ることはありませんでした。